長編 | ナノ


 ほとんど一方的な尋問を受け、痛む胃をさすりながら帰路についた次の日。足取り重く教室に向かう私の前に、いかにも不機嫌です、そう顔に書いてあるのが見えてきそうな表情の閃が立ちはだかっていた。形の整った細い眉がきつく歪められ、口はいつにもましてへの字に曲がっている。1つに結われた黄色い髪は心なしか逆だっている用に感じる。まるで威嚇する猫だな、のんきにそんな事を考えていると、とぼけ顔の私にしびれを切らしたのか、閃はツカツカとこちらに歩み寄り私の腕を掴んだ。

「ちょ、なに?」

声をあげても閃はむっすり黙ったまま。そのまま腕を引っ張られて半ば引きずられる形で連行される。昨日の今日でこの状況、彼女たちが見たらまたお叱りを食らうんじゃないのか?まずい、と思い、掴まれた腕を引いてみたが、抵抗虚しく連行は続く。腕に食い込んだ骨ばった手を見て、彼も男なのだから無理やり振り払う事はできないだろうとすぐに諦めた。
怪獣のような足取りで階段を登る閃の背中を見上げる。いつもは華奢だと思いながら眺める背中のはずが、今は大きな壁のように見えた。行き先は恐らく屋上であることは推し量られたが、どうしたって閃の考えている事がわからない。2日連続で屋上で叱られるのか?そもそもどうして閃はこんなに怒ってるんだ……。

 むんずと屋上のドアに閃が手をかけ、勢いよく押し開く。眩しい光が差し込んで、少しだけ昨日の景色と重なった。外は快晴、心地よい風がさらさらと吹いているものの、私の心は真反対に曇天だった。ようやく私の腕を解放した閃がこちらを向く。相変わらず、シャーと威嚇する猫のような様相を呈していた。

「お前……昨日女子に呼び出されてたって本当かよ!?」

ああ、それね……一瞬で主旨を理解した。
 呼び出しのことは、閃に話していなかったし、話すつもりもなかった。話したところで閃にできることはないし、余計な気を遣わせるだけだ。何より、そういった事を打ち明けることが、私は得意では無かった。

「……呼び出し?」

一応、とぼけてみる。どこから入手した情報かは知らないが、勘違いとして処理できるのならそれに越したことはなかった。立て続けに他人から詰められるストレスで胃がもやもやしている。早くこの場を収めたい。

「たまたま現場に遭遇したクラスの奴に聞いた。とぼけても無駄だかんな。俺絡みの話らしいな」

また、火に油を注いでしまったようだ。閃は苛ついた表情で私を睨みつける。鋭い三白眼に射抜かれ、手に汗が滲んだ。目をそらすことを許さない剣幕に内心たじろぎながら、私は場違いにも彼の怒りのトリガーについて思案していた。
 影宮閃という人間の、その感情の振れ幅について、誤って捉えていたのかも知れない。クラスの人間への態度と私への態度の差から、自分の本性を見せる相手に対してはある程度の情を持ち合わせているのは知っていた。幾度となく彼の気遣いを享受したからこそ、今のこの不可侵の関係が成立している。ただ、それは彼の優しさだけでなく彼の無関心から由来するものだと、今まではそう捉えていた。要は彼が私に関する出来事でここまで感情を荒げるなど、予想だにしなかったのだ。

「ああ、それね……呼び出しってほどでもなかったから、何のことかわかんなかった」
「嘘だろそれ」

 吐き捨てられる。おもわずビクリと肩を揺らせば、閃はハッとした表情をした。とたん、風船がしぼんだように「……悪い」とだけ零した。先程とは一変、バツが悪そうにモゴモゴしている。

「ええと……さっきからどうしたの……怒ったり謝ったり」
「……俺だってキレたかったわけじゃねえんだよ……それに、お前がそういうの進んで話したがる奴じゃないことも、知ってた」

本当に表情がコロコロとよく変わる人だ。ささくれだっていた雰囲気はいまや勢いを失い、閃自身も会話をどちらに運べばいいのかわかっていない様子だった。怒りたかったわけでも、責めたかったわけでもないということはわかっている。感情の荒げ方にいささか面食らってしまったものの、そこには紛れもない善意があった。

「……本当に大したことなかったよ。閃とどういう関係?って聞かれて、普通に仲がいいだけで恋愛関係じゃない、って答えただけ。特に何もされてないし大丈夫」

 本当のことを言っていると証明できるように、まっすぐ彼の双眸から目をそらさずに告げ、表情を伺ってみた。ゆら、ゆら、縦長の眸が揺れている。何かを見透かさんとするまなざし。判決を下されるのを待つような気持ちで沈黙を見送り続けていると、閃がハアアと大きなため息を吐いた。ひとの顔見てため息吐くなよ。

「お前さあ……なんで言わないんだよ、そういうの」
「いや、閃が帰った後に呼ばれちゃったし、すぐ来いって感じだったし……話すタイミングなかったんだよ」
「だとしてもだよ。この場で俺が追求しなきゃ隠すつもりだったろ」

おっしゃるとおり過ぎて返す言葉もなく、どうしたものかと頭を悩ませていると、その様子を見た閃がその場にしゃがみこんで、ポツリとこう言った。

「なあ、……そんな頼りねーかな、俺」

……信用、か。たなびく風が彼の横髪をすくい、その表情を隠した。



2011/3/19
修正(タイトル含)2021/1/19



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