人生の洗濯とは、よく言ったものだ。石の敷き詰められた湯殿を見回しながら、歌仙は自らの体を清めていく。慣れない人の身も、湯をかぶればたちまち緊張がほぐれていく。湯船につかれば、思わず溜め息が漏れた。
うん、悪くない。
夜空が見える湯殿のことを露天風呂と言うらしい。主とともに本丸の説明をこんのすけから聞いているなか、主が「これだけは譲れなかったの」と言っていた意味が、今ならわかる。
「舞といい、彼女は雅がわかる人間らしい」
つい最近自分に向き合ってくれるようになった主を思うと、不思議と胸のあたりもあたたかくなる。人の心とはよくわからない。
鏡のように星空をうつす湯を手ですくい、月を手に捕まえる。人の心とはこの月のように満ちては欠けるものだとある書物で読んだが、なかなか掴みきれないものだな。滑り落ちていく湯を眺め、憂いをもって息を吐く。
そろそろ上がろうか。前髪を掻きあげて湯船から身を起こすと、湯殿の戸が開く音がした。え、と中腰のまま振り向いた先には……。
「あら、歌仙くん」
明日子が手拭いを手に立っていた。白く立ち上る湯気のなか浮かぶ陶器のように白い素肌。肌にわずかにかかる漆黒の黒髪は、明日子の肌の白さを引き立てている。
その下には、柔らかそうなふたつの……。
「わーーー!」
湯殿に歌仙の叫び声が響く。勢いよく顔を背け、明日子に背を向けて湯船につかる。ドボンッと大きな水柱が立ち、湯船の周りが水浸しになった。
「びっくりした」
「びっくりしたのはこっちだ!……な、なんで君がここに!?」
「夢中になってたら忘れてたのよ」
「は!?」
桶を持ち上げ、湯を欠ける音がする。それからしばらくして歌仙の横に、にゅるりと白いふたつの足が現れた。言わずもがな、明日子の足である。思わず歌仙は左へ大きく移動し、再び叫び声をあげる。左手で目元を隠し、首から下を視界に入れぬよう明日子を睨む。
「君には恥じらいはないのか?!」
「あまりないわね」
雅という言葉が、音を立てて崩れていく。恥じらいはないと、普通の女性が言うだろうか。ひどい。それに伴侶でもない者と湯を共にするなど、僕には耐えられない。
信じられないほどにうるさい音をたてる心臓にも、限界がやってきそうだ。
「それより、リンパマッサージでも手伝ってくれないかしら。ここを押すだけだから」
「は」
宙をさまよっていた右手を掴まれ、されるがままに導かれたのは……鎖骨のくぼみ。自然と視線は胸元に向かう。柔らかそうなふくらみが、水滴を弾きながら湯に浮かんでいる。しっとりとした肌の感触と、間近で感じる吐息。
──もう、限界だった。
「首を差し出せ」
腹の底にまで響きそうなドスのきいた声に、さすがの明日子も動きを止めた。以降、明日子の入浴時間は歌仙によって管理されることとなったのだった。
151217
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