まずひとつめ。(1/1)

「レオン、ほら早く早く!」

たまの休日だって言うのに可愛い彼女と過ごすわけでもなく、家で寝てるわけでもなく、仕事に追われるわけでもなく、友人と出掛けるわけでもなく何故かアシュリーに付き合わされる羽目になってしまった日曜の午後。



***



「いらっしゃいませー」

アシュリーに連れてこられたのはダウンタウンからは少し離れた小さなカフェだった。最近彼女が熱心に通い詰めている店らしい。たまたま今日約束していた友人にドタキャンに合い、たまたま休みだった俺が代わりに駆り出されたわけだ。
店内はゆったりとした空気が流れていて感じの良い店員が迎えてくれた。

黒いシーリングファンが静かに回っている。カウンターになっている席にはマスターの淹れた珈琲を啜る老人が一人。テーブル席には仲の良さそうな老夫婦がティーカップを傾けていた。ここだけ時間が止まったような、そんな感覚。アシュリーに引っ張られて奥の方のテーブルに着くと、すぐに店員がメニュー片手にやって来た。

「今日は何にしますか?」

にこにこと笑みを浮かべる店員がアシュリーにメニューを渡しつつ問い掛ける。今日は、と言うことはやはり彼女はこの店の常連なのだろう。見たところそんなに繁盛しているわけでは無さそうだけれど、隠れた名店か何かなんだろうか。それともただ単に彼女を惹き付ける何かが合ったのか。

「今日のお薦めは?」
「お薦めですか…、」

メニューを弄びながらアシュリーが店員に問う。どうやら彼女は自分でオーダーを決めるのではなく店員任せらしい。少し考えた後再び笑顔で応対する店員。

「今朝結構良いウヴァの茶葉が入ったので、カスタードクリームたっぷりのフルーツタルトとウヴァのストレートティーなんかお薦めですね」
「それにするわ!」

二つ返事で目を輝かせながらオーダーを決めるアシュリー。聞いてるだけで彼女の好きそうなメニューだ。

「レオンはどうする?」

さっきの話からこの店のお薦めは紅茶らしいけれど、メニューを見たところで数十とある紅茶の種類に目を通す気にはなれず、無難に珈琲をと思ったところでアシュリーが急に笑顔になった。

「そうだ、レオンにも何かお薦めしてあげて?」

成る程そうきたか。
アシュリーに言われて店員の女性は少し困った声音で返事をしたものの、すぐに笑顔になって紅茶の種類らしい羅列から一つ指を指した。

「今旬ではないんですけど、ダージリンなんですがオータムナルフラッシュって言って秋摘みの茶葉なんです。夏摘みのセカンドフラッシュには劣るんですが…味がしっかりとしていて、わたしは今の時期のダージリンが一番好きなんです。生クリームやカスタードクリームとかでなく、普通のパウンドケーキなどにとても合いますよ。」

その時初めて店員の顔をまともに見た。
流暢な英語でまったく気付かなかったけれど、相手はどうやら日本人のようだった。はっきりした黒い瞳がキラキラと輝いていて、そんな目を縁取る黒い睫毛。華奢な体に白いパリッとしたシャツがよく似合っている。

「じゃあそれで」
「わかりました」

にこりと品の良い笑顔を返される。
きっちり45度にお辞儀をしてメニューを持ってカウンターの奥に消える。あそこまで丁寧な店員は本当珍しい。さすが日本人とでも言うべきか。

「あの店員さん紅茶にすごく詳しくて、親切に教えてくれるのよ」
「アシュリーが勉強なんて珍しいな」

「ちょっとそれどういう意味よ!」と小声で抗議するアシュリー。一応他の客の迷惑は考えているらしい。不機嫌そうに腕を組んで睨んでくる。

「アシュリー?」
「わ、びっくりした」

するとひょっこりとさっきの店員の女性が現れる。くすくすと笑いながら何かをテーブルに置いた。

「朝焼いたんです。良かったらどうぞ」

バターの濃厚な香りと香ばしいナッツの香りが鼻腔を擽る。アシュリーの視線の先には小さなバスケットに一口サイズのクッキーが数枚並んでいる。

「わ!美味しそう!」

クッキーを前にして忽ち変わるアシュリーの表情。単純と言うかなんと言うか、一先ず助かったのだけれど。

「お口に合うかわかりませんが、良ろしければお客様もどうぞ?」

柔らかい笑みを浮かべる人だと思った。大体カフェの店員の女性なんてつんけんした良くないイメージの店員に当たることが多かったけれど、彼女は大分違っていた。他人行儀なその呼び方に少し寂しさを持ちつつ、ちらりと店員を見てみるとやっぱり笑顔だった。

「美味しーい!」

クッキーを頬張ったアシュリーが嬉しそうに笑う。そんな彼女を見て店員の女性も満足そうに更に笑みを深める。
人を笑顔にするのが好きなんだろうか。次いで彼女は老夫婦の席にまた違うクッキーの入ったバスケットを運んでいく。
少しするとやっぱり聞こえてくるのは笑い声。暖かい空気が自然と店内に流れてくる。

「レオン、ちょっと化粧室行ってくる」
「ああ、わかった」

するとアシュリーがゆっくりと席を立った。奥の方にある化粧室の扉に消える。珈琲豆を挽く音が店内に響く。これはもしかしたらチャンスかもしれない。

「お待たせ致しました」

銀色に輝くラウンドトレイの上でソーサーにカップを乗せ、慣れた動作でそれをテーブルに置く。紅茶の香りだろうか、爽やかな香りが漂う。

「こっちがアシュリーのウヴァで、こっちがお客様のダージリンです」

差し出されたしなやかな指。思わずカップよりそっちに目が行ってしまう。やっぱり、他人行儀な呼び方がなんだか居たたまれなくて。

「今スイーツお持ちしますね」

例えば今このタイミングを逃したら、後悔するかもしれなくて。多分そのまま終わってしまう気がして。
もしそうなるくらいなら、偶然とか運命とかを、信じてみても悪くはないと
「これ一番お薦めのパウンドケーキなんです。ダージリンに良く合うんですよ」
「紅茶に詳しいみたいだな?」
「詳しいと言うか…好きだから自然と覚えちゃっただけなんです。何か知りたいことあります?わたしで良ければお話しますよ」


真っ白なカップに並々注がれるマスカットフレーバーのオレンジ色の液体。


「じゃあ、君の名前は?」





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