黄瀬と先輩
テスト期間ということもあり、生徒はせかせかと教室に入っていく。
廊下には、人は入れど談笑を楽しむ者はいない。
そこに、
「せんっぱーい!」
場の雰囲気を木っ端微塵に壊す明るい声が廊下一帯に響いた。
それは生徒の視線を一点に集めた。しかし当の本人は気にする様子は一切見せない。
「あれっ聞こえてないっスかせんぱーい!」
もう一度声を張って、真っすぐな廊下を駆け抜ける空気を読めない男子高校生。
「ちょ、先輩聞こえてますよね?無視してんスか?ねえ、せんっぱー……」
「っだーうっせぇよ黄瀬!3年の廊下にまで騒いでんじゃねえよ鬱陶しい!」
「うへぇっ!?」
他人のフリを決め込んで暗記ノートをひたすら見ていた笠松が、とうとう痺れを切らして後ろからやってきた黄瀬の腹に回し蹴りを一発入れた。
「あの、笠松せんぱ…ひど……」
思いがけない攻撃をもろにくらった黄瀬は痛む腹を押さえてうずくまった。
「なんなんだ朝っぱらから!今日テストだって知ってんのかテメェは!?赤点とったらしばくぞ!!」
「いやもうシバかれて…じゃなくて!」
黄瀬は涙目の顔を勢いよく上げて立ち上がった。
「今回は笠松先輩に用はないっス!」
「はあ!?」
「こっちの先輩に!」
黄瀬は笠松の隣に立っている、ブロンズの長い髪をした女子…バスケ部マネージャーである名字を指差した。
指を差された彼女は、知らないフリをして黄瀬に背中を向け続ける。
「あれっ先輩気付いてる?可愛い後輩が挨拶に来たんスけど」
ねぇねぇ、と黄瀬はいつまでも振り返ってくれない彼女に手を伸ばした。
「……笠松、あたし先に行ってるよ教室」
「あれっ」
しかし名字は素知らぬ顔して黄瀬の手から逃れた。
伸ばされた手は虚しく空を掻く。
「ちょっとちょっと先輩そりゃないっスよ!待って!待ってってせんぱいー!」
半泣きでなおも叫ぶ黄瀬は去っていく彼女を抱き止めた。
「ねー笠松、背中が重いんだけど」
「うん…わかったからもうなんか反応してやれ。黄瀬がマジ泣きしてる」
笠松が引きつった顔をしながら名字の背中を見ると、ソコは黄瀬の涙で濡れていた。
「………なんの用よ」
「せんぱい!」
やっと反応を示した名字に、黄瀬はまた泣いた。
「なんもないなら帰れ黄瀬」
「ああ先輩っ!行かないでっここを教えて欲しいっスよ!」
ほらこの問題!と、黄瀬は斜め掛けのカバンから素早く数学の教科書を開き目的のページを見せた。
「あーそれね……答えは3だよ」
「それは分かるっス。知りたいのは過程で……」
「そんなのノートに取ってるでしょ」
「でも分かんないっス」
「じゃあ捨てろよその問題」
「えっ」
「は?」
名字の言葉に、黄瀬だけでなく笠松も驚いた。言った本人はしれっと涼しい顔をして腕を組んでいる。
「わからない問題に時間を割くより、簡単な問題をたくさんやっておいたほうがよっぽど効率的だと思う」
出ないよそんな問題。と自信ありげに黄瀬に言った。
「本当っスか…?」
「先輩は嘘つかない」
あたしの言葉が信じられないのかと、名字は高圧的な目を黄瀬に送るのだが、黄瀬は全く気付かない。
「ありがとうございます先輩!オレ頑張るっス!」
「あーはいはい。分かったから離れろ」
上からのしかかるようにハグする黄瀬を適当にあしらって一年教室に帰るように言う。
「じゃあまた!」
「おう。もう来なくていいからなー」
黄瀬が満点の笑みでハイテンションであったのに対し名字は最後まで無表情を貫き通し、黄瀬の背中がが見えなくなってからも何食わぬ顔で教室にはいって行った。
「おまえすげーな…」
「黄瀬をいちいち構ってたらキリがない」
そして、席に座るとまたいつものようにウィンターカップ優勝祈願のお守りを作りはじめるのだった。