小噺弐

【会計と潮江】震える右手が最後の数字を導きだし、漸く解放されるその時がきたのは、開始から三日目の晩のことだった。はぁと長い溜め息を吐き静まり返った部屋を見回せば、いつの間にか床に無造作に身を投げ出しすぅすぅと寝息をたてる後輩たち。抱き合うようにして眠る四人の姿に、三日分の眠気がどっと襲ってくる。部屋に戻るのも布団を運ぶのも億劫で、そのまま隣に寝転がる。お疲れさん、そう呟いたその時、寝返りをうった左門の右足が思いきり腹に叩き込まれた。

//休息

【不破と鉢屋】大人になんてなりたくないなぁ、と普段大人びている君が珍しくそんなことを言った。どうしたの、と聞けば曖昧に笑う。…いつか二人の道が別れてしまうのが恐いのさ。そう呟く君はとても悲しそうだった。大丈夫だよ三郎、僕らはずっと一緒さ!そんな一言で笑える君は、やっぱりまだ子供なのだろうね。このまま時が止まってしまえば、幼い僕らはずっと幸せなのにと思ってしまう僕も。

//無知な子

【久々知と竹谷】なあ、一体どうしたんだ。今日のお前ときたら、随分と口数が少ないじゃないか。そういえば、さっき目を腫らした伊賀崎に会ったんだ。もしかして、飼っていた生き物が何か死んでしまったのか。…そうかハチ、お前は本当優しいやつだなぁ。ほら、今日だけは俺が慰めてあげるよ。明日になればきっと、お前はいつものように笑ってくれるんだろう。

//木霊

【不破と鉢屋】顔を貸してくれてるお前にまで、素顔を見せたことはない。私は、嘘つきだな。ぽつりとそう呟けば、雷蔵は別にいいじゃないか、と目を丸くする。私はんん、と煮え切らない表情で唸る。雷蔵はぱんと手を叩き、やれやれと溜め息一つ吐いてにっこり微笑んだ。「暗い話はもうおしまい」そうだね、もっと楽しい話をしようか。笑える想い出話とか、遠い未来の夢語りとか。さぁ、何から話そう。

//雑談


【善法寺と三反田】僕が死んでしまったらその時はどうか笑っておくれ。生前、貴方が僕にそう言ったので、僕は笑います。貴方はもうこの世にいませんが、僕は笑って生きています。貴方の温かい手も穏やかな声も優しい笑顔もそこにはありませんが、ちゃんと僕は笑えてます。大好きだった貴方が死ぬ間際に交わした約束なので。貴方が最期に望んだただ一つのことなので、大好きな貴方の為に、僕は、今日も不幸せに笑います。

//嘘吐きの笑顔

【二郭と黒木】※四年
紅葉の舞う秋の暮れ、小さな部屋の片隅にて君を呼ぶ。なあにと返ってきたその声に僕は問う。どうして人は生きるのだろう。返ってきた言葉は、酷く素っ気ないものだった。さあ、ね。僕はさらに君に問う。どうして人は人を殺すのだろう。返ってきた言葉はやはり酷く素っ気ないものだった。さあ、ね。立ち上がった君はそのまま障子の向こうへ去ってしまう。部屋に一人残された僕は、散りゆく外の世界を見つめる。思い出す、融けるような真夏のあの日。強く握りしめた掌に残る鈍い衝撃、怪しく煌めく切っ先に滴る、草木の緑に映える赤。責めるように皮膚を焼く太陽に、死にたくないと顔を歪めた名も知らぬ誰かの死体──…。

//心を殺した日

【綾部と浦風】綾部先輩、とずっとずっと上の方から聞こえる誰かの声。ああ、藤内か。何の用だい、僕はもう疲れてしまったんだ。穴に落ちてくれる不運なあの人も、掘った穴を誉めてくれる綺麗なあの人も、厳しく叱ってくれる逞しいあの人ももう二度と帰ってこないのだから。何の意味も持たない穴を掘ることしか出来ない僕が生きる意味は、一体何なのだろうね。正しい答えを期待した訳ではないけど、藤内はやっぱり何も答えてはくれなかった。代わりに、今日は随分と深く掘りましたね、と声をかけられ、私はくすりと笑う。そりゃあ、この穴は私の墓穴にするのだからね。そう教えてやれば、大きく見開かれたどこまでも澄んだ二つの瞳。それならほら、意味のない可哀想なこの穴も、少しは報われるでしょう。土で濡れた頬を汚れた袖で拭いながらそう言えば「僕も、ご一緒していいですか」なんて声が遠くから響く。深い深い穴の底から見上げた空、ずっと上の眩しい世界からぽたぽたと温かい滴が降ってきて、そこで初めて寂しくなった。

//空の涙

【潮江と立花】真夜中、そろりと襖を開ける音で目を覚ます。悪いな起こしたか、と謝罪する同室の潮江文次郎に眠い目を擦りながら大丈夫だと返し布団から顔を覗かせた。こんな時間に鍛練か、と問えば、会計委員が久々に暇な時期でな、身体を持て余してたんだ、と汚れた制服を脱ぎながら答えた。お前は何処までも熱心な鍛練馬鹿だな、全く感心するよ。私としては素直に誉めたつもりなのだが、そいつは酷く険しい顔つきで腕の切り傷を指でなぞった。なに、俺は死を恐れているだけだ。独り言のように呟かれたその本音は私の耳にしっかりと届いていたのだけれど、返す言葉が見つからず、寝た振りをした。暫くして、障子が閉められた、恐らく風呂に行ったのだろう。…死を恐れている、か。…私は、どうなのだろう。あいつのその一言がいつまでも胸につかえ、様々な想いが巡り、今夜はもう眠れそうにない。

//臆病者ども

【3ろ】ちょいとそこのお前さん。人を探してるんだがしらねぇかい。そいつらときたらとんでもねぇ方向音痴なもんで、本当俺がいなきゃ駄目なんだよ。ちょっとばかり目を離した隙にまぁた置いてかれちまってさぁ。二人とも体はもうねぇけど、まぁあいつらのことだ。きっとまだ冥土への道がわからずに、この世をうろうろしてるだろうと思ってな。俺がしっかりあの世まで送ってやんなくちゃ。

//さ迷う生者

【潮江と立花】なぁ文次郎、と部屋の隅に置かれた机で熱心に教科書に向かうその背に声をかければ、なんだ、と無愛想な返事が返される。「お前を愛している」と言ったら、お前はどうする?言い終えて、くすりと笑いが込み上げてきた。我ながら愚問だ、全く女じゃあるまいに。ぴくりと僅かに身体を強張らせ、振り向かないままで奴ははん、と吐き捨てた。「そいつは笑えねぇ冗談だな」私はふっと笑い、長く伸びた黒髪を鋤いた。「ああ。冗談、だ。」冗談なら、よかったさ。気づかれないよう溜め息一つ吐けば、うっかり泣きそうになった。本当、笑えないな。今、振り向いてくれるなよ。

//戯れ言

【七松と平】滝の手は綺麗だなぁ、と私の手のひらを撫でながら貴方が囁く。突然何を言い出すのですか、と苦笑いをすれば、貴方はどこか寂しそうに笑った。「…この手もいつかは私のように汚れてしまうのか」そう呟いたその横顔は、今にも泣き出しそうに歪められた。私は貴方の手を握り返し、微笑む。「貴方の手は温かいです、とても」その手に染みついて洗い流すことなど二度と叶わない、誰かの血の色、血の臭い。けれど貴方は知らないのでしょうね、私の手も、もう。

//赤い指先

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