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05 My crybaby

 勇の頭を太ももへ乗せたまま自分もウトウトとしていたら東さんが戻ってきた。深夜時間は終わり、朝の五時を時計の針は指している。

「みょうじさん、今なら人少ないから検査できるけどどうする?」

 どうする? というのは私へ半分、足の上の男へ半分の問いかけだったらしい。乗せられていた力は軽くなり立ち上がると、いってらっしゃいとでも言うように手をひらりと振られた。東さんもそれを笑いながら見守って「行こう」と急かす。



 思えば勇のところへ来るようになってしまってからは、勇のそばから離れたことがない。なんだか緊張するなぁ。一番離れたのがさっき諏訪さんに隣の部屋へ連れて行かれた時のみ。それ以外は常に彼が触れられるところにいた。

「緊張することはないよ」

 レントゲン撮影でもするような真っ白な部屋に連れて来られ、一つだけあるベッドへ寝かされる。
 乱雑に置かれた機材の中から、小さな棘のような針で指先から採血され、頭や服の上から心電図のような器具を当てがわれる。ような、が続くのは私が健康診断など見たことあるものではないから。さっきまでとは別の緊張感が体を強張らせる。何かされたらどうしよう、なんて今更すぎる心配だ。「危機感ない」と勇が言う通りだ。
 すぐに終わるからじっとしているように指示され、東さんはガラス越しの隣の部屋へ行ってしまう。深くは考えないよう深呼吸して目を閉じるより他なかった。


「終わったよ」

「は、はい! ありがとうございます」

「なかなか面白い結果が出たんだけど……みょうじさん、本当に何者?」

「え…………まさか、心臓、動いてなかったですか?」

「はは、それはちゃんと動いてたよ。体はいたって普通の人間。でも、一つだけ俺らと違うところがあった」

 幽霊説はこれで否定できただろうか。私は普通の人間だ。母親のお腹から生まれてこのかた、他の人と違うところなんて性格以外なにもなかった。そこはみんな誰だって違うはずだ。
 こんな一般人捕まえて、他にどこが違うというのか。


「きみにはトリオンがほとんど存在しない」


 見せられたモニターに表示されているグラフはゼロに近い。二十歳前後の年頃なら平均値はこのくらい、と示されたものを見ると明らかに私の数値が異質なのがわかる。少ない人でもだいたいこのくらいはある、という場所も私と平均値の間の数値。

「……これって稀にみる感じですか?」

「どうだろう。知りうる限りでは初めてだ」

 この世界には、“トリオン”という心臓とは別の目に見えない器官が存在するのだと東さんは説明した。それは日常生活で使うことはできないが、トリガーという機械のような特殊なものを媒体してもう一つの自分を作り出したり、人並み外れた力を行使することができるようになる。そしてこの世界の人たちはそれで戦うし、稀にそれが過多である人や特殊である人を奪い合い戦争さえ起こることもあるらしい。
 初めて勇にあった時、魔法少女的なヒロインかよと心の中でツッコミを入れたアレを東さんもして見せてくれた。生身とは違う“換装体”というらしい。

「こういったのは、きみの世界にはないのかい?」

「知らないです……夢、じゃないですよね……?」

 改めてゾクリと背筋に悪寒が走った。

「俺たちも数年前までは知らなかった。もしかしたらきみたちの世界はまだ他国家に侵略を受けてないのかもしれないな」

 そんな、まさか。
 世界? 他国家? 侵略?
 それらの言葉があまりに身近ではなさすぎて実感が沸かなかった。だって戦争なんて歴史の教科書で得た知識としてしか知らない。しかし、東さんはパソコンのモニターで「これが俺たちでいうとこの敵だ」と白い化け物と戦う勇の姿を映し出す。大きな銃の引き金を引く勇の表情には時折真剣ささえ垣間見える。
 勇は高校生だ。十八歳だと言っていた。あの赤い服は戦闘用の服で、部屋に飾ってあった模型も純粋に憧れ的なものではないのかもしれないと思うと心臓がキリキリと痛む。少年兵と言うのだろうか。あやふやな知識でも、成人を迎えてない若き子供たちが命を懸けていると思うとたまらなく込み上げるものがある。



 私は東さんからこの世界の話を聞きながら、この施設の屋上へと出た。さっき見た映像の中に、勇たちがここで戦っているシーンもあった。屋上の縁に立つと強い風が吹き付けて立っているバランスさえ崩しそう。

「戦うのは、大人じゃないんですね」

「大人になるとトリオン器官も劣化する。未成年の柔軟な時期に鍛えれば強くもできる。……俺たちも数年前に侵略されたばかりで、トリオン器官の劣化した大人を戦わせるより、今の彼らが戦いながら訓練し強い大人になるのを待つほうが早く、強靭だ」

 自分の価値観で物事を全て判断できるわけではない。まだ子供だが、彼らが戦ってくれなければこの星はなくなっていた、と東さんが言うのだからそうなのだと思う。
 比べて、ほんの数年前の高校時代の自分はそれなりに悩みも抱えていたけれど、とても呑気に幸せな生活をしていた。

 昇る朝日を浴びるビル群や街並みは少し遠くにあり、手前の建物たちは人の気配ひとつ感じないほど静まり返っていた。
 改めて自分の馴染みある世界ではないことを感じ、震えそうになる体を押さえる。

「そういえばいつもはどうやって元の場所へ戻っているんだ?」

「わかりません。……勇がいて、安心して、気が付けば元のところへ戻っているんです」

 戦争中の国、少年兵、不安定な存在、わからない帰り方。考えないようにしているつもりでも屋上の下から吹き上げる風と共に湧き上がってくる語群。震えるほどの恐怖に目の奥が熱くなる。ダメだと思いながら手で押さえキツく目を閉じる私の頭の上へ、東さんの手が乗った。

「すまない。怖がらせるつもりはなかったんだが、はっきりとしたことがわからないときみも不安だろうと思って」

「いえ、大丈夫です……ごめん、なさい」

「戻るといい。そばにいたいやつのろころへ」

 私は彼のそばにいたいと思っているのだろうか。偶然が重なってそばにいるのだとばかり思っていた。
 東さんの言った「そばにいたいやつ」を思い描いた時、家族でも友人でも元カレでもなかったことは確かで、ごちゃごちゃした気持ちに胸が苦しくなり目を閉じた。

 頬に涙が伝い、顎先からぽたりと垂れた時には私はもう勇のそばにいた。
電気は仄暗いものへ変わっていて、窓のない部屋は夜を彷彿とさせる。冬島さんも諏訪さんもいないがテーブルは相変わらず散乱していたから、きっと煙草休憩にでも出たのだろう。
 床へ座り込んで勇がお腹へ掛けている布団を握りしめた。彼の背に描かれたナイトのマークへ額をつける。

「……っい、さみ」

「どしたの」

 寝起きのかすれた声が優しくて、苦しいほどに心地いい。こちらへ向き直った彼の手が頭に置かれた。さっき東さんにされたより、もっとずっと涙が止まらなくなりそうだった。
 私は私の知ってる勇のことしか知らない。しょうがない奴って困ったように笑う彼を、今は大事に抱き寄せたかった。

「ねぇ、ちゃんと勇な、勇がいい……」

「ええー、やけに甘ったれじゃねえの」

 魔法の解けた勇は普通の男の子だ。首元へ顔を埋めるように抱きつくと、そこには薄い体へ肉があり熱があり、勇の匂いがする。
 とてもとても大切で愛おしいものなのだ。

「お願い、……無理しないでね」

 どう言って良いのかわからなかった。死なないでとか、命大事にしてとか、何も知らない私の言えることではないような気がして言葉にはできなかった。でも言いたいことはつまりそういうことで、ほとんど言っているようなもの。


「大丈夫。なまえが泣き止むまではそばにいてやるよ」


 こんなに泣き虫じゃなかったのに。勇が私を泣かせるのが悪いよ。子供のくせにどうしてこんなに大人びているのよ。
 大きな手に涙を拭われる。抱きしめ返され、背中を優しく叩く手に何度安心させられてきただろうか。少なくとも来た回数、私は彼の手に絆されていた。これじゃあどっちが子供かわからない。




「いさみっ……」

 腕の中は空っぽになり、優しい手も背中からなくなっていた。
 見渡すと簡素な自分の部屋に、明るい日差しが入り込んでいた。昨日までは夜だったのに。
 頬へ触れれば落ちた涙はなく、彼の手の感触だけが残っている。

「はは。包丁、忘れて帰っちゃった」