ここのつめのこと。(1/1)

「っ…やっ…!」

ばっと体を突き放されて間合いを取られて、七瀬がこれでもない程驚いた表情で口元を抑えて俺を見た。
その瞬間鈍器で頭を殴られたような衝撃が走る。まずい、やってしまった。

「七瀬、ごめ…」
「っ…、」

咄嗟に七瀬に差し出した手が拒絶するように弾かれた。思わず言葉が途切れてしまう。

「あ……、」

はっとして七瀬が俺を見た。
どうしよう、そんな表情で視線を彷徨わせる。正直俺もどうするべきかすぐに頭が働かなくて、そんな七瀬を見てることしか出来なくて。

「っごめんなさい…!」

一拍遅れてその言葉を頭で理解した。
慌てて七瀬にまた手を伸ばしそうになって、彼女が既にエントランスに消えてしまっていたことに気付く。行き先を失った右手が虚しく空を彷徨った。

「馬鹿だな…」

なんでキスなんかしたんだろうか。
完全に七瀬の気持ちがわかっていないのに先走った。後悔しても遅かった。彼女を追い掛けて部屋の前で馬鹿みたいに謝ることも出来るけど、今はそれは違う気がした。逆効果な気がして、多分今は一人にした方がいいんだろう。

「強引、か」

帰り道に七瀬が言っていた言葉が頭を過る。そのまんまじゃないか。
泣けるぜ、なんて冗談さえ言う気にもなれなくて、そのまま黙って彼女と歩いてきた道を辿った。





*





まず謝ろう。
そんな気持ちを胸に迎えた月曜。
例え七瀬に素っ気なくされたとしても謝らないことには何も始まらない。まず謝って七瀬の反応を見てからその先を決めよう。

らしくもなく土日にアホみたいに考え込んで、結果的に出た答えは単純明快。月曜いつものようにカフェに行ってまず謝ろうという誰でも思い付くシナリオだった。ただこれには一つ誤算があって。

「休み?」
「ああ。今朝突然連絡があってな、急だけど休ませて欲しいって」

感じの良い老紳士のマスター。
カウンターに珈琲と軽い朝食を出してくれてからデミタスカップを磨き始める。

「具合が悪いとか?」
「いや、特に何もいってなかったんだけれどな」

俺の描いた単純明快なシナリオの誤算とは、月曜のカフェに七瀬がいないこと。謝ること一直線にしか考えていなかった自分の思考回路を恨んだ。

「突然休むような子じゃないんだが…」

離れて座る老紳士も七瀬がいないと寂しいのかマスターに相槌を打つ。これはとてもまずいことをしでかしたのかもしれない。反省だけなら猿でも出来るわけだが、取り敢えず今は反省しか出来なかった。


それから火曜、水曜、木曜と三日間七瀬は店に来なかった。そして週終わりの金曜の今日も。いい加減なんとかして強引にでも七瀬に謝らなければならない。そんな風に気持ちが焦り出す。

(今日の夜行ってみるか…)

仕事終わりに七瀬のアパートに行ってみよう。門前払いされる覚悟は勿論決めてから。ああ、今日の仕事がアシュリーのお守りで良かった。

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