ゆっくりじゅうにこめ。(1/1)

あんなに暑苦しかった夜はいつの間にか肌寒いを越してちょっと寒い、に変わりつつあった。黙って七瀬の部屋の前から数歩進んだ時、カチャリ…と金属の音がして思わず振り返った。

「…七瀬…?」

彼女の姿は無い。
たださっきと明らかに違いドアが少し開いていた。呼び掛けても返事はない。

沈黙が長かった。そもそも彼女はまだそこにいるのだろうか。ドアを開けて確かめることも出来た。けれど何故かそれはやってはいけないことのように感じて。俺はただ七瀬の次の行動を待っていた。

「ごめんなさい…」

どれくらい時間が経ってからだろうか。ぽつりと蚊の鳴くような、下手したら聞き逃してしまっていたような声音が聞こえた。俺ははっとしてドアの奥を見つめる。

「ちゃんと、わたしも、言えばよかったんですよね…。」

少しして薄く開いたドアに人影が見え、七瀬の指先が控え目に見えた。

「いや、怖がらせたのは俺が…」
「怖かったんじゃないんです」

ドアがゆっくり開けられる。
部屋着の七瀬がサンダルを引っ掛けて廊下に出てくる。何をするかと思ったらゆっくりこちらに歩み寄ってきて。

「どうしたらいいか、わからなかった」

そっと、手を取られた。
けれどどこかその動きはぎこちなくて、俺の手に触れている七瀬の手も少し冷たい。されるがままでいるとゆっくりと彼女の両手で俺の手が包み込まれる。

「レストランで手が触れた時は、正直怖かったです。でも、レオン気にするなって言ってくれました」

俯いている所為で七瀬の表情は読み取れない。少し冷たい風が頬を撫でた。

「だから少し安心して…言わなくても、大丈夫かなって。でも、やっぱり…ちょっと、怖かった……あれ?」

不思議そうな声と共に七瀬が顔を上げた。その瞳には大粒の真珠のような涙がゆらゆらと溜まっていて。

「嘘だ…怖くない、のに……違う、怖いんじゃなくて……」

そんな七瀬が痛々しくて、抱き締めてやりたい衝動に駆られた。けれど駄目だ。今そんなことしてはせっかく七瀬が出てきてくれたのに水の泡だ。今度はちゃんと俺が七瀬の話を聞く番だ。

「怖くないと、思いたかったんです…」

ぎゅっと手が握り締められた。
大丈夫なのだろうか、俺に触れていて。

「レオンが、好きだから」

七瀬に握られている方の手がぴくりと動いた。少し七瀬が驚いたが離すまでには到らなかった。

「好きだから、怖くないと思いたかったんです」

この腕を思い切り引いて抱き締めたい。
腕の中に七瀬を閉じ込めてやりたい。
そんな感情が溢れ出す。けれど、

「手だけなら、触れてもいいか?」

七瀬がこくりと頷いた。
俺はそれをしっかり確認して、握られている手を動かして七瀬の左手を取り…

「っ…レオン…」

そっと、七瀬の手の甲に唇を当てた。

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