長編 | ナノ

「……で、結局それが小6まで続いた。周りの人間に助けを求めたこともあったけど、我関せずで結局解決しなかった。……私が小学校を卒業する時にお母さんは離婚を決めて、今は二人で暮らしてる」

 日は少し傾き、何色とも言い難い色に空を染め上げていた。誰にも打ち明けたことのない話。言葉を選びながら話したので、少し時間がかかってしまった。その間も、閃は身じろぎ一つせず黙りこくって耳を傾けていた。

「だからね、閃が頼りないんじゃない。私が頼れないんだよ」

そう紡ぎ、話に終止符を打つ。あの世界で、私と母は二人きりだった。他人に多くを求めてはいけない、自分の身を守れるのは自分だけなのだ。価値基準の根底を形作る幼少期、洗脳のように刷り込まれた考え方の根はあまりにも太く、深い。

 閃は黙ったままだった。気まずそうに、腫れ物を扱うような反応をされても致し方ないと思っていたが、その眸は逸らされることなくまっすぐ私を見つめていた。

「話させて悪かったな」

本心が聞けて、俺としては悪くなかったけどな。苦い顔をするわけでもなく、かといって笑ってごまかすわけでもなく、ただ単調に閃は告げた。きっと彼の予想に反する質量のエピソードをぶつけてしまったことに対し、今更ながらに芽生え始めた後悔を、閃の言葉が淡く溶かしていく。

「こちらこそ、聞いてくれてありがとう」

自然と言葉が口をついて出た。記憶を掘り起こし、更には言語化して外に出した反動がないと言えば嘘になる。けれど、その相手である影宮閃が、変わらぬ態度でただそこに居続ける事実が痛みを和らげた。話したとて、過去も考えも変わらない。しかし静かに耳を傾けて貰った時間は、確かに私の中の何かをゆるく紐解いた気がした。


「……ああ、あと、前に訊かれたスカートの話ね」

 この際だ、と慣性に任せて切り出す。特に問われてはいないが、一度はぐらかしてから近寄らせなかった秘密を明け渡すなら今しかないと感じた。
 親指と人差指でプリーツの裾をつまみ、ひらりとめくり上げる。突拍子もない行動に閃がうおっと間抜けな声を上げたが、すぐに現れた短パンを見てスンと表情が抜けた。なんだその顔は、と思いながらも、更に短パンの裾を少し捲りあげる。姿を見せたのは、20センチほどの切り傷の跡。

 詳しいことを語らずとも察した様子の閃は、裾を持つ私の手に彼の手を重ねて無理やり引き下ろした。重なった手はひんやりと冷たく、心なしか震えているような気がする。

「いい、もういい。悪かった」

陰った空は、俯いた閃の表情を隠していた。ぎゅう、未だ離されることのない手に力が込められ、骨がきしむ。声を上げるにはあまりにも切実な雰囲気に押し黙り、大人しく痛みを享受する。

「すぐじゃなくていい。俺が信用できないなら、俺じゃなくてもいい。誰かに吐き出すくらい、諦めんなよ……」

勝手に背負って一人でどっか行こうとすんな。最後に、ほとんど聞き取らせるつもりがないくらいに小さく絞り出された声が空気を揺らした。

 根付いた記憶、過去、経験に抗えない。体と心が否応なしに避けようとする、文字通りの地雷。けれど恐らく、私が抱え込むことは、閃にとってもまた地雷であることをこのとき私は漸く悟った。懇願するような目の前の閃が、自分の鏡写しであるように思えた。一層力が籠もるその手に、自分のもう片方の手で思わず握りしめる。閃が力なく顔を上げ視線がかち合った。

「……善処してみる」
「それ、”出来ない”の遠回しな言い方じゃねーか……」
「はは、ちがうよ。自信ないけど」

脱力したように二人でゆるりと笑いあった。それからゆっくりと解き合ったお互いの手には、赤く指の跡が残っていた。




2011/7/28
修正(タイトル含) 2021/1/20




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