長編 | ナノ

 最低限の衣類。歯ブラシ。洗顔。その他日用品エトセトラ。慣れ親しんだ家を後にするというのに、持ち物は小旅行程度の量で済んだ。これでよし……ふうと息をついてリビングへ向かう。じゃあ、そろそろ行くね。弾かれたように母は立ち上がり、軽く私の肩を抱き、髪を撫でた。

「いつでも帰ってきていいからね」

やさしい母の声色に思わず奥歯に力を入れる。いつだって私を案じてくれたのは彼女だったし、私も彼女を案じてきた。それは、真実が明かされても変わらない。
父の死の真相。彼が私と同じ能力を持っていたこと。私がこれから向かう場所にかつて所属していたこと。閃がここにくる最初のきっかけを作ったこと……家を離れることが決まり、種明かしのように母から本当のことを告げられた記憶がいまだ新しい。それらが今まで秘匿されていたことに、不思議と嫌な気持ちはしなかった。ただただ、全て話せたこと、父の想いを遂げられたことに安堵する母を見て「よかった」心からそう思った。

「うん、ありがとう、ずっと」







 母の見送りを断り、キャリーケースを引きずって指定された場所に向かうと、私を見つけてこちらへ歩いてくる閃の姿。顔を合わせるのはこの間の公園の夜以来だったせいか、やや気恥ずかしくなってよそよそしい会釈をしてしまった。閃はその様子に少し怪訝に眉をしかめた後、よう、と軽く手を上げる。それから無言で私の手からキャリーケースを奪った。

「かっる!いいのかよコレで」
「だって、色々備わってるんでしょ?向こう」
「そうだけどさ……」

やや引き気味の閃に、気まずさが少しずつ解けていく。「追加で必要そうだったら実家から送ってもらうよ」と付け足すと、納得したようなしていないような表情で彼はキャリーケースを引っ張り始めた。いいって、軽いから持てるし。私の抗議も虚しく、そのまま閃はずんずんと歩みを進めた。



 夜行。閃や私のような「異能」を持つ人間が集う場所。父の居た場所。閃の本当の居場所。私のこれからの居場所。未だ現実味を帯びない物事の展開にぼんやりしながら歩く。これから集団生活が始まって、ついこの間自分の異能を知った人間が、異能を使いこなす人間たちと関係を築かなければいけないのか。ものすごい労力が要りそうだ……。大きな鉛が肩にのしかかるような気分に眉間にシワを寄せると、横を並ぶ閃がひょいと顔を覗き込んだ。

「面倒と思ってる?新しいコミュニティ」
「……心読んだ?」

ハア!?読んでねーよわかるだろ!にぎやかな声を上げる閃に思わず頬が綻ぶ。ごめんごめん。図星だったから。どうどうと怒る彼を制すと、不服そうに鼻を鳴らした後、気を取り直して閃は言葉を続ける。

「大丈夫だって。多分お前が思ってるより気さくだぞ、皆」

おもしれー奴も多いんだぜ!ニッと歯を見せて笑った閃に思わずまばたきをひとつ。なんだか、少し幼くなった、ような。いや、違う。この時、私は漸く閃の「内側」に入れてもらえたのだと理解した。

 異能を持つゆえの、明け渡せない最後の門。きっと私に何の異能もなければ、結局永遠にその門は超えられないままだったのだろう。彼が、彼の過ごすコミュニティと、そこで暮らす仲間に心を開いていることは一瞬で理解できた。あの、鉄の鎧で取り繕った閃が。私よりも完璧に「転校生・影宮閃」を演じていたその強さは、きっと彼が夜行という彼の世界を持っていたからであろう。そうしてこれから、彼の世界に私も入っていく。……私も、自分の世界にできるだろうか。不安定に揺らぐ気持ちを一瞥し、今は、閃が居てくれることにひどく安堵した。

「ねえ、置いてかないでね」
「……心配すんな」

ふいと前を向いた閃の耳はすこし赤く染まっていた。生ぬるい風がふわふわと耳元の黄色いウェーブを揺らす。前方に目を凝らした閃が、何かを見つけて眉を上げた。人懐っこい猫みたいだ。つられて前方を見遣ると、背丈の高い、少し頬の痩せた男性。どこかで見たことがある気がした。いつしか、学校の前で道を訊かれた、ような……いや、本当にそれだけか?首をかしげる私をよそに、閃はその人に向かって「細波さん!」と手を降った。



 サザナミ。





 どうして忘れていたんだろう。





 海辺を歩いていた。踏み込む足はさらついた細やかな砂に沈み込む。キラキラと光る水面の反射から目を逸らすと、目の前に父の背中。幼い頃の、遠い記憶。
 思えばあの日も、水族館のときのような心地よさに包まれていた。光る砂浜で、何だってできる、どこにだって行けるような感覚に陥った。

「サザナミ!」

父が遠くに向かって手を振る。視線の先に、背丈の高い、少し頬の痩せた男性。そして、彼の後ろにひっついていたのは、ふわふわと波打つ、黄色い髪の――――……。







「奏?」

 肩を叩かれ引き戻されると、立ち止まった私を心配げに見つめる猫の瞳。
ずっと、探していたのかもしれない。手を引く父を失い、空白に投げ出され、あの日の海辺を求めて幾星霜。


「……ありがとう、閃」
「は?」
「迎えに来てくれて」


いつか君に話そう、あの海辺のことを。たとえ覚えていても、いなくても。
ぽかんと呆ける閃に目を細め、再び歩みを進めた。続く青い空が、鮮やかな海のように広がっていた。


2021/9/3 完結

あとがき(すごくどうでもいい話しかないです)

終わりました。初話の更新を見ると2010年。およそ11年かかってしまいましたが、なんとか。
初めは主人公が異能者であるという設定はなく、そのつもりの展開で書き進めていました。それを途中で書き直したり、更に書き直したり……を重ねたので、通して読むと辻褄が合っていないかもしれません。申し訳ないです。
ともあれ、書きたい流れ、書きたい閃、書きたい情景は概ね書けたかなと思います。

今後の主人公が夜行でどう過ごすか、閃との関係にどういった変化があるのか、他の原作キャラとどのような絡みをするのか……等、一応頭の中に構想(妄想)はあるのですがとくにお話にするつもりはないです。
あんまりないと思いますが、拍手コメントなんかで質問いただければレスで答えようと思います。もうネタバレもなにもないので何でも答えます。話の矛盾にはお手柔らかにしていただけると嬉しい。

当長編の完結をもちまして、こちらのサイトの小説更新は停止します。頃合いを見てサイトも倉庫化します。(見てくれている人が居て嬉しいので、作品は残します)
僻地のサイトで繰り広げられる自己満足に目を向けてくださり、温かい言葉をくださって本当にありがとうございました。



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