***
午後の授業も終わり、することも特になく時間をもて余していたフィア。
「わ、ほんとに裏庭あったんだ」
昼休みにサユから聞かされた“裏庭”の存在。少しの好奇心と興味本意からフィアは人の目を盗んで空き教室に忍び込んでいた。
裏庭への扉はすぐに見つかり、鍵も掛かっていなかったため簡単に通ることが出来た。白いベンチが2つ、カフェのようなテーブルも幾つか置いてある。
さわさわと春の風が頬や髪を撫で、ぽかぽかとした陽気に思わず目を細める。庭の隅には可愛らしい花が咲いていて、きっと誰かが手入れしているんだろう。
フィアはゆっくり、1つの木の前に歩み寄った。
「これ、かな。サクラの木」
木の幹にそっと手で触れる。
ガサガサとしていて直径は結構あるだろうか。大きなサクラの木には青々とした葉が茂っていた。
魔導院周辺のサクラの木は既に満開で、散っているとはいえまだ桃色の綺麗な花をつけている。
――裏庭にね、春になってもまったく咲かないサクラの木があるの。
そのサクラの木が満開になってるのを大好きな人と2人で見ると、ずっと一緒にいられるっていう伝説!
「大好きな人、かあ」
自分も将来、大好きな人と結婚して子供を生んで、平和に暮らせるのだろうか。
大好きな、人……―――
ギィッと空き教室から裏庭へ続く扉が開けられて、フィアの背後にコツコツと足音が響いた。
「フィア?」
聞き慣れた声に呼び掛けられて思いがけず鼓動が跳ねた。木の幹から手を離し、声のした方へ瞬時に振り返る。
「え、クラサメ、くん?」
フィアは驚いて目をぱちぱちと何度かしばたかせた。何故彼がここにいるのだろうか。そう問うより先に、クラサメの方がフィアへ言った。
「木に、何かあるのか?」
木の幹に触れていたところを見られていたのだろう。フィアは曖昧に笑って腕を後ろ手に組んで木を見上げた。
「この木ね、サクラの木なんだって」
よく見れば確かに下の方に「サクラ」と書かれた小さな目印が土に突き刺さっている。
「サクラ?花は」
「咲かないんだって」
クラサメの問いにフィアはまたサクラの木の幹に触れながら答えた。
「春になっても花は咲かないんだって」
咲かないサクラなど、サクラの木と言って良いのだろうか。疑問はあったがクラサメはそのままフィアの話に口を挟まず聞いていた。
「で、そんな咲かないサクラのこの木が満開になってるのを、大好きな人と2人で見ると、ずっと一緒にいられるって噂があるみたいだよ」
くるり、と。
フィアはクラサメへ振り返った。
「今日初めて聞いたんだけどね」
そうしてくすりと悪戯っぽく笑う。
そんな彼女にクラサメもふっと頬を綻ばせた。ゆっくりとフィアの隣に歩む。
「じゃあ、今年は誰もそれを立証できていないんだな」
今現在この木に花は咲いていない。
それどころかサクラの蕾すら実っていない。ということは必然的に今年は誰もその噂を立証することは出来ない。クラサメは青々とした葉桜を見上げた。
「そういうことになるね」
倣ってフィアも木を見上げた。自分たちの身に付けるそれによく似た、棲みきったサックスブルーの雲1つない空。
「いつかその噂が本当か試してみるか」
ぽつりとクラサメが音を紡いだ。
「え?」
なんのことだと彼に視線を向けると。
「フィアと、2人で」
棲みきった空のような、青々とした葉桜のような、2つを閉じ込めて陽を当てたような碧い瞳が、フィアをしっかりと映し出していた。
*
クラサメが裏庭に来たのはどうやら他クラスの女子に呼び出されたらしく、少し会話をしてフィアは裏庭を後にした。邪魔をしては呼び出した子が可哀想だ。
なんとなくホカホカとした気持ちのまま空き教室から廊下へ出る。
「2人で、か」
先程クラサメの言った言葉をゆっくりと噛み締めるように、フィアは呟いた。
next