なんという緊張感のかけらもない空間なんだ。
「もっとそっちに寄らねーか、コラ」
「だったらテメーがあっちの木箱に隠れりゃいいだろ。俺はこいつを守らなくちゃならねーんだ」
「じゃ、じゃあ私があっちに隠れようか……?」
「「それじゃ意味ねーだろ」」
「え、即答?」
ザバンと荒々しい波の音と共に、足下からはバタバタと慌ただしく人が行き来する音が聞こえる。負傷した右腕の痛みといつ敵に見つかるか分からないスリリングなこの状況と、そして何より引率してきた仲が良いんだか悪いんだかよく分からない二人に挟まれ、わたしの動悸はひどくなる一方である。
わたしとリボーンとコロネロの三人は、とある組織の連中を全員暗殺するという、極めて難易度の低い任務を言い渡されていた。裏社会じゃそこそこ名の知れた組織だったのだけど、組織自体の規模が小さく、それでいてファミリーの数も少なかったため、さほど時間も掛からず、その仕事は片付いた。ところが、どうやら今日待遇される予定だったらしい暗殺したファミリーと同盟を組んでいた別のファミリーがやってきて、わたしたちは返り討ちに遭いかけた。任務を伝達してきたヴェルデにそのことを話せば「すまん、伝え忘れていた」で済まされた。仲間が死にそうになったっていうのにそんな短い一言で終わらせる非情さったらない。生きて帰ったら蜂の巣にしてやろうと心の中で誓いながら、顔を見られたらまずいということで、わたしたちはいま現在港の側にある倉庫に身を潜めているというわけだ。
コンサート会場などでよく照明さんたちがいるキャットウォークの上に並ぶ木箱の陰、そこにちょうど人がすっぽりと隠れられるスペースがある。とりあえず相手がどのファミリーなのかを突き止めない限り、手出しはできない。頼みの綱であるヴェルデに早急で調べてほしいと連絡を入れて早数時間。新人のわたしとは裏腹に、ベテランの男二人は徐々にこの空気に慣れてきたのか、事もあろうにおしゃべりを始め出したのだ。
「チッ、エスプレッソが飲みたくなってきやがった」
「だからって舌打ちすんな。見つかったらどーすんだ、コラ」
「殺したらまずいか」
「だ、ダメだよ!」
「おまえがそういうなら仕方ねーな」
「ヴェルデが許可してくれりゃ、今からでも出陣できんのにな」
体育座りをして何とも教育によろしくない話をするわたしたちは端から見たらおかしいに違いない。まあ、端から見られていたら、呑気に体育座りをしている場合ではないのだけど。それにしてもこのコンビの雰囲気に感化されてか、少しだけ気を緩めると撃たれた右腕がズキリと痛んだ。そうだ、わたしは天才の彼らとは違う。初心を忘れて、油断したから負傷したんだ。わたしはまだ戦場にいる、今は一時休戦の状態なだけ。気を緩めればまたやられてしまうかもしれない。
「おま、怪我してんじゃねーか!」
「え、うん。さっき逃げてるときに撃たれた」
「あぁ、どーりで血の匂いがするわけだ」
「毎回思うんだけど、リボーンってコーヒーと血の匂いには敏感だよね」
「褒めてんのか?」
「そんな話してる時間があったら、とっとと治療しねーかコラ!」
「声がデケェぞコロネロ」
ちょっとぐらい心配してくれたっていいだろうと思ってしまうぐらいひどく冷静なリボーンとは裏腹に、わたわたと木箱しかないこの空間を見渡すコロネロにわたしは何度も「大丈夫だよ」「平気だかは」と伝えるけど、それに対して彼は「傷が残ったらどーすんだ」という言葉ひとつでわたしを黙らせる。今まではリボーンが口癖のように言っていたのだけど、最近になって、リボーンが言わなくなった代わりにコロネロが口にするようになってきた言葉である。いや、帰ったら風やルーチェにも言われるんだけど、コロネロは事あるごとに言ってくる気がする。洗い物をしていてお皿を割ったとき、コーヒーを淹れようとしてポットごとこぼしてしまったとき、銃の手入れをしていて操作を誤り暴発させてしまったとき。……あれ、なんか恥を曝しただけな気がするな。
「リボーン、治療するもん持ってねーか」
「俺が持ってたら笑うだろ」
「まあな」
「撃たれてーのか」
「リボーンやめて」
わたしが銃の安全装置を外そうとしているリボーンを必死になって止めている間に、コロネロはひとしきり考えたあと、何を思ったのか、軍服の下に着込んでいたTシャツの裾をビリビリと破き出した。驚いているのはわたしだけのようで、リボーンはというと至って普通だと言わんばかりの顔をしていた。
「ちょ、コロネロ……何やって……!」
「いいから。黙って右腕出せ、コラ」
コロネロの碧眼がまっすぐとわたしの瞳を射抜く。いつも一緒にいるから、普段はあまり思わないのだけど、よく考えたらコロネロってかっこいいんだよなあ。意識したら何だか顔に熱を帯びてきたので、言われた通り、血が伝う右腕を差し出すと、彼はそこに破ったシャツを巻きつけ始めた。まるで映画のワンシーンだ。キュッと結び目が小さな音を立て、コロネロは「よし」と声を漏らし、満足だと言わんばかりの顔をする。お礼を言おうと口を開いたところで、すぐ足元にチュンっという音と共に小さな火花が散る。
「逃げるぞ!」
いち早く立ち上がったリボーンがわたしたちを促す。向かって右側、そこには数人、あからさまにマフィアですと言いたげな真っ黒なスーツに身を包んだ男の人たちが、ご丁寧に銃を構えて立っていた。先ほどのリボーンではないが、思わずチッと舌打ちしてから裾に忍ばせていた護身用の銃を構え、立ち上がったと同時だった。
ドゥンっとやけにゆっくり聞こえた銃声と共に、なぜかわたしの体は瞬間的に崩れ落ちた。地面に膝をつけた瞬間、鈍い痛みが走る太ももに、ああ撃たれたんだと悟る。わたしより少し先を走っている二人も、そのことに気付いたみたいだけど、戻ってきたらダメだ、やられてしまう。そんなことは分かっているはずなのに、わざわざデメリットを犯してまで引き返してきたのは先頭を切っていたリボーンだった。
「コロネロっ!」
「分かってるぜ、コラ!」
リボーンがコロネロに何かを指示したけど、ジェスチャーも言葉もなかったからいったい彼は何を分かったのか、まったく理解ができない。ガチャッとわたしの背後にいる敵全員と、リボーンが持つ銃の安全装置を外す音が一斉に聞こえる。しかし、引き金を引いたのはリボーンが誰よりも早かった。撃っては解除し、撃っては解除し、そうして敵が持っていた銃をすべて弾き飛ばす。
ふわっと体が宙に浮く感覚を覚えたと思ったら、わたしはリボーンに抱き上げられていた。軽々と持ち上げているけど、わたしそんなに軽くなかったはず……と悠長にそんなことを考えていると、今度はリボーンの背後で大きな爆発音が響く。何事だと思っている間にリボーンがやはり悠々とした表情でそちらに体ごと向き直る。そこにはバカでかい重火器を抱えたコロネロが倉庫の中で積み荷などが置かれている空間と此処とを隔てていた鉄柵を破壊していた。相変わらず何をしでかすか分からない二人に、やっぱりわたしの動悸は激しくなる。
「すぐに追っ手が来るぜ?逃げるにも限界があんだろ」
「心配すんな。さっきヴェルデから連絡があって、死なねー程度に応戦するなら構わねーって許可が出た」
いつのまに。重火器を抱えたコロネロとわたしを抱えたリボーンが、開けた穴の真下にあった積み荷の上に降り立つとすぐそこには弾丸の嵐。降り立った積み荷の裏側に回り込み、そうしてリボーンはわたしをそっとおろした。
「おまえはここで待ってろ。いいな」
「は、なに言って……」
「二箇所も撃たれた仲間を戦場に送り出すわけには行かねーんだぜ、コラ」
「で、でも」
ガチャンと、リボーンが弾丸を装填した銃の安全装置を外す音によって、わたしの言葉は遮られる。情けない、負傷したからこそ足手まといになりたくないんだ。だからこそ、ラルみたいにちゃんと気力を振り絞ってでも一緒に戦っていたいのに。
「足手まといと思ったら、俺は最初っからここにおまえを連れてきてねーぞ」
はっきりと紡がれた声に顔をあげれば、そこには厭らしく口角をあげたリボーンがいて。ちくしょう、読心術使いやがったな。そんな超能力に近い力を持っていないはずのコロネロも、なぜか「そうだぜ」と前置きをしてから次なる言葉が放たれる。
「言ってんだろ?それ以上ひどくなったら傷が残っちまうぜ、コラ」
「き、傷なんて残ったって構わないから!わたしは一緒に戦いた、」
「「俺たちが良くねーんだ」」
きれいに重なった声に、思わず口をぽかんと開けてしまう。左側にリボーン、右側にコロネロ、両者の視線を同時に浴び、それまで妙な働きをしていた心臓が再び活発に動きだす。
「おまえのそのきれいなからだに傷が残ったら、嫁にもらうとき俺が困るだろ」
「なに言ってんだ。こいつは俺のもんだぜ、コラ」
「え、え……っ」
「まあ、こんなときに言い争うのもなんだ。こいつに決めてもらうのがいちばん早ェだろ」
「そりゃ違いねーな」
「え……えええっ!?」
片手に銃、そのかっこよすぎる横顔に貼られた怪しげな笑みとまぶしすぎる笑みに挟まれ、私わたしはやっぱり熱を帯びる自身の顔を両手で覆わずにはいられなかった。
心臓
×
不愉快
×
めまい
どっちも大切なの。どっちも比べられないぐらい大好きで、どっちも頼もしい仲間なの。体を張って守ってくれる優しすぎる騎士の告白にはっきりと答えられないわたしは、やっぱり欲張りなのかなあ。
(100311)