三話 疑

飛行基地では、団蔵と左吉、滝夜叉丸が話をしていた。兵太夫の姿を見つけた団蔵は、嬉しそうに手を振りその傍に駆け寄る。


「兵太夫、なんだか最近発動機から変な音がするんだけど…」

「わかった、見てみる」

兵太夫はウエストバッグから工具を幾つか取り出し、機体を分解し始めた。

「……!」

この前点検した時には何処も異常が見当たらなかった筈の発動機の螺が、一ヶ所だけ緩んでいる。

やはりこいつは天才だ、と兵太夫は目を見張った。…先輩方のような熟練パイロットならともかく、飛行機乗りになってほんの数ヵ月の素人が。

団蔵は他の飛行兵に比べ、機体の不調には敏感だった。兵太夫はそんな彼を好いていた。細かな点検や複雑な修理の依頼は、才能を持て余している一流整備士、兵太夫にとって、やり甲斐がある仕事だったからだ。尤も、彼が一人の人間として、団蔵に特別な想いを寄せているから、というのもあるが。


「はい、おしまい」

「ありがとな兵太夫!」

言うが早いか、団蔵は意気揚々と操縦席に乗り込む。

「なに、早速飛行練習?」

「いや、模擬空戦。庄左ヱ門と約束してたんだ!」

空を仰ぐと、庄左ヱ門の機体が空中でぐるぐると旋回を繰り返していた。

「ほら、庄左ヱ門が早く来いって呼んでる!」

団蔵はそう言ったが、兵太夫にはよく解らなかった。飛行機の整備は出来ても、飛行機乗りの気持ちは解らない。彼ら飛行兵は、何処か別世界の人間…いや、自分とは別の生き物のようだった。例えば、背中に翼が生えた鳥のような…何か。


「じゃあ、行ってくる!」

兵太夫はその言葉にはっと顔をあげた。

「無茶しないでよ、いい?」

そう念を押して、今まさに離陸しようとする機体から距離を取る。

「了解!」

団蔵はおどけた調子で敬礼をする。直後、強い風が吹く。辺り一面に立ち込める砂埃に、兵太夫は思わず腕で顔を覆った。


次目を開けた時、団蔵の姿は遥か遠い空にあった。


「……っ、」

…まただ。本当の空戦ではないというのに、この胸は無性にざわつく。行ったきり、彼がもう二度と帰ってこないような。離陸の瞬間に感じる、裏切りのような何か。
…見送るのには、どうにも慣れない。翼のないこの身体は、地面から離れることは出来ず、遠ざかるその姿をただ見つめることしか出来ない。


…そうだよ、僕は飛べない。


(こんな話、何処かであったような…)

不安を隠すように、そっと目を伏せた。


**********


「いやぁー、やっぱりお前には敵わないよ」

操縦席から下りた庄左ヱ門がゴーグルを外し、苦笑いを漏らす。

「へへっ、あー…楽しかった!」
団蔵も満足そうに笑い、操縦席からひょいと飛び降りた。

「俺、シャワー浴びてくる!」

「ああ、いってらっしゃい」

兵舎に駆けていく団蔵に、庄左ヱ門は軽く手を振る。


「庄左ヱ門」


「……!」


名前を呼ばれた瞬間、その身体はぴたりと動きを止める。振り返った彼の表情は、先程の笑顔とは別人のように険しいものだった。


「…何の用ですか、池田先輩」


──池田三郎次、十四歳。海軍所属の彼は、戦艦『カノコ』の乗組員だ。

三郎次は涼しい笑みを浮かべて答える。

「別に?通信塔に用があったから、ちょっと寄ってみただけさ」

「…そうですか」

庄左ヱ門は、三郎次を好いていなかった。彼の無神経な発言と、平然とした態度がどうにも性に合わなかった。

「なんだよ、そんな恐い顔するなって!」

ぽん、と肩に置かれたその手を、庄左ヱ門は乱暴に払い除ける。
彼がこれ程までに三郎次を毛嫌いするのには、もう一つ別の理由があった。

──通信塔にいる通信隊員、二郭伊助。彼と庄左ヱ門は、所謂恋仲であった。同性愛者は、兵士ばかりのこの島では然程珍しいものではない。慰安所にいる慰安婦の代わりに、新兵に夜の相手をさせる上官もいた。庄左ヱ門は、三郎次もその一人ではないかと疑っていた。この男は、何かと伊助に馴れ馴れしい。


「あぁ、そうだ。近頃は敵軍の勢力が増して、迎撃にも手こずってるみたいじゃないか」


……精々死ぬなよ。


耳元で囁かれたその言葉に、庄左ヱ門はざわりと鳥肌が立つのを感じた。

「…えぇ。先輩方も、健闘を祈ります」

怒りを抑えて笑みを作る庄左ヱ門に背を向け、三郎次はそのまま通信塔へと向かった。その背に、確かな殺気を感じながら。


**********


「おい池田ぁー!」

通信塔を出て海軍基地に向かおうとしたその時、何者かに呼び止められる。
声のする方を振り返ると、其処には赤錆色の髪の少年が、息を切らして立っていた。

──富松作兵衛、十五歳。三人編隊の小隊長を務める飛行兵の彼は、どうやら人探しで通信塔まで来たようだ。その手には、千切れた縄が握られている。

「“あいつら”見てねぇか!?」
「いや、見てないですけど」

三郎次の言葉に、作兵衛はがっくりと肩を落とした。

「くっそぉ、あいつら今度は何処行きやがった…!!」

その様子を、三郎次は面白そうに眺める。

「陸軍の戦闘に巻き込まれて死んでなきゃいいですけど」

「……はっ、バカ言え!」

作兵衛は三郎次の縁起でもない冗談を笑う。しかし、強気な態度とは裏腹に、その瞳には不安の色を滲ませていた。


「…さんのすけぇー!さもーん!!」


その名を呼ばれた彼らは、何処に。


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