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01 挑戦的なクリア



 ブラウンに染めた髪を揺らしながら、いま来たばかりの道を戻った。昇降口まで降りたのにまた階段を二階まで昇りなおす。何人かの男子生徒とすれ違った時に振り返られたが、私は振り返ることなく颯爽と教室まで戻る。風をきって歩けば、朝つけた香水がほのかに香って私を私らしく主張できている気がした。
 あろうことか数学の教科書を忘れた。数学は毎日課題が出るし、予習しておかなければ明日は先生に当てられるはず。そうとわかっていながら忘れたのだから溜息もの。

 からりとわずかな音を立てて開けた扉の向こうには空白の教室。誰もいない空間に少しだけ肩の力が抜ける。開けっ放しの窓から爽やかに風が吹き込んで、髪を揺らし香水の匂いもなにも無くす。日直が閉め忘れたのか。

「――がいいなって思ってる」

 数学の教科書を自分の机から抜き取って、親切心で閉め忘れの窓を閉めようかと近付いた。詰まったような焦れたような男子の声が聞こえるとは思っていなかったものだから、静かに足を止める。聞き覚えのあるような声。続けざまに「絶対に言うなよ!」「お前って案外変わってんな」とか複数人の男子の声が聞こえてくるから、告白というわけではないことに安堵した。でもあまり聞いてはいけないことかも知れないと背を向けかけた。

「だって、みょうじってあんまいい噂聞かねえよ? 二股だとか、援交だとか、ビッチだとか。すげぇタラシで魔性の女って噂」

「火のないとこに煙は立たねーよなー」

「……あいつ、そんなやつじゃねぇよ。きっと。だって前は黒髪だったし凛としてるって感じで――」

 こういうのって、タイミング悪いよね。どうして教科書だけ取って早く帰らなかったんだろう。そういえば、何人かの男子が選択美術で取り組んでいる作品が終わってないから放課後居残り作業をするって騒いでた。
 少なからず自分にそういう噂があることは聞いていたが、耳に入ってくる頃には、いちいち否定のしようもなかった。人は真実云々より、その面白さの方が大事。
 教室のベランダから立ち上がった男子生徒たちと視線が混ざる。その中の数人は他クラスの生徒だったし、一人は去年同じクラスだったから知っていた。

「なにも聞いてないから」

 傷ついてないよ。聞き慣れた話だからなんとも思わないよ。だからそんなみんなして青ざめた顔しなくてもいいよ。サービス精神で、にっこりと笑ってあげた。
 なにも知らないのだから、みんなが好き勝手噂するのもしかたないこと。私が否定しないのだから、真実だと思ってくれていて一向にかまわない。
 そもそも真実なんて人には語って聞かせることのできない話なのだから。



 焦りもせず、慌てもせず、思考を今日の夕飯なににしようかなぁへと切り替えていた。父は第一次近界民侵攻で亡くなって、母と妹と暮らしている。母は夜勤のある仕事で普通の時でも帰りが遅い。だから小学生の妹に夕飯を作るのは私の仕事。昨日は妹の大喜びなドライカレーだったから今夜は和食にしようか――

「みょうじ!」

 私よりさらに明るい色の髪。ここまで急いできたらしく、短髪が少し乱れていた。わずかばかり頬も赤い。そんな必死にならなくても、さっきも言った通り私は何も聞いていない。それとも私の声が聞こえていなかったのだろうか。

「タイミング悪くてごめんね。聞かなかったことにするから。気にしないで」

 もう一度笑って見せたら、追いかけてきた目の前の彼は決まりが悪そうに頭を掻いた。どこかで聞き覚えのある声だと思ったら彼だったのか。顔を見るまで声の主を思い出せなかった。一年の時同じクラスだったし面識もあるのだから、どおりで聞き覚えもあるはずだ。

「……聞かなかったことに、されたくないんだけど」

「え?」

「いや、聞いたんならさ……返事がほしいっつーか」

 陰口の? そんな過酷なこという人だったのかと目を丸くせざるを得ない。「悲しかった」「どうしてあんな酷いこと言うの?」とでも言えば満足だろうか。そんなに嘘くさい演技できるだろうか。


「一年の時からいいと思ってたんだよ。お前のこと。おれは今の噂とか信じてないし、おれが知ってるみょうじがみょうじだから」


 陰口じゃなさそうだ。そういえば一番最初に聞いた言葉は誰かのことを「いいなって思ってる」って言葉だった。どうやらそれは、彼がみんなに私の話をしていた、ということだろうか。全部が全部誰の声だったかまでは判断できていないものだから、これは唐突の告白に思えた。
 だから走って追いかけてきたの? そんなことのために? 彼の必死さには余計に驚きを隠せず。

「え、告白?」

「は?」

「それ、私に告白してるの?」

「他にどう聞こえんだよ」

 ねめつけるように見られて思わず少したじろいだ。色白な肌のせいで熱でよく熟れているのがわかる。どうやら嘘でもふざけているわけでもなさそう。私が知る限り、彼がそういうことをする男だとも思えない。から、やっぱりこれは真実なのかもしれない。

「友達の話聞いてた?」

「二股、援交、ビッチに魔性? お前いつからそんな大そうな冠乗っけてんの?」

 正直それは私が聞きたいぐらい。話はみんなにとっていいように湾曲していて、いっそ面白いし、事実よりも事実らしい。
 そして不本意とはいえ、そんな冠を頭に乗せてる私によく告白なんてしたものだ。彼の友人たちが言う通り、彼は変わっている。

「火のないところに煙は立たないって言われてなかった?」

「“非”があるのがみょうじだけとは限んねぇかな、と思って」

「変わってるね。出水は」

「変わったのはみょうじのほうだろ」

 変わったよ。出水と一緒にいた時の可愛い一年生だった私はもういない。黒髪の凛とした、なんて私にはもう不釣り合いな冠。刹那、思い返した彼との黒髪の頃の思い出もそれは過ぎ去った日々。そんなものはもう出水の妄想だ。

「本当のことだったらどうするの? 痛い目見るのは出水だよ」

「いいよ」

「よくないって。そんな思いしてまで付き合う価値、私にはないよ」

「あのさ。なんかあったんじゃねぇの? でなかったらんなこと言わねえよ、フツー」

 どうしてそう警告したのかはわからない。一年の時の思い出が少しだけ邪魔をしたのかもしれない。そうでなかったら今現在フリーの私が拒む理由なんてないのに。
 自信あり気に笑った出水が、どうして「それでもお前がいい」と言って選ぶのかわからないけれど、そんなに言うなら好きにしたらいい。

「いいよ。付き合っても」

 私はにこりと笑ってみせた。なにもないよ、とでも言うふうに。
 まるで嬉しさを噛みしめるみたいに口元を緩ませる出水を見ながら、いつまで続くかなぁと詮無いことを考えていた。
 別にどっちだっていい。好きだとか、そんなことどうでもいい。彼氏という存在にこだわりなんてない。勝手にやってきて、勝手に離れていく。
 きっと出水とだって短い付き合いだ。いちいち心を割いたりなんてしないから。ゴメンネ。

 彼氏ができたとは思えないほど、冷え冷えとした自分の心境をいったい誰がわかるというのか。例え熱をもっていてもなんでも、誰にも人の気持ちなんて解るわけがない。
 出水にも、私にも。