「行かせてください!」
「駄目だ。辺りはもう暗い。まだ皇国軍の奴らが潜んでいる可能性だって十分にある。いくら君があの朱雀四天王・氷剣の死神とは言え行かせられないな」
朱雀本陣の最北端。見張りをしていた軍の人間に掴み掛かりそうな勢いで何かを頼んでいる男。それは紛れもなくあの氷剣の死神、クラサメ・スサヤ本人で。
「あんなクラサメ君初めて見るよね」
同じクラスの候補生も驚いていた。
生真面目で優秀で、隊長や上からの命令には忠実に従い、異議や異論はよっぽどの事でもない限り唱えない。それでいて朱雀四天王と呼ばれる実力の持ち主。
「……彼女は、フィアはどうなるんですか」
見張り兵の表情は見えない。
無言の沈黙が数秒続いた後、クラサメは大きな舌打ちを1つ残し魔導院の方へ戻って行った。
*
誰にも会いたくなかった。
そう思った時、足は独りでに空き教室の方へ向かっていて、気が付けば誰もいない薄暗い裏庭に来ていた。
青々としたサクラの大木がしっかりと幹を張り、佇んでいる。
ミーンミンミン
彼女とこの木を見たのは春先だった。
咲かないサクラの木。
「……俺が」
皇国軍の目的は朱雀本陣の奇襲の他にもう1つあったと先程聞かされた。フィアが撃たれた時に入った隊長からの通信。
《奴等の狙いは朱雀四天王の殲滅だ》
そう言っていたらしい。
四天王全員を狙撃対象とし狙っていたらしいのだ。今の朱雀からその4人がいなくなるのはかなりの痛手になる。
という事はフィアは完全に自分の所為で撃たれたと言う事だ。少なくともクラサメはそう思い自責の念に駈られていた。
「クラサメ君」
無意識にサクラの木に触れていた片手。
背後に感じた気配に振り向きもせずクラサメは言った。
「1人にしてくれないか」
気配の主、サユは一瞬顔を歪めてから早口に言った。
「私の所為なの、私がフィアを」
クラサメは何も言わず木の肌を見つめていた。上の方には蝉がとまっているようだ。微かに音がする。
「ごめんなさい……」
「謝られた所で何か変わる訳でもない。けれど、君を責める気にもなれない」
クラサメは自嘲気味に笑う。
サユを責めて罵って責任を全て押し付けたとて、何か現状が良くなるわけでもフィアが帰ってくるわけでもない。無駄に喚いたところで疲れるだけだ。そんなの、子供のすること。
「一人にしてくれ」
「……うん」
今度はやや語気を強めて言われた拒絶の言葉にサユはゆっくりと頷き裏庭を出ていった。
薄暗い裏庭に、クラサメが1人。
ミーンミンミン
「………」
彼女は今どこにいるのだろうか。
記憶があると言うことはまだ生きていると言うこと。いまだあの木の影で気を失っているのか。それとも消えそうな灯火を静かに燃やしているのか。
ミーンミンミン
ミーンミンミン
蝉が鳴く。
夏の日の終わりを告げるべく。
ミーンミンミン
ミーンミンミン
ミーンミンミ
「フィア……」
ポツリと呟いた彼女の名は、湿気った夜の空間に、蝉の篝火と共に消えた。
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