06 まだ壁のある甘い考え
中間テストの結果は散々なものだった。そりゃ当然だろう。そもそもそれに向けた勉強なんてしていなかったし、テストの点を気にするぐらいならもっとマシな人間だったと思う。中でも一番酷かったのが日本史。適当に選んだ選択問題が偶然正解していたことを除けば、あとはすべて間違っていた。実質零点。そんなオレを叱らずにはいられなかったらしい日本史の先生が、あまりにもしつこく同じことを言って罵ってくるもんで思わず呟いちゃったよなー。
「うるせーなー」
「ボーダーだけやってたら将来ダメになるぞ」だっけ? 確かに勉強は手を抜いてるけど、ボーダーでの活動を全面否定して「将来ダメになる」はないじゃん? てか、鼻高で言うわけじゃねえけどオレらいなかったら三門市どころか日本中が近界に襲われてるから。そうなりゃ日本はあっという間に近界民の……なんていうんだっけ? 植民地?
普段ならヘラヘラ適当にかわせることも、ボーダー云々言われるのはさすがに頭にきた。でも、学校という場で先生と生徒という立場で「うるせーなー」は言っちゃいけなかったよな。思ってても。反省文プラス日本史テストのやり直しと言われても、しかたないといえばしかたない。むしろ教科書見ながら答えていいというのだからまだ優しいほうだろう。
すっからかんになった教室で一人紙と向き合う。反省文は書き終えても、日本史はなー……まず範囲もわかんねえわ。パラパラと教科書をめくるが風が起こるばかりでこれといって一問も埋められていない。戦闘時の応用力がこういう時役に立てばいいのに、時間ばかりが過ぎていく。
「米屋くん」
控えめな声で、遠慮がちに教室の出入り口から顔を覗かせたのはなまえだった。一瞬だけ「お」となったけど、こんな姿を見られるのはいくらオレでも多少なり恥ずかしいなと思う。同じクラスにいるから、日本史の先生に散々叱られているところも見られているわけだけど。
誰もいないのに、周囲を気にしながらこっそり「テスト終わった?」と聞いてくる姿を見たら笑わずにはいられなくて、ついつい破顔してしまう。
「それが全然わかんねーから困ってるー。なまえは? まだ帰んねえの?」
「うん、ちょっと用事思い出して」
誰もいなかった教室へなまえが入ってきて、二人だけの空間に変わる。二人で個人戦してる時と同じなはずなのに、彼女が自分の目の前の席へ座り「見せて」と机の上のテストを覗き込むといつもと違う気がした。髪はさらりと流れ、風もないのに甘いような匂いが香る。
換装体は戦闘に不利益な感覚は鈍らされているから、こういうのは忘れがち。目の前のなまえからはいい匂いもするし、薄い白いブラウスからは下着の色が透けていない代わりに、柔らかそうな二の腕が覗いている。斬ったらトリオンではなく血が出そうだ、と当たり前のことを思った。
「この間の中間テストと同じ範囲だよ。このページから、ここまでの」
「おーサンキュー」
開かれた日本史の教科書の一番最初に太字で一問目の答えを発見することができた。範囲が絞られたなら一ページから答えを探すよりは簡単だろう。二問目の問題文を読みながらふと気付くのは、なまえが未だこちらをじっと見ているということ。
「どした? 代わりにテストしてくれんの?」
「それはダメ! 自分で頑張ってくださーい」
「ちぇ」
「先生のボーダー活動否定はさすがにちょっと言いすぎだけど、うるせーって言っちゃうのもね」
クスクスと笑うなまえの用事は何なのか解決はしていないし、用事らしい用事をしている風でもない。こんなこと見ていられるのも落ち着かなくて、早急に答えを聞いてしまう。
「で、用事ってなに?」
手癖でくるりとペンを回してしまうのは、こうすることがどことなく槍持ってる感覚に近くて安心するから。実際はもっと大きいし重いけど。
さっきまで笑っていたはずのなまえは口を閉じてしまう。大きな目で楽しそうに見ていたはずなのに、伏し目がちに視線は落とされた。え、なんかあった? 聞いちゃまずいことだったか?
ほんの少しの間押し黙っていたが、スカートのポケットから携帯を取り出して机に置いた。
「勝負に勝ったら連絡先教えてって、米屋くんが言ったんじゃん」
「…………お、おう?」
口を尖らせて不貞腐れた表情で睨んでくる。そういえばそんなこと言ったかもしれない。あの日はあれからなまえともう十戦したり(全勝利)、それを見た太刀川さんや出水たちが鍛える目的でなまえをボコボコにしてたり、たまたまやってきた熊谷に勝負を挑んでいたりと、結局ポイント五千点を切ったあたりでなまえがしょぼくれたりと、忙しなかったせいですっかり忘れていた。
さっさと帰らずに放課後残っていたオレの元へわざわざそれを言いにやってきたのか。意外すぎて思わず返事が詰まってしまった。
「私も暇な時、個人戦に誘いたいなって思ったから……いらなかったら消して」
「いや、嬉しいよ」
人のシャーペンを奪い取り、開いていた日本史の教科書のはじっこへ携帯の電話番号とSNSのIDが書き込まれていく。俯いているから表情はわからなくとも、澄ました感じの声音とは反対に首元が赤いのは見える。
嬉しいと言ったのは本音。なまえには一つずつしか近づけないけど、一つずつは近づいていることを嬉しいと思った。彼女が照れくさそうに微笑むのを見れば余計に。心臓ってこんなに鳴るもんだったか?
用事はそれだけだと立ち上がった彼女を見送らず、自分のポケットから携帯を取り出して並ぶ数字をタップした。椅子から立ち上がったなまえのポケットがすぐに震えはじめる。見慣れない番号を一瞥した後、こちらを見てゆっくりとした動作で携帯を耳へ当てた。
『……もしもし』
「よかったら、もう少しこれ教えてくんない?」
吹きだすように笑う彼女の声が思っていた以上に近くで聴こえる。それが心地よすぎて吃驚するほど。換装体での通信はどちらかというと脳に直接響く感じ。それも悪くない。でも、電子音に混ざる彼女の声は適度な距離を感じてもどかしさが増すのも、なんか良い。
今日、めっちゃラッキーデーじゃん。
『しょうがないなぁ。じゃあ今度の日曜日はまた個人戦してくれる?』
「おー、しょーがねーなー」
『態度でかいぞ』
前の席の椅子になまえが戻れば、さっきと同じようにふわりとまた甘い香りがした。机に肘をついて「ここの問題はね」と説明する彼女の声に耳を傾けようと自分もペンを持ち机に肘をつく。心地いい声は耳元で聴こえるよりももっと鮮明。
たまにこちらを見る視線と重なる。「ちゃんと聞いてる?」と首を傾げる動作なんて、とろけそうなほどかーわいいなぁ。
[ 06 まだ壁のある甘い考え ]