その日の演練場は、いつもとは違う空気が流れていた。皆が落ち着かず、あちらこちらへと視線を投げたり、気のない世間話をしている。演練を終えた者さえもまだ帰還せず、留まっているほどだった。
「──あ、」
誰かが気の抜けた声を漏らした。途端に静まり返る演練場。だが、皆が待ちわびていた人影が現れると、途端に絶叫が響いた。視線の先には、皆が待ち望んでやまなかった、その人がいた。
透き通った肌に、さらりと揺れる髪。桃色に色付いた唇は、ゆるやかに弧を描いている。溜め息を吐くほどに優美で愛らしく、光輝いていた。絶世の美女という言葉は彼女のためにあるに違いない。時代が違えば、傾国の美女とも持て囃されたであろう。
彼女の後ろに続く刀剣男士たちも、いっそう美しく見える。自らも従えている刀だというのに、なにが違うと言うのか(実際、明日子の影響でスキンケアやヘアケアがなされているため、その印象は間違ってはいない)。ただただ、審神者たちは感嘆する。
「本物の明日子さんだ」
「見て、全部太刀レベルよ」
「一度に何振も鍛刀したって本当かしら」
「審神者になってよかった……」
熱い囁き声と熱い視線が飛び交うなか、明日子たち一行は演練場の受付に向かう。後ろに続く刀たちは、向けられる好奇の視線に居心地の悪さを感じていたが、動揺は見せなかった。それもこれも、美術品としても扱われてきた過去のおかげか、はたまた明日子の特訓の成果か。
ともあれ、他とは一線を画す一行は海原を波切りながら行くように、悠然と歩みを進める。あと数歩で受付に辿り着く。というところで、ひとつの影が明日子たちの前に躍り出る。
慣れ親しんだ視線を身に受けながら演練場を進んでいた明日子は、突然現れた女に目を見張った。
「ここで会ったが100年目!明日子、勝負よ!」
声を高らかに、使い古された決め台詞を吐いた少女は、仕上げと言わんばかりにその白くて細い指を明日子に向けた。いわゆる、指さしである。
「あなたは……」
足元から頭までゆっくりと見て、明日子は顎に手を添えた。考えているようなそぶりである。明日子を守ろうと身を前に出した歌仙だったが、明日子は「必要ない」と言うように手のひらを振った。それを見た相手は、悔しそうに唇を噛む。
「覚えてないわよね……さすが天下の歌姫。私みたいな底辺アイドルなんてー……」
どうやら、アイドル同士の悶着のようだ。明日子を持て囃していた囁き声は、野次馬めいたものを含み始める。なんて恐れ知らずなのか。批難よりも、同情が向けられる。そのくらいに、明日子の人気はたしかなものであった。
「あなたが、底辺?あんなに声域もあってリズム感もいいあなたが?」
「……え?」
明日子も、啖呵を切った相手も頭上に疑問符を浮かべる。修羅場になるぞと予感していた人々も、ポカンと口を開けた。
「覚えてないだなんて、失礼ね。私、人の名前を忘れたこと一度もないわよ。春菜ちゃん」
春菜と呼ばれた少女は目を大きく見開いて、顔を真っ赤に染め上げた。間違いない、歌謡祭で楽屋が隣だった新人アイドルだ。アイドルといえばグループが主流の現代に珍しく、ピンでデビューした彼女に感心したものだった。そしてオリコンで大差をつけトリを務めたステージから見下ろした、彼女の愕然とした表情も忘れていない。
会場の視線が明日子に釘付けになっているなか、歌仙たちも思わず警戒を解いて明日子の背中を見つめる。
時が止まったのではないかと思われたなか、春菜の後ろからひとつの影が現れた。
「こりゃ大将の敗けだな」
「や、……薬研」
「大将が憧れるだけあって、いい女じゃねえか」
「ちょっと……ッ!」
どうやら、春菜が従える刀剣男士らしい。照れた春菜は声にならない叫び声をあげ、どこかに走っていってしまった。薬研はやれやれと言うように頬を掻く。
「まあ、許してくれや。うちの大将はちと素直じゃなくてな。審神者になったのはあんたの影響らしいんだが」
「ええ、もちろん」
頷くと、その後ろからまたいくつかの影が飛び出してきた。銀にピンクに茶色頭。どれもこれも小さくて可愛らしい。言うまでもなく、私ほどではないが。ちまいうちのひとり、綿飴のようにふわふわの髪の桃頭が口を開く。
「そこにいるのは、いち兄ですか?」
「……いち兄?」
「ああ、一期一振は俺らの兄弟刀なんだ」
一期くんを振り向くと、一期くんはくしゃりと破顔した。なるほど、弟か。なんと小さな弟だとこと。というか、こんな小さな刀もいたのね。
「あれらは短刀って言うだ。うちはなぜか太刀しかいないからな、主が知らなくても仕方がないさ」
鶴丸の言葉に「あらそうなの」と合図ちを打ち、弟たちとたわむれる一期くんを見る。が、小うるさい近侍さまが、恨みがましい視線を投げてくる。なにか言いたいらしい。
「鶴丸殿言うことも一理あるが、君は政府から受け取った資料を読んではいないのか」
「直感勝負だもの」
「……太刀以上しかこないのは、君のその直感が原因かもしれないね」
ふと、一期くんに視線を戻す。その横顔は、見たことがないほどに優しい笑顔を浮かべていた。
「蛍丸くんも兄弟いるの?」
「うん、いるよ。太刀と短刀にね」
「そう」
まさか刀にも家族があるとは。驚きながらも、もし鍛刀できるならしてあげたいものだと思った。厄介ではあるが、歌仙の言う通り資料を読んでみるか。
「審神者さま、そろそろ」
受付に立つ役人が、痺れを切らして明日子に声をかけてきた。そういえばそうだった。受付を済ませていなかった。明日子は差し出された帳簿に、さらりと書き慣れたサインを添える。
「さてと、俺っちたちも主を迎えに行くぞ」
すっかりざわつきの戻った会場内を見回すと、明日子にひとつ礼をする。そして春菜の消えた方向へ歩き出した。
「いやはや、一時はどうなるかと思ったが……よかったよ」
深く溜め息を吐いて歩み寄ってきたのは、石切丸。割りと動揺を見せない彼が、珍しい。これが日常茶飯事だと言えば、どんな顔をするだろうか。少しだけ気になったが、今日来たのはそんなことのためではない。明日子は帳簿を役人に渡しながら、自らの刀を見る。
「ついに、この日が……私たちの1stライブの日がやって来たわ」
「ファーストラ、え?」
今日は演練の日のはず。決してライブではないはずだが……。目を白黒させた役人が何事かと明日子を見るも、話は進んでいく。
「皆、今日までよく耐えたわ。この私のステージに立つにふさわしくなるまで……」
「いやほんと、最初は驚いたもんだがな」
「ああ。だが私も、おかげで強くなれた気がするよ」
「ぬしさまのおかげでございます」
「……いいえ、すべて貴方たちのがんばりあってのこと。だからこそ、今日は私ががんばる番ね」
ギュッと、明日子は結い上げた髪紐を絞め直す。そして伏せた瞼を開き、勝ち気な笑みを浮かべた。
「気を引き締めていくわよ」
画して、明日子たちのデビュー戦の幕が切って落とされた。アイドルとは言えまだまだ初心者。そんな意見を斬り捨てるほどに、明日子たちは演練場で巧みに舞った。太刀とは思えない機動力と、太刀ならではの攻撃の重さ。そして隙ができれば、唯一の打刀である歌仙がそれを補うという連携プレイ。明日子の見事な采配も光り、見事大勝利を納めたのだった。
151215
×