長編 | ナノ

 見事なまでの晴天である。普段それほど外で駆け回るような性分ではない自分にとって、夏の日差しはあまりにも暑すぎた。体中の水分が枯渇し、まだ待ち合わせの段階だというのに危うく死にかけたので慌てて水を買う。丁度アクセスのいい位置にある学校の最寄り駅で、私は閃を待っていた。
 ぼんやり、彼の唐突な外出の誘いを思い出す。結局、あの後ぐだぐだと外出先を議論するだけで一向に確定しないまま数日が過ぎ、予定がなあなあになりかけたところで閃が水族館のチケットを2枚引っさげて屋上へやってきた。「知り合いから丁度貰った」ラッキー、タダ券だぜ、なんてニッと笑った閃の現金な表情が記憶に新しい。きっかけが与えられてしまえば後はトントン拍子、そんなこんなで休日の今日、私達は近くで最も大きい水族館に向かうことになったのだ。思えば、このシチュエーション、傍から見ればデートと捉えられても可笑しくないのではないか?今更気づき「クラスの人間に知られないようにしないとな」などとぼんやり考えた。面倒はもうゴメンだ、ため息を付いて水が入ったペットボトルを首に当てる。ひんやり、冷たさが心地いい。汗がまとわりつく不快感は変わらなかったものの、不思議と調子がよく、気分も上向いていた。浮かれているなあ。口元が緩みかけたので隠すように俯いた。同時に、足元に落ちる影。

「すでに死にかけてねーか?」
「……間違ってはいないかも」

 顔を上げると閃が立っていた。コレ、遅れた詫び。そう言って閃は小さめの鞄から汗ふきシートを取り出した。意外とマメなんだよなこの人。あと別に遅れてはいない……諸々思考が巡ったが、暑さで舌が重くなっていたので黙ってシートを受け取った。首元を拭う私を、閃が感情の読めない顔で眺めている。私服で会うのは初めてだろうから、物珍しいんだろうか。しばらく無言の時間が続いたが、私が汗を拭き終えるのを確認すると「行くか」と短く閃が呟いた。暑さのせいだろうか、閃の耳許は心なしか赤くなっていた。


 「併設カフェのサンドイッチが美味いらしい」「ショーが意外と評判がいい」ノーリサーチでのうのうとここへ来た私とは対極に、閃は色々と見どころを調べてくれていた。話題は尽きることなく、あれやこれやと議論する私達を、電車がガタゴトと運んでいく。

「面白そうだね。私カワウソ見たい、餌やりしてるところ」
「ショーじゃねえのかよ」
「え?餌やりもショーじゃないの」

ただタイミングが合えば、屋上で話す。それ以上でもそれ以下でもない関係だったので、こうして二人で出かけることに若干の不安と緊張はあったものの、すぐに杞憂だったと思い直した。いつものように他愛もない会話が進むことに安心し、また頬を緩めた。

「何笑ってんだよ。街頭アンケート取ったら絶対俺の意見のほうが多数派だからな」
「ごめんごめん、そういうのじゃない」
「どういうのだよ……」

ムッと唇をへの字にするのが可笑しくて笑うと、やや思うところがありそうな表情はそのままに、手早く携帯を操作してカワウソの餌やりがあるか調べ始めた。閃がこんなに何かに意欲的なのは珍しい。実は、めちゃくちゃ水族館が好きなんだろうか?確かに猫っぽいし、魚がいると嬉しいのかな。おそらく本人が聞いたら更に眉間のシワを深めそうなことを思いながら、自分が最後に水族館に行ったのはいつだったかしらんと考える。そもそも、ここ最近そういったレジャーを楽しんだ記憶が無い。うんと小さい頃は、水族館やプール、海へ川へよく連れて行って貰っていたけれど……そこまで考えて、蓋をしている記憶を呼び起こしかけたので思考を止めた。せっかくの休日に余計なことは考えたくない。乱れかけた心拍を抑えるように、車窓から遠くを眺めた。

「おい」

 閃の一言で意識が引き戻される。突然遠い目をした私を不審に思ったのか、怪訝そうな顔をしながら携帯の画面を見せてくれた。

「一応お前が見たいのもやってるっぽいぞ」

素直に画面を覗き込んだタイミングで、大きく電車が揺れた。突然のことに反応しきれず、盛大にバランスを崩し閃の首元に上半身が傾く。「思えば、このシチュエーション、傍から見ればデートと捉えられても可笑しくないのではないか?」先程閃を待ちながら浮かんだ余計な思考が、見計らったようにフラッシュバックした。先程借りた汗ふきシートと同じ香りが閃の首筋から漂い、気がおかしくなりそうになってとっさに顔を上げてしまった。全く頭が回っていない自分を殴りたい。私が顔を上げたことによって大きく近づいた鼻先に、せっかく拭いた汗はあえなく再び吹き出した。眼前の猫のような双眸はまんまるく見開かれて、整った顔がみるみる赤く染まった。そりゃそうだ、この距離の近さ、誰だってそうなる。私も閃も、この反応は不可抗力だ。あらぬ可能性が浮かぶ前に結論づけていると、救いの手を差し伸べるかのように電車は目的地に到着した。

「お、降りなきゃ」
「わーってる……!」

バッと体を離して立ち上がる。
電車を降りても、汗ふきシートの香りは鼻孔に残ったままだった。




2021/1/14

久しぶりに続きを書きました。
実は前からもう大まかな流れと結末は決まっているのですが、書ききれるかどうかは謎です。



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