05

顕現したばかりの蛍丸は、いまだ慣れない歩行を練習しようと、本丸の廊下をペタンペタンと歩いていた。ひとりで。

……自分で言うのも憚れるが、自分はかなり希少な刀だ。それにも関わらず、顕現してすぐ「私レコーディング練習するから、あとは一期くんよろしくね」と主が消えてしまうとは。

戸惑う蛍丸に、一期と呼ばれた一振りは「それでは行きましょうか」と蛍丸に声をかけてきた。聞けば、一期が顕現したときも同じだったらしい。しかし、ちやほやされるのも嫌だけど、無関心すぎるのは悲しい。そう不平を漏らせば「主は多忙なお方なのだ」と苦笑が返ってきた。とは言いながら、彼の表情は実に淋しそうだ。

一期に案内されるうちに、すっかり蛍丸は憂鬱な気持ちになってしまっていた。せっかく人の身を受けたのに、つまらないじゃないか。つれない主の顔を思い出す。立てば芍薬。座れば牡丹。歩く姿は百合の花……まさにそんな言葉通りの美しい人だった。できれば力になりたいし、可愛がられたい。だというのに、相手はこちらには無関心なのだ。

案内を終えた一期をその場に置いて、そんな詮なきことを考え歩行練習をしていると……随分と本丸の奥へ来てしまったらしい。

あれ、と辺りを見回す。襖が並ぶ、回廊。天井と床がどこまでも続いていく。たしかさっき一期に案内された場所にこんなところはなかった。これ以上先に行けばきっと戻るには一苦労しそうだ。足先を、これまで歩いてきた方向へ向ける。

そのとき

「ーーー」

なにかが蛍丸の鼓膜を揺らした。なんだろう。襖に耳をつけると、そこからわずかに音が漏れてきていた。好奇心のままに、襖を開ける。

「ーーー、あら」

そこには黒い耳当てをした主が、座布団の上に座っていた。涼しげな眼差しが蛍丸をみとめ、細まる。

「蛍丸くんじゃない。どうかしたの」

「……名前、覚えてたんだ」

「名前って大事なものじゃない。私、照明さんの名前だって間違えたことないわ」

耳当てを外し、胸を張る明日子。そうか、主にとって自分の名前も大事なものなのか。胸の奥があたたかくなる。

「音が聞こえたから覗いただけだよ」

「あらそう。美声って防音の襖をすり抜けてしまうものなのね」

「よくわからないけど、そうみたいだね」

「ふふ」

自信に満ちた笑みを口許に浮かべた明日子に、蛍丸は目線を奪われた。気をよくした明日子はそれに気づかず、もうひとつ座布団を用意する。ちょうど明日子の正面。

「1曲聞いていきなさいよ」

「……いいの?邪魔じゃない?」

「観客がいた方が、調子が出るのよ」

よく考えたら、防音の襖もいらないわよね。せっかくの私の美声だもの。聞かせないともったいないわ。と、明日子は襖を開けて回る。開け放たれた襖の向こうには、中庭の景色が広がっていた。その奥では、炊事場で食事の支度をする一期と、もうひとりの男性が忙しそうにしているのが見える。蛍丸にとって、刀が人のようにすごしているそれがとても不思議で仕方がなかった。それを明日子に伝えようと振り向けば、明日子は短く息をすった。


君に見せてあげたい いろいろなこと
君に話してあげたい うれしいこと
君に聞いてほしいよ 悲しかったこと

これからずっと一緒だから
たくさん話そうね
たくさん笑おうね
たくさん泣こうね

これからずっと一緒だから

「……最後、ブレス入れた方がいいかしら」

歌い終わった明日子は、歌詞の書いてある紙を見ながらウンウンと唸り始める。蛍丸に聞いてみようかと視線をあげると、その先で瞳に涙を浮かべた蛍丸が明日子を見つめていた。

「……なに泣いてるのよ」

珍しく驚いた明日子は、急いでティッシュを数枚手に取って蛍丸の目元に押さえつけた。片手に歌詞カードを持っているせいで、まるで車のフロントガラスを洗うワイパーのように、大雑把な動きである。

「わ?!」

突然のことに、蛍丸も身をビクリと大きく震わせる。瞼を左右にギュッギュッと撫でられたかと思えば、次の瞬間に開けた視界で主の顔が覗く。決まりの悪そうな表情は、これまで見た主の表情のなかで一番人間らしさを感じるものであった。

「まさか泣くとは思わなかったわ。そんなに私の歌に感動したの?」

「感動?そっか、そうだね。きっと感動したんだと思う。はじめてて、よくわからないけど」

だってなんだか、さっきの歌がまるで俺に歌ってくれたみたいで。知らない間に涙が頬を伝おうとしていた。……しかし、これをそのまま主に伝えるのはなんだかくすぐったくて、蛍丸は行き場のない気持ちと目線を外の景色に投げることにする。

すると、炊事場からこちらを見上げる視線がふたつ。鍋がふきこぼれているというのに、ぼんやりとした顔でこの部屋を見ている。なんだかそれがおかしくて、蛍丸は満面の笑みを浮かべた。

「ねえ、主。俺がんばるね」

だからたくさん話そうね
たくさん笑おうね
たくさん泣こうね

歌詞をそのままに投げる。明日子はキョトンとしてから、いつものように自信たっぷり笑う。ようやく、彼女も蛍丸がなぜ泣いたのかわかったようだ。

「もちろん。これからずっと一緒にね」



151030
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