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02 実験

 タイムリミットはあと二時間。それまでにあと千文字は追加しなければならない。頑張れば無理ではない。引用と言葉の解説でなんとかなると思いたい。

「今夜、諏訪さんちで宅飲みするって。みょうじも行くか?」

「行かない。今邪魔しないで」

 頑張ればなんとかなるはずなのに。この男ときたら。是が非でも私の邪魔をしなければ気が済まないのか。三十分ほど前にやってきてずっと私の前に座り退屈そうに携帯をかまったり、私のタピオカミルクティーを飲んだり。
 とにかく集中。いますぐ集中。

「風間さんも来るってさ」

「行く! 風間先輩もくるの!? 早く言いなさいよ! 行く!」

 しばらくぽかんと見つめられた後、なぜか深い溜息を吐かれたが気にしない。どうせ気の変わりが早すぎるだろとか言いたいんでしょ。バカね。師匠の風間先輩がいる飲み会なら喜んで参加するに決まってるじゃない。そんなことも見抜けないなんてまだまだねって望ちゃんみたいに言ってやるわ。
 そうと決まればこの論文を必ず今日中に仕上げなきゃ。提出できなくて追加課題なんて出されたらたまらない。

「なぁ」

 資料やプリントが広げてあるテーブルにだらしなく伏せている男が猫みたいな声を出す。でも一生懸命ノートパソコンのキーボードを叩いて無視を決め込んだ。本当に用事があるなら無理にでも言ってくるだろうと思ったからだ。太刀川は「なぁ」の先の言葉を一向に話してはこない。
 会話はなく私がキーボードを叩く音と周囲の喧騒だけとなりとても集中できる空間へと変わる。

「あ、太刀川」

「なんだ?」

「講義。行かなくていいの? 次始まるよ」

 呼びかけた一瞬だけ、顔を上げた太刀川は内容を聞いてまたテーブルに伏せた。舌打ちもついでにね。時々ある太刀川のご機嫌斜めってやつだろうから私は一切気にしてやらない。
 前の講義が終わったからか、カフェテリアにはたくさんの人が流れ込んできた。騒々しくて、一度切れた集中を取り戻すためにタピオカミルクティーへ手を伸ばす。

「無いじゃない。飲みすぎ」

 今度は太刀川に無視される番。まあいいけど。数粒だけ底へ残ったタピオカを吸い取って、パソコンと資料へ向き合う。

「たちかわくーん」

 遠くで呼びかける声は私を呼んでいるわけではないのに、反応して声のする方を見る。その時目の前の男から聞こえたのは舌打ちで、思わずまた太刀川へ視線を戻す。気だるげだった表情が一つの溜息の後、柔らかそうなものへ変貌する。
 私、太刀川からこんな表情向けられたことないんですけどー。
 それもそのはずで。表現は悪いが、この男が飼っている女の子へ向けられる表情だから。友人にすぎない私へ向けられるはずがない。こちらとしても、太刀川からこんな微温湯みたいな表情を向けられたいとも思わないけどね。

「おー、ユキちゃん」

 視線の先を追いかけて噂の“ユキちゃん”をもう一度だけ確認してまたパソコンへ視線を戻した。バカらしい。今は集中集中。

 私と太刀川は、まるで偶然どこにも席が空いていなくてしかたなく相席していたみたいだなと思った。にこやかな表情で彼女のほうへ歩いて行った太刀川はもはや他人のよう。特に何もない。私はただ今夜の飲み会に参加するため、論文を片付ける。
 ユキちゃんの外見は、お花みたいに可愛らしい人だなという印象を受けただけ。





 隊員の子からよく聞かれるけれど、私は風間先輩が好きだが恋愛感情での話ではない。師匠として本当に本当に尊敬している。辛辣な物言いだが、サバサバした性格も私の性に合っている。だから今日もたっぷりお酒を飲みながら、この間太刀川にこてんぱんにやられたから仕返しして欲しいと甘えたお願いをしたら。

「知らん。精進しろ」

 と一喝。まったくもってその通りです。頑張ります。強くなります。風間先輩の弟子として恥ずかしくないぐらい強くなりたいです。恋愛感情なんて抱けないほど厳しいけれど、ボーダーでの防衛任務はいくら緊急脱出があるといっても命を懸けているのだから、それくらいが心地いい。

「はー風間先輩厳しいなぁ。太刀川ぁ明日は個人戦しよー」

「勝てないからもう俺とはしないんじゃなかったのか?」

「するよー。あんなのじょーだんに決まってんじゃん」

 酒が無くなったからと一番年下の私たち二人で買いに出されてしまったが、荷物は全部太刀川が持っている。だから私ときたら気楽なものだ。買ったばかりのお酒を飲みながら楽しく酔ってフラフラ歩いていればいい。あんな言葉を本気にしていたらしい太刀川が「そうか」と嬉しげにしているのを「ばかねー」なんて返しながら笑っていられる。
 楽しい飲み会。楽しい友好関係。私はこれ以上を想像もしていなければ望んでもいない。

「あー、ここ太刀川んちじゃーん」

「おー。寄ってくか?」

「きゃ! 太刀川くん積極的ィ」

 諏訪先輩のアパートへ戻る途中に、太刀川のアパートの前に差し掛かる。前にもこうして買い出しへ行かされた時、聞いてもないのに太刀川本人からここの四〇五号室に住んでいることを教えられた。いつ来てもいいなんて言っていたが、男の部屋に用事もないのにおいそれと行くわけないじゃない。いくら太刀川と仲が良いといってもそこまではしない。……太刀川は勝手に来てるけど。

 もちろん今だって用事はない。太刀川だって冗談で言ったのだと思う。しかし、気持ちよく酔っ払っているせいか、今日は不思議なことにそんな理性的なことは別にどうでも良くなっていた。単純に目の前にいる男の部屋がどんな部屋なのか気になった。
 濃紺色のコートに黒いタートルネックのセーター。黒い細身のパンツ。パッと見はよくいるイケメン大学生だし、実際モテ男であることには間違いない。こいつに靡く女の子たちは数多いるが、太刀川慶のA級一位という肩書きと造形美以外のどこがいいのだろう。私は高校時代から今までを知りすぎているから、太刀川が私の手を勝手に握って引っ張ることにも何も思わないのかもしれない。
 引っ張られながら私は缶に残ったお酒を飲み干した。


 部屋へ入ると思いのほか片付いていた。脱いだ服が置いてはあるが、ゴミが散らかっていたり食べ残しのコンビニ弁当の殻が残っているようなこともない。それどころかキッチンはとってもキレイ。ああ、そういえば太刀川はいつも大学のカフェテリアや本部の食堂でご飯食べているから、キッチンなんて使わないのだろう。

「おもってたよりキレーじゃん」

「おお、褒めろ褒めろ!」

 いや褒めてないけど。ご飯だけでなく寝床も女の子の家を転々としているからキレイなだけでしょ。
 広い洋室にシングルベッドと小洒落たローテーブルと大きめのテレビ。普通の大学生が住むにはいい立地で、置いてあるものは品の良い物ばかり。A級になると防衛任務の難易度は上がるし遠征もあるから、安定したお給料がもらえる。太刀川ならもっと部屋数のあるアパートに住めるだろうが、確かにこのキレイさを保てるほど家に帰ってこないのならたくさん部屋数があってもいらないのかもしれない。

「わー! たちかわのベッドふかふかーいーなー」

「諏訪さんち戻んなくていいのか?」

「んー。ちょっと休んでからねー」

 おわかりの通り、これは絶対起きないパターン。間違いなく諏訪さんのアパートへはもう戻れない。それでもって今は酔いも回ってとにかく眠たい。眠れる布団がそこにあるのにどうして寝てはダメなのか。
 布団の隙間に入り込んだら、滅多に帰らないとはいえ太刀川の匂いがする。いつもつけてる香水の匂いではない、太刀川本来の匂い。
 ベッドが軋んだ音をたて、端が少しだけ傾いた。

「ふーん。俺はいいけど」

「ニヤニヤしてるでしょー。わるいけどなにもないわよ」

「……」

「わたしはたちかわの女たちとはちがいますう」

「違わないだろ」

 違うよ。悪いけど私は太刀川を男として見てない。あくまでもイチ友人。
 思考も呂律も上手く回らないし、なによりとても眠たいの私。布団の中でもぞもぞと動いて煩わしかったスカートやトップスを脱いで、いつも太刀川が人の家でそうしているように床へ捨て置いた。

「おやすみ」

 強気な態度で笑ってやる。太刀川となら下着姿でだって寝られるよ。何もないって言える自信がある。それにもし太刀川が本当にその気なら、手を出せるシーンは今までも何度だってあった。太刀川が私の部屋に泊まる時、同じベッドで寝ていたことはない。そこが太刀川の理性線なのかもしれない。つまり太刀川にとっても私は理性で押えられる程度の女なのだ。ユキちゃんとは違う。
 あ、ユキちゃんとは付き合うことにしたのかだけ、きちんと確認しておけば良かった。いくら何もないと言っても自分の彼氏が他の女とこんな状況だったら、絶対に傷つくと思うもの。




 目が覚めた時には遮光カーテンの隙間から薄らと光が射し込んでいた。隣が寝返りをうつ気配ではっきりと覚醒する。
 まさか隣で寝ているとは思わなかった。理性線はどうした。今まで一度だってそんなことしなかったじゃん。
 ところどころ素肌が触れ合っていて熱が伝わる。ついに一線を越えてしまったのだろうかと昨夜を顧みるが、記憶はきちんとあるし体に異変もないから恐らく何もなかったのだろう。ほっとする気もするし、なんだか拍子抜けな気もするし、当然って気もしている。

「もうおきたのか」

 こちらへ向いて寝返りをうった男と至近距離で視線が交わる。重そうな瞼を何度も瞬かせて。布団に籠っていた二人分の熱が太刀川が動くことで温く混ざり合う。

「おはよ」

「はよ」

 こんなベッドの上でまともな服も纏っていないのに、恋も愛もない二人で挨拶を交わすのはおかしな気分だがしかたがない。私と太刀川慶は結局友人という関係なのだから。

「確か太刀川は今日午後から任務よね?」

「おう」

「私一度アパートに戻って着替えてから本部に行くから、任務前まで個人戦付き合ってよ」

「ん。わかった」

 嬉しそうに表情をやわらげる太刀川を横目にサクサクと脱ぎ散らかしていた服へ袖を通した。
 ユキちゃんへ向けていた笑顔ではないけれど、私はどちらかというと今みたいに子供っぽく笑う太刀川の表情のほうが好き。だから、ユキちゃんを羨ましいなんて思わない。

 外に出たらまだひんやりとした朝の空気が漂っている土曜日。少しだけさっきの布団の中が恋しくなった。







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