※2008年に書いたものを加筆修正しています




 見廻りの道中で沖田くんに頼まれていたお団子を片手に屯所へ戻ってくると、何やら中が賑やかだった。『真選組屯所』と掲げられた看板がぶら下がる門を潜ると、小池のそばの庭先でラケットをぶんぶん振っている山崎くんがいた。そばに寄りながら「ねェねェ」と声を掛ければ、わたしの存在に気付いた山崎くんは素振りの手を止めて、「なに?」と言葉を返してくれた。

「みんな賑やかだね。何かあったの?」
「あァ、今日は端午の節句でしょ?だから、みんなはしゃいでんの」
「山崎くんはついてないの?」
「……あんた、大人しそうな顔して割と言うよね。仮にも女の子がついてないとか言わないで」
「ついてないんだ」
「ついてるわ!立派なのが!見る!?なんならここで見せますが!?」

 必死な形相の山崎くんの鼻の穴に転がっていたもう一本のラケットの柄をぶち込むと、彼は地面を転げ回りながら、何度も謝罪の言葉を口にした。そうだね、仮にもお巡りさんがそんなこと言っちゃ駄目だよね。

「あっ、そういえば沖田くん知らない?頼まれてたお団子買ってきたんだけど」
「えっ。それ副長に渡すんじゃないの?」
「? 何でトシにあげるの?」

 がさがさと勝手にお団子の包み紙を開け、一本をもぐもぐ咀嚼していると、山崎くんはやっぱり「え?」と言ってきたので、反射的に「ん?」と返す。何でトシなんだろうと、本当に分からない顔をしたからか、山崎くんはいよいよ信じられないという表情をしながら、その答えを口にする。

「だって今日、副長誕生日だから」
「……へ?」
「いや、だから今日、副長誕生日、」
「え?」
「田舎のばあちゃんかあんた。何回聞き返せばいいの?ていうか仮にもあんた副長の彼女でしょ?」

 知らなかったのー?と言いながら小馬鹿にするように、わたしを指差しながら山崎くんはぷくくと笑いを漏らす。素直にイラッとしたので、彼が持っていたラケットを奪い、空いているもう片方の鼻の穴にズンッと突っ込めば、また彼は地面を這うようにのたうち回る。痛いとか何でとかいろいろ叫んでいたけど、自業自得です。
 そんな山崎くんのことはさておき、これは一大事である。まさか今日がトシの誕生日だとは。そういえば聞いたことなかったな、誕生日。血液型も知らないけど。おそらく向こうもわたしの誕生日は知らないだろうけど、そもそもそういう問題ではない。彼氏の誕生日を知らない彼女って、どうなんだろう。一回切腹したほうがいいかな、トシ好きだもんね切腹。いや、切腹が好きというか口癖というか切腹させたがるのがというか。でも彼女が切腹して死んだ日が自分の誕生日って寝覚めが悪いし……って、待って待って待って。そういう問題でもなくて。
 うろうろと庭先を徘徊しながら、静かに大パニックを起こすわたしに、偶然そばを通りかかった近藤さんが「ナマエちゃん、大丈夫か?月の使者が舞い降りちゃった?」なんて聞いてくるから、その憎き顔面目掛けてお団子の入ったパックを打ち付けた。ほとんど考えるよりも先に体が動いてしまったのだけど、これ、わたし、悪くない。
 お亡くなりになったお団子(と伸びている近藤さん)を眺めながら、ふと視線を庭先に取り付けられている時計へと向ける。この時間なら、ギリギリ間に合うかな、ケーキ屋さん。きっとトシは甘いものはあんまりって言うだろうけど、せっかくの誕生日だし、一番美味しいって評判のお店のものをプレゼントしたい。歩いていくには少し遠いけど、パトカーを飛ばせば何とかなる。
 考えがまとまったところで、踵を返すとちょうど原田さんが駐車場へと向かっている姿が目に止まる。声を掛けながら走り出すと、未だ地面に転がっていた山崎くんを思いっきり踏みつけてしまい、カエルの鳴き声のような音を挙げて、そのまま動かなくなってしまった。ぴくぴくと痙攣しているから、生きてはいる。よし、大丈夫。ごめんねと山崎くんに手を合わせたわたしはぽかんとした顔をしてこちらの様子を伺う原田さんと共に、パトカーへと乗り込んだ。

 間に合いませんでした。ぐすん。
 あれから事情を聞いた原田さんは涙を拭いながらパトカーを飛ばしてくれたけど(どこに泣く要素があったのかは正直分からない)、今年は子供の日だからという理由でケーキを買った親御さんが思いの外多かったらしく、ホールケーキもカットケーキも見事にすべて完売だった。屯所に着き、その後もいろんなケーキ屋さんに連れて行ってくれた原田さんにお礼を言うと、彼は律儀なことにそのまま見廻りに戻っていった。いい人である。
 屯所に戻ると、両方の鼻にラケットを詰めたまま何も握らずに素振りをする山崎くんが「おかえり」と笑顔で出迎えてくれたけど、わたしは重々しくため息を付き、声もなく頷くにとどめた。ラケットには触れないまま、玄関のほうへと歩みを進めると、途中まだ顔面にお団子をくっつけたままの近藤さんが白目を向いたけど、見てみぬふりをする。靴を脱いで廊下を歩いていると、沖田くんに出くわし、お団子は近藤さんの顔が好きらしいよと言えば、意味分かんねェよ何の話だと、ごもっともな返事をされた。

「そういやァ、さっき土方さんがあんたのことを探してやしたぜ。まァ、特に用があるってわけでもねェんでしょうけど」
「……まじでか」
「何でィ、もっと喜びなせェ。久しぶりにヤローと二人きりになれるってのに」
「ニヤニヤしながら言われても、素直に喜べないんだけど」
「いやァ、心配要らねーぜ。何も邪魔しようだなんて、微塵にも、これっぽっちも、松平のとっつァんに誓って、んなこたしやせんから」
「誓う先が身近すぎない?」

 何はともあれ、お団子の話が飛び出さなかっただけでも良しとする。沖田くんがそのことを思い出さない内にそそくさと副長室を目指す。
 目的地が近付くにつれて、煙草のにおいが濃くなってゆく。なるべく早く着かないように、歩調はゆっくり、歩幅は小さめでさほど長くない廊下を進むも、落ち込んだ気持ちが浮上するよりも先に、副長室に着いてしまった。「失礼しましゅ……」と一声掛けてから襖を開ければ「どんな噛み方してんだ」と開口一番、煙草を片手にトシが冷静なツッコミを入れてくる。短くなった煙草の火を消すトシの姿を見て、思わずため息を漏らせば、彼は不思議そうに首を傾げる。

「どうした?」
「何もないれしゅ……」
「さっきから器用な噛み方してんな」
「……ごめん、ね」

 何気ないようにふっと笑うトシに、わたしはほとんど反射的に謝っていた。紙の上を進んでいた筆がぴたりと止まり、一瞬で険しい表情に戻った彼は訝しげにその場に立ち尽くすわたしを見上げる。それが噛んだことに対する謝罪でないことくらい、彼は分かっているだろう。
 床に散らばっている書類を適当に退けたトシはそこをぽんぽんと叩き、ここに座れと促してくる。後ろ手に襖を閉め、わたしは促されるままそこに腰を下ろす。じっとわたしを見据える彼が、何のことについてなのかの説明を言及しているのが分かってはいても、彼が口を開かないのをいいことに、わたしはもう一度同じ言葉を呟く。その様子に、トシは小さくため息を付いたあと、少しだけ体をわたしのほうへと向き直らせた。

「何が“ごめん”なんだ」
「何も、用意してないから」
「用意って何の」
「……今日誕生日、でしょ?トシ」

 畳の上を泳いでいた視線をゆっくりと彼のほうへと持ち上げながら、わたしは辿々しく言葉を紡ぐ。トシが記念日だとか誕生日だとか、そういうイベントごとに興味関心がないのは知っているし、お祝いしてもしなくてもその後の付き合いにめざましい変化があるわけではないけど、でもやっぱり彼女として、きちんと準備をして、ちゃんとした形でお祝いしたかった。トシの中では数ある中の内の一日に過ぎない、たまたま誕生日と名の付いただけの何でもない日を、きちんと彩ってあげたかった。
 何も用意出来ていないことで、わたしが落ち込んでいる以上に拗ねていることに気付いたトシは、しばらくして今度は呆れたような息を漏らして、ガシガシと乱暴に自身の頭を掻いた。

「んなことで暗い顔してんのか」
「そんなことって言うけど、トシが生まれてきてくれた日なんだから、わたしとしては盛大にお祝いしたかったの」
「忘れてたのにか?」
「わ、忘れてたんじゃなくて、知らなかったの……!」
「へェ〜」

 まったく興味を持っていないような口振りに、余計に落ち込んで顔を俯かせると、その頭がそっと撫でられる。びっくりしつつも、ゆっくりとトシのほうへと顔をあげると、意外にも彼は満足げに口元を緩めていた。

「な、なに?」
「ん?」
「な……んか、楽しそうだから」
「そりゃあな。悪くない気分だぜ?」

 ゆるりとわたしの頭の形に沿って滑った大きな手のひらはそのまま机の上に転がっていた煙草の箱に伸びる。カチ、と音を立てて火種が灯るのをぼんやりと眺めていると、その視線に気付いたトシがまたその口元をふっと緩める。

「で?言ってくれねェのか」
「え……?」
「主役を目の前に、懺悔だけじゃ味気ねェだろ?」

 細く吐き出された紫煙がくるりと円を描いて、ゆっくりと消えてゆく。初めは苦手だったはずのその独特の匂いも、今となっては落ち着くものへと変わっている。微妙に空いていた距離を詰め、煙草を挟む手の甲にそっと触れて、交わるまでに少し勇気を要したその双眸を、正面から受け止める。

「お誕生日おめでとう、トシ。生まれてきてくれて、ありがとう」

 腰を浮かせて、剥き出しの頬に触れるだけの口づけを落とす。そういったコミュニケーションを積極的に取らない傾向にあるわたしの行動に驚いたように、トシは少し早めの瞬きを繰り返したけど、それからふっと笑いを漏らし、灰皿に煙草を置いたその指先で、わたしの手をゆるりと掬った。

「どういたしまして、で合ってんのか?」
「……言い方がちょっと癪」
「可愛くねーな」

 そんな言葉とは裏腹な優しさを宿すまなざしにつられて、思わず笑みがこぼれる。かわいいって思ってるでしょ、と言ってもどうせはぐらかされるのは分かっている。だけど、全部表に出てるよトシ。それが嬉しくて、顔に出ちゃうわたしもわたしだけど。
 握られている手とは反対の手が、またわたしの頭を撫でる。髪の感触を確かめるみたいな触れ方で、珍しいななんて思っていると、それが少しずつ後頭部に回っていくのに比例して、わたしの鼓動がどんどん大きく高鳴っていく。スッと、トシが距離を縮めてきたところで、まずいと思った。

「…………おい」
「は、はい」
「この手、なんだ」

 いつも通りの声音で、トシが静かに抗議の声をあげる。普通に考えればそうだろうと思う。今、トシは確実にわたしの唇を奪おうとしたけど、わたしが握られていないほうの手でそれを阻止したのだから。口元を押さえられたまま、もごもごと口を動かすトシと、わたしは目を合わすことが出来ない。

「つ、つい……?」
「減るもんじゃねーだろ」
「へ、減るよ……新鮮さが」
「んなもんとっととなくしてェんだよ。いいから、やらせろ」
「言葉が不適切すぎるんだけど!?」

 せめてもの抵抗で顔を押し返すも、力で勝てるはずもなく、じりじりと後ろへ逃げるわたしとぐいぐいと間合いを詰めてくるトシの攻防は、わたしの背中が床へと着いた時点で、後者に軍配があがった。素直にキスを受け止めておいたら、こんな押し倒されるような形にはならなかったのに。近い、というかもう構図的に心臓にも悪い。もはや聞こえているんじゃないかと思うくらい早まる鼓動に、数秒前の自分を密かに呪った。

「そ、そこまでする!?」
「そりゃこっちの台詞だ」

 組み敷いているトシの位置から、わたしの顔が真っ赤になっているのなんて丸見えなはずなのに、退いてくれる素振りはまるでない。わたしも人のことは言えないけど、必死か。

「ちゃんと別の日にプレゼント用意するから……!」
「要らねェ」
「いらねェ!?」
「物はな」

 押し倒された拍子に床へ縫い付けられた手は振りほどけるはずもなく、そして彼の口元に押し付けていた手もまた、呆気なく捕まる。そこまで力は込められていないにも関わらず、すんなりと退かされたわたしの手を握るトシは、そのまま手の甲と指先にそっとキスを落とす。柄にないことを、なんていうのは本人が一番よく分かっているんだろう。伏せられた瞼がゆっくりと持ち上がり、まつげの隙間から覗く鋭い眼光が、まっすぐにわたしを射貫いた。

「別に、お前から何かもらおうとか考えちゃいねーよ」
「ど、ゆ意味……んっ」

 一瞬の隙を突いて、唇が重なる。柔らかい感触がゆっくりと離れていくのに比例して、咄嗟に瞑った瞼を開けると、至近距離で交わった双眸が少し熱を孕んでいるように見えて、ドキッとする。ほとんど反射的に握られている指先に力を込めると、何を思ったのか、トシはまたひとつ、キスを落としてくる。ひとつ、またひとつと、角度を変えて、触れるだけのものがいくつも降り注ぐ。それだけなのに、嬉しくて、気持ち良くて、繋がる指先に力がこもる。よがってるみたいで、恥ずかしいのに、好きが溢れてたまらない。
 ようやく離れる頃には、ただ唇を重ねているだけなのに、お互い熱い吐息が漏れていた。たぶん、トシはぐっと堪えてくれているんだと思う、わたしを想って。プレゼントも用意していないのに、彼には我慢させるばかりで申し訳なく思っていると、何を感じ取ったのか、ふっと口元を緩ませたトシはまたわたしの頭をゆっくりと撫でる。でも、さっきよりもその手付きは幾分か荒くて、そこでこれが彼の照れ隠しであったことに気付くのは、少し先の話になる。

「テメーが居りゃ、他に何も要らねーっつってんだよ」





(230505)
★ 5/5 Happy Birthday Hijikata Toushirou.


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