長編 | ナノ

昼前の屋上には生暖かい風が吹いていた。扉を開けて滑り込んできた湿った空気に顔をしかめる。ぶわりとスカートの裾が舞い上がった。

「ちょっ、押さえるとかしろ馬鹿」
「え?……あ、いたの」

先に来ていたらしい閃が此方を見るとも見ないともわからない姿勢で振り向く。隣の席の可愛い子には興味ないくせに、こういう事は気にするのか。なんだか変な気持ちになってしまう。

「でもお前さ」
「ん」
「他と比べてスカート長いよな」

吹き抜ける風を鬱陶しがるように手を翳した閃はそんなことをぼやいた。沈みきった泥に石を落とされたみたいに、ざわざわと暗いものが込み上げる。

「……変態か」

そう返すのに精一杯だった。
月日は経ったというのに、まだ忘れきれない記憶が、私の奥底にはある。それは今の私を構成するための全ての基盤として、逃れられない過去であった。たなびくスカートをそっと押さえる。秘密を大事に隠すように、しっかりと押さえる。
閃という人は驚くほどに目敏くて、微かに力の籠る私の指先を見逃さなかった。「スカート上げるのも面倒とか、ありえねー」悪態をつく。本当にこの人は、かわすのが上手い。もう大体私の扱いを心得ている。私のほしい言葉をくれる。私のいらない言葉を飲み下す。どこまでも甘やかされている。

「……ごめん、ありがと、閃」

何の事だかとそっぽを向かれた。ねぇ、そうやって優しくするから、私は思わず絆されてしまうんだ。

生温い風はそれほど強くはなかった。けれどと一向に止むことを知らない。金色の柔らかい髪が揺れている。触れたいだなんて思ってしまった。だけど多分、今の私には触れられない。だって今も私の両手は、このスカートを押さえ込むことに手一杯なのだ。この内側に守られた私の過去を、彼に見せるまいと必死に隠しているのだ。今彼に近付いたら、思わずこの手を離してしまいそうだった。それでも閃は、またかわしてくれるのだろうか。それとも受け止めてくれるだろうか。それとも。華奢な背中を見つめながら立ち尽くした。

2010/1/25
修正 2014/2/17







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