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07 他説その二

 どうしてくだらない噂はいつまでも消えないのだろうか。どう見えるのか知らないが、俺とみょうじは付き合ってないしそういう関係ではない。否定し続ければ、周りが諦めるだろうと思っていた。迅や嵐山といても嫉妬しないのに、みょうじとだけなんておかしい。
 放課後、一緒に帰りたいと言う(その日付き合っていた)彼女の誘いを、本部へ行く用事があるからと断ったら、次の日に「私とは帰れないのにみょうじさんとは帰るんだ」と鬱陶しいことを言われ別れたのは一昨日の事。その前の日もその前の前の日も一緒に帰ったのになんで?
 この間なんて、俺が冗談半分でみょうじを下の名前で呼んだら、それを聞いていた彼女がみょうじを呼び出したらしい。当人同士ではない、別の奴から聞かされた。その後みょうじに確認したら「冗談でも下の名前で呼ばないで。次は拳で訴えるわよ」と脅迫された。
 女ってムズカシイ……。次の彼女はもっと優しそうで嫉妬しなさそうな子にしよう。

「みょうじさん」

 友人たちと昼飯を食いながらぼんやりとしていたのに、教室の端っこで他クラスの男子があいつを呼ぶ声は耳に入った。内容までははっきり聞こえなかったが、体育館倉庫に呼び出されたっぽいことは聞こえる。横目で一瞬だけ確認したが、みょうじが後頭部を掻く後ろ姿しか見えない。
 男子に小声で呼ばれたってことはつまり面白い話なんじゃないか? 今の今まで色気のまったく無かった友人に、ついにその手の話が持ち上がったのか!
 みょうじが男と付き合う姿なんて一つも想像できない。あいつ自身は「彼氏欲しい」とぼやいていたから、上手くいけば初彼氏ができるだろうと人の恋路にワクワクさえした。男についてなーんにも知らなさそうだから、本当に彼氏ができたんならここはひとつ俺が一肌脱いでやろう。
 さっそく今日の放課後捕まえて本部へ行きながら話を聞こうと、意気揚々としていた。

 この時、この瞬間までみょうじなまえはこの程度の女だった。



 しかし、みょうじは呼び出しに応じて昼休みに抜けたまま教室へは戻ってこなかった。
 つまんねーの。地味気な男だったが、意外と盛り上がってんだろうか。戻って来たらどんなだったか詳しく感想を聞かせてもらわないとな。

 防衛任務が入っていたからそう遅くまで待っていられなくて、結局みょうじが戻らないまま俺は学校を出て本部へ向かった。まぁ俺に負けず劣らず戦闘狂だし、今日は風間さんに指導を受ける日だと朝嬉しげに話をしていたから、どんなことがあっても今日中には本部へ顔を出すだろう。

『緊急事態よ。門誘導がエラーを起こして市街地にネイバーが出現したわ』

 最後まで言われなくとも同時に送られてきたデータを視野に入れ、すぐさま体は動き出す。この頃はまだ門誘導も完璧ではなく確率は低いが市街地へ門が発生することもあった。だから、この時特に焦りはなく、冷静に現場へ向かっていた。

『現場は市立第一高校。付近の市民は避難が遅れて――た、大変! 体育館倉庫付近に人体反応が!!』

 目前で土煙が立ちのぼる。まさか自分たちの学校にトリオン兵が来るなんて。明日は休校で決まりだなと気楽に考えていたが、近付くにつれ次第に胸騒ぎへ変わった。
 もしかして、と一つの可能性が頭に過り背筋が凍てつく。そんなわけないと浮かぶ可能性を否定しながらも、トリガーを持っていれば必ず繋がるはずの内部通話があいつにだけ繋がらない。
 闊歩しはじめた巨大なバムスターを斬り落とすことより、何度も内部通話で呼びかけるほうに意識をやっていた。なのに別の回線を通じて「人命救助急いで!」と悲鳴染みた声が聞こえるばかり。

 跡形もないバムスターの残骸なんて退けるまでもない。半壊した倉庫は、壁に並べ置かれていた物がすべて落ち、破裂したボールの破片が塵埃を被り色を失っているのが見える。
 まさかこんなところに人がいるはずない。いられるわけがない。
 ずるり、と瓦礫の間から何か動く気配がした。

「おまえ、なんで……」
 
「た、ちか、わ? ごめ……肩、かして、くれない?」

 あれは人間だろうか。人間だったとしたらこいつは助からないだろう。もうダメだ。助からない。こいつは死ぬ。ダメだ。死ぬ。
 痛みに顔を歪めながらも笑った顔が知ったやつに見えなくもない。灰色の粉塵に埋もれそうな赤。脳内で響いて欲しいはずの声は空気を伝い鼓膜を直接揺らす。
 まさか、あのみょうじなわけない。みょうじならトリガーを持っている。トリオン体ならこんな瓦礫でどうにかなるはずない。例えみょうじであっても、あいつがこんな瓦礫で死ぬはず――

「……なまえ……なまえっ、なまえ!」
 
「よぶなって言ったじゃん。……ともだちなのに、へんだよ」

 なんとか掴めたのは冷えた赤い指先。溢れてはクリアになり、また溢れるまで見えなくなる視界。どこから滴り落ちている水かはわからないが、こうしていれば血を洗い流せるだろうか。
 友達なのに名前で呼べなくて、友達なのにこうなる前に助けられなくて、友達だからこんな時抱きしめることもキスすることさえできない。
 こいつの腕はこんなに細かったか? 首も脚も腰もどこもかしこも細くて薄っぺらい。お前、どこを鍛えてたんだよ。こんなんじゃ瓦礫に埋まって、どこが折れてたっておかしくない。頼もしいと思っていた背中もこんなにも小さくて……。

「慶」

 か細くて消え入りそうな声。どんな女に呼ばれるより耳心地良く、どんなセックスの時より甘くて、苦しい。こいつが死ねば二度と聞けることはないのか。


 


 病室の扉を開ける前に一度足を止めた。何を想うでも、何を考えるでもない。吐出した長い息は深呼吸なんかではない。

「よぉみょうじ」

「太刀川ー! お菓子持ってきてくれた?」

「太るぞ」

「明日には退院できるからいいの」

 手渡したチョコレート菓子を嬉しげに開けてすぐに口へ放り込んだ。太るどころか長い入院生活だったせいか、以前よりもいっそう細くなったように見える。
 あの日、動かなくて冷たいみょうじの塊はそのまま肉塊になってもおかしくなかった。けれどなんとか繋ぎとめられて、今目の前にいる。嘘みてえだよマジで。

「ねえ、太刀川」

 菓子を投げ込んでいた手を止め、途端に真剣みを帯びた表情と声音。何を“思い出した”のだろうかと、冷や汗が落ちる。

 命を繋ぎとめたみょうじはあの日一日の記憶が消えた。消された。
 早退後の帰宅途中に交通事故で意識不明の重体になったと書き換えられている。俺以外の関わった人間すべて同じようにそうなった。忍田さんたち大人が相談して決めたと聞いている。子どもである俺は関与さえ許されず、記憶が消されなかっただけありがたく思えと言われた。
 あの日、みょうじは携帯もトリガーも所持していなかった。携帯はまだしも、俺たちボーダーはトリガーだけは肌身離さず持っていなければならない。それがあの日、教室に置かれたカバンの外ポケットへ両方とも乱雑に突っ込まれていたらしい。そんな初歩的なミスを俺たちがするはずがない。そして何より、ほとんど壊れていたあの体育館倉庫の鉄扉には外側から栓がしてあったことまで調べがついている。
 そうなると犯人を突き止めるのは簡単だったのに、大人の判断というのはこの時の俺には理解できなかった。おかげで俺は、せめてあいつを呼び出した男を半殺しにして理由を吐き出させることも叶わず。わかっているようでわからない、全てがうやむやにされてしまった。

 みょうじは眉を下げて言い辛そうにしていた。どこか苦しかったり痛いのかと聞いてもそうじゃないと言う。

「……だれにも、いわないでね?」

 おずおずと後ろを向いた女の後頭部を見つめる。いつも整えられていた髪も今はなだらかにウェーブしている。

「変じゃない?」

「なにが?」

「わかんないかって聞いてんの!」

 ギロリと横目で睨まれ「ホント察しが悪い」と愚痴までこぼされた挙句に、みょうじは後頭部の髪を少しだけ避ける。そこには縫われた傷口が見えた。

「おー。ハゲてんな」

「っは、はげ!? ……やだ。やっぱりもうちょっと入院しとく」

「は? そんなもん大して気になんねーだろ」

「でも今ハゲって言った!」

「そりゃ、お前が見せてくるから」

「太刀川に聞いたのが間違いだった。デリカシーの欠片もない!」

 不貞腐れたみょうじはそのまま布団を頭まで被った。面倒くさいやつだな。

「なまえ」

 剥がすように布団を奪い取ったらうずくまる女は「呼ぶなって言ったじゃん布団返せ」と睨んできた。いつもなら適当に受け流して終わった今のやり取りも、この時ばかりは声を詰まらせた。

「――なんで泣くんだよ」

 細い指で自分の目尻に触れて、驚いたように指先乗った雫を見る。ぼろぼろと大きな粒をこぼしているのに、自分でも気付いていなかったのだろうか。初めて見た。みょうじが泣く姿を。

「たちかわが、はげって、いったから?」

「……悪かった」

「なまえで、よぶから」

「ごめん」

「そんなに、怒ってないんだけどな」

「俺が悪かった」

 記憶が無くなっても些細なことで感情が不安定になると聞いていた。記憶が戻ったなら良かったのに。俺を責めてくれるならまだ言い訳のしようもあったし、心から謝罪もできた。
 でも、俺の口から出る本当の意味での謝罪の言葉は、どれもみょうじの心へ二度とは届かない。






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