2年前の2時46分、皆さんは何をしていたでしょうか。私は吹奏楽の部室にいました。いつものように、先生と離任式のための合奏をしていました。隙間風と家鳴りが激しいあの部室で「3月9日」を。しかし3月の暮れに離任式を行うことは出来ませんでした。学校も体育館も崩壊。無事だった棟は全て地域住民の避難所となりました。
水も電気も絶たれた数日間は、いくら春先といえどまだ雪も残ってましたし朝晩に氷点下なんて当たり前だったので暖を取るのが大変でした。おまけにあの原発事故。第一発電所から40キロも離れているというのに、爆発を恐れたガソリンや石油、灯油のトラック運転手はスタンドを目の前にして次々と引き返したそうです。悔しくて、悲しくてたまりませんでした。

……震災後、4月の終わりにやっと入学式がひっそりと行われました。入退場の曲を演奏しながら、涙が出そうでした。
校舎が半壊してしまったので臨時の教室は音楽室。ルーム長のピアノをBGMにやった掃除は楽しかったです。夏休みにやった離任式の3月9日も印象的です。
しかし延期されていた修学旅行は、夏休みが終わっても宿泊場所が決まらず危うく頓挫しそうでした。どうして?と先生に訪ねたところ、「私らは福島の人だから……」と泣きそうな顔して答えてくれました。
どうやら、福島では震災より人災の方がはるかに大きな爪痕を残したようです。もちろん津波の被害はありました。しかし被害にあった海岸の大半は原発の避難区域。流された家を嘆き悲しむ時間など与えてもらえなかったのです。

私はあの日から福島出身というのが怖くなりました。まだ福島の復興は進んでません。見た目は劇的に変わったかもしれませんが、心はあの日に置いたままです。一日もはやく、福島出身だと胸を張れる日が来るといいです。

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