If薄桜鬼

緩み始めた、着物のたすき掛けに指を通しながら空を見上げる。空がこんなに広かったなんて思わなかったな。仕事の手を休めて、礼子はそう思った。

力の抜けた手のひらから、打ち水用の柄杓が転げる。カラン、と音を立てて落ちた柄杓の音にハッとして、礼子は柄杓を拾って水を店先に投げた。そして、何度目かわからぬ溜め息を、深く吐く。自分の腑抜けっぷりに呆れてしまうが、仕方がない。さすがに、江戸時代にタイムスリップするとは思わなかったのだから。

それに気がついたときに礼子が真っ先に抱いたのは、怖いという感情だった。これまでのマンガやアニメの世界に飛ぶのとは訳が違う。……私の行動ひとつで、史実が変わってしまうかもしれないのだ。

いろいろな世界を飛んできた私は、平凡とは言いがたいほどの怪力と人生経験を積んできた。気を抜いて、いつの間にか要人をぽっくり逝かせてしまう可能性も十分にあるのである。だから、こんな現実逃避をしている場合はないのだけど……。

「礼子ちゃん、それ終わったらこの団子あそこのお客さんに出してきて!」

背中から、店主の声が飛んでくる。礼子は手にしていた桶を急いで店の横へ片し、働き場所としても住まいとしてもお世話になっている、茶屋ののれんをくぐった。店内で談笑する人たちに愛想笑いをしながら料理場を覗くと、店主が団子を焼きながらアゴをくいっと動かして視線を促した。

お客様は神様なんだぞ。と、アルバイト先でスマイル0円精神を刷り込まれている礼子は顔をしかめる。そして、団子を所望しているという客を確認して、さらに眉間にシワを寄せた。

そのひとは、店先に出た長椅子に腰かけていた。黒い髷を結ったその背中から染み付いたように香る……。

──血のにおい

タイムスリップしたばかりの頃は町にただよう死臭に辟易としたものだが、それも1カ月経ったいまでは慣れた。しかし一方で、いまだに耐えきれないものがあった。それは、町中でときおり出会う血の香りだった。

初めは侍のいる時代だから仕方がないと思っていたが、侍によって香る人と香らない人がいることにすぐに気がついた。そして気のせいか、ここ1週間でさらに臭いが濃くなっているようなのだ。……こんな変化、昔の私だったらわからないだろうに。現に町中のひとたちは臭いを気にしている様子はない。礼子は、自分の鼻のよさをうらめしく思う。

だから、本当ならこんな面倒ごとはタケルに押しつけて裏方に徹したいところだが、実はまだタケルには会えていなかった。一応タケルもこの茶屋に身を寄せてるらしいのだが、どうやら仕事は他でしているらしい。いつも不定期に顔を出す程度なのだそうだ。

臭いし嫌だなぁ、と胸のなかで呟きながら、さっさと終わらせてしまおうと団子の皿を持った。もちろん、鼻が曲がりそうな状態でも、営業スマイルは装備済みだ。タケルが帰省したら、このうっぷん晴らさせてもらおう。

「お待たせしました〜」

当たり障りのない言葉とともに皿を椅子に置き、手を引く。しかし、なにかが礼子の手首を掴んだ。驚いて相手を見やれば、うつろな眼と視線が混じる。体調が悪いのかと様子をうかがうが、口の端は不気味に上がっていた。笑ってる。彼の異常さに気づくと同時に、体が持っていかれる。気がつけば、店の横にある路地へ連れ込まれていた。そして、反転する体。

「ガ、ハッ!」

背中に、固い地面の感覚が伝わってくる。開いた目は、歯を見せながらうなる男と、空を映した。まさか、こんなにも簡単に暴漢に組み敷かれてしまうなんて。油断していたといえど、さすがにこれはない。やっぱり、溜め息は禁じえなかった。

「はー……あの、どいてくれませんか」

念のため相手と対話を試みる。

「、……ち、……血」

「血?」

飛び出てきた言葉はなんとも物騒なものだった。途端に血の香りが強まる。くさっ!と身を固くしている間に、男は礼子の襟元に手をかけた。お、おいおいおいおい!こんな小娘になにを!

「──血を、よこせ!」

日の下にさらされた礼子の肩口を、男の異常に冷たい指が這う。鼻先を白いなにがかすめた瞬間、礼子はこいつが自分を害する者として認識した。

力を抜いていた右腕で、肩を掴む相手の右手首をつかまえ、力の限り握りつぶす。骨が砕ける音ともに肩への圧迫感がなくなる。そのまま体をひねり、左足を振り上げる。男の体はなんの抵抗もないまま、風に舞う葉のように浮かび上がる。礼子は隙をみせず、掴んだままの右手首を地面に縫いつけ、這いつくようになった相手の背中に乗り上げた。

形勢逆転。複雑骨折させたし、これで相手も抵抗しないだろう。と、自分の下で地面にキスしている男を見下ろす。いつの間にか白頭になっている。先程、礼子の鼻先を舞った白はそれなのだろう。

「……血、を」

「……」

男は痛みに泣き叫びもしない。ただ、血をよこせとうわ言を呟くのみだ。巨人に出会ったときと同じ感覚が、礼子を襲う。この人も、容赦無用の存在なのか。

「経験上、首とか心臓を突けば大体は死ぬと思うんですけど。どうですか」

組み敷いた相手の白く染めたような髪分けながら、首筋を指で撫でる。そして、相手の返答も待たずに頸動脈を軽く圧迫した。指の下で、血がドクドクと音を鳴す。それに妙な高揚感を味わいながら、ゆっくりと男の喉仏あたりまで指を這わせる。と、暴漢の体が突然ガクンと沈んだ。

「ひ、い、ぃぃ」

「え」

怯えたような声が聞こえたかと思うと、地面に押しつけた体が小刻みに揺れはじめる。な、泣いてる?先程まで真っ白になっていた男の髪も、いまは元の黒髪に戻っていた。肩透かしを食らった気分で男を観察していると、路地に草履の音が滑り込んできた。誰かがきたらしい。

「てめぇ、いま……!」

あ、やばい。これ私が男の人を襲ってるみたいに勘違いされてない? 慌てて元暴漢のうえから退き、礼子は声の主を見た。

浅葱色の羽織に、腰の刀。

それだけで、礼子は相手のことを認識した。うん。どう見ても、新撰組さんですね。本当にありがとうございました。新撰組といえば、たしか警察みたいなチーマーみたいな存在だったはずだ。ただしジャンプ的な知識なのであまり自信はないが。ふふ、タケルもいないのに自ら面倒ごとを背負い込むとか。

自らに呆れて脱力する礼子に、新撰組の男が荒々しく駆け寄ってくる。そして地に伏せながら震える元暴漢を見て、礼子の手首を掴んだ。お母さん、私ついに逮捕されたよ。

「羅刹を静めたのは、お前だな」

らせつ、がこの人の名前なのか。

「……確かに沈めたのは私です、が……でも、襲われて仕方なくなんですよ……正当防衛で……」

「……」

ダメもとで主張して、男を見上げる。男は黙りこんでこちらを見返りてきた。ここで初めて視線をあわせた二人。礼子は、相手がかなりのイケメンだということにようやく気がついた。しかも背も高いし、なんか髪もさらさらしてる。これは、下手したら惚れていたかもしれない。

「こい、屯所で話を聞く」

見惚けたままに、礼子は腕を引かれて表通りに出た。そのままズンズンと前をゆく男。数々の好奇の目を受けたが、それを身に受けている本人は、前で右へ左へと揺れてるポニーテールを見ていていた。

礼子の意識が戻ったのは、屯所に辿り着き……門前でタケルを見かけたときだった。


141008

いちごのうさぎさまリクエストの、「飛んでた」If薄桜鬼でした。書ききれなかった裏設定として、狩人のときに身につけたオーラを羅刹に向けると、無効化できるという……羅刹キャンセラー的なスキルを礼子さんは持ってます。ただ、気持ちが高ぶったときなどに無意識に出すのであてにできないという。相変わらずの器用貧乏です。

また、以前に拍手やアンケートでいただいたネタもいくつか盛り込んでみました。出だししか書けなかったことが悔やまれますが、とても楽しみながら執筆できて満足です。

19万打企画へのリクエスト、ありがとうございました!

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