長編 | ナノ

「……んなもん、あるわけねーだろ」

 口にした瞬間、全身をどっと後悔が襲った。目の前の奏が、ひどく絶望しきった表情で俯いたからだ。

 突然の奏の問いかけに、俺の頭の中は一瞬でありとあらゆる思考で渦巻いた。何故聞いた?感づかれた?なにか見たのか?仮に信じると言ったらどうする?いよいよあの日のことについて追求されたとしたら?様々な焦燥が絶え間なく頭を駆け回り、とっさにその言葉を紡いでしまったのだ。

「……そっか。そうだよね、ごめんごめん」

顔を上げた奏はすぐにへらりした笑顔を取り繕った。その表情はどこまでも冷たく、どうしようもない諦念を孕んでいた。初めて見るその表情に、とっさにリカバリーしなければと脳が叫び声を上げた。俺のことは、何があったって一般人に話すことが出来ない。けれども、こいつの問いを受け取ってやらねば。核心に触れさせずに、こいつの本心を知るには、どうすればいい?
 はたと、それを解決する手段に行き当たる。それは、二度としないと奏に告げた、読心だった。待て、それはダメだろ。けたたましく鳴り響く警鐘とは裏腹に、俯いてスカートを握り込む奏に焦燥が募る。少し、表面をさらうだけ。踏み込まない、一瞬だけだ。警鐘は未だ鳴り止まない。たらりと脂汗が流れた。できるだけ、不自然さを感じさせないよう、まずは糸口を。

「……とはいえ、変なもんみたことはなくはないぜ」

ぱっと再び顔を上げ、切実な表情で俺を見た。下がった眉、見開かれた双眸はゆらゆらと揺れている。ゆっくりと近寄って、隣に腰を下ろした。霧雨が淡く降り注ぐ。立膝に頬杖をついて、真正面から目を合わせぬよう、すこし横目で奏を見遣った。ダメ押しに、「なんかあったのか?」と一声。それを合図に、ゆっくりと彼女に向かって捕捉を広げていった。
 影のように伸びるイメージはいよいよ彼女に到達しようとしている。感づかれないように、全て捉えきることは避け、影の端で彼女に触れた。うっすらとごく微弱に流れ混んで像を結んだイメージは、渦巻く水……。

 バキン!その時だった。なにか大きな金属が割れるような音が轟き、突然のことに捕捉を中断する。勢いよく背後を振り返ると、貯水タンクに大きな穴が空き、中の水がざあざあと溢れ出していた。

「なんだ!?」

とっさのことにわけも分からずにいたが、とにかく奏をケアしなければと振り向く。表情を見てすぐに、自分の行動が取りうる中でも最も望ましくないものであったことを悟った。あの日……あの学校案内の時と同じ、いや、それよりももっと怯え、更にはひどく傷ついたような表情の奏は、腕で身体を守るように抱いていた。

「……嘘ばっかり」

 震える唇から、冷たい声で確かにそう溢れた。血液がすべて流れ落ちてしまったかのように、全身から温度という温度が引いていく。嘘ばっかり。もはや何に対してそう言われているのかもわからないくらいに、俺は奏に嘘を吐き、更には約束さえも破った。さっきまで鳴り響いていた警鐘は、一転、恐ろしいほどの沈黙を貫く。まるで、もう遅い、静かに噛み締めろ、そう告げているようだった。

「いや、違……」

 何を言うかも決めきらないままとっさに口を開いて目を泳がせた俺は、信じられない光景を目にすることになる。

 貯水タンクから溢れ出した水が、1つの流れを形作って奏の足元で渦巻いていた。さきほど補足したイメージと同じ、水の渦。言葉を失う俺に奏も足元を見下ろして、とうとう堰を切ったように走り出した。まっすぐ槍に貫かれたように胸が軋み、本能が告げるままに彼女の細い腕を掴む。

「待て!」
「っ、離して!!」

泣き叫ぶような悲痛な声に思わず心臓が動きを止めた。言い訳することも許されないほど彼女を傷つけ、自業自得ながらも打ちひしがれた俺に、無理やりにでも彼女を抑え込む力は残っていなかった。

 大きな音を立てて閉じた屋上のドア、遠ざかっていく足音。渦巻いていた水は形を失い、屋上の床にただ当たり前のようにじわりじわりと広がっていった。

 どくんと思い出したように心臓が動き出す。様々な感情に整理もつかぬまま、ひたすらに先程の出来事を反芻していた。彼女の中の渦のイメージ。読心の途端破裂した貯水タンク。そして実際に目の前で姿を見せた、あいつのイメージ通りの水の渦。

 それを俺は、嫌というほどよく知っていた。






 あれは、紛れもなく異能だ。
 










2021/1/25




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