浮かれていたのだろう。
いまならそう思える。だが、そうなっても仕方ないとも思う。この世界の弟が灰になる瞬間を見て、これでもう原作は終わったのだと思っていたのだから。
今日はテレンスとなにをしようかと、強い日差しに焼かれているカイロの街並みをバルコニーから眺めていた礼子。それにしても、随分とこの街並みもかわったものだ。キラキラと日差しを反射させて輝く高層ビル群に目を細める。10代からまったく姿の変わらない礼子の身体は、そろそろ150を数えるというのに。
正確な年齢はいくつだろうか。ふと気になり数え始めた礼子。それと同時に、礼子を再び混沌へ落とすひとつ電話が鳴ったのだった。
「手フェチのド変態に……タケルが拐われたとか、どういうことですかね」
空港から乗り継ぎ、タクシーを捕まえて、ようやく到着した杜王町。出迎えを買って出た電話の相手……承太郎に向けて発した第一声は、呆れを滲ませていた。
タクシーのドアを勢いよく閉めて、随分と高いところにある承太郎を見上げる。だがそれと同時に胸に寄せる哀愁の念が、睨み付けることを許さない。……ますますジョナサンに似やがって。
「そいつを今から説明してやるが、まずは少し調べさせてもらうぜ」
「? なにを、」
そこで礼子の意識は暗転する。
ガクリと力が抜けた少女の体を、すかさず承太郎の太い腕が抱き止める。礼子の表情を伺おうとするが、そこはすでに本の形をなしていた。……言わずもがな、露伴のヘブンズ・ドアの影響である。
しばらく少女の顔を眺めていたが、いつまでもこうしているわけにもいかず、側に設置されているベンチに礼子を横たえさせる。それにしても、なんて奇妙な存在なんだろうか。出会った頃から変わりのない彼女の容姿に、かつて下した宿命の敵がちらつく。だからこそ、彼女にこんなことをしているのだが。
これは彼女のためでもあると自己を肯定し、そして自らの背面を振り返る。後ろに控えていた露伴は、視線で指示を送る承太郎に口を開く。
「こんなことして大丈夫なんですか、承太郎さん。タケルさんの姉なんですよね?」
「いや……そうとも言えないんでな。少なくともここ数年の動きは知っておく必要がある」
「数年と言われましてもねぇ」
「DI……ディオという男が、死んだところからでいい。それより前に用はねえ」
洋名、さらにたしかイタリア語で神を意味する名前に、露伴はベンチで眠っている彼女を見る。お世辞にでも容姿端麗とは言えない上に、年も同い年くらいだろう。あのタケルさんの姉であれば創作のネタになりそうだと、下心を隠さずに承太郎への協力を了承したが、とても刺激的な内容は読めなさそうだ。ディオという男にも、さほど期待できそうにないな。
露伴は落胆しながら彼女の顔に手を伸ばし、数年であればこの辺りかと、目算で女の顔を数ページめくる。だがやはり特にこれといったものがなく、また数ページ左へめくる。また数ページ、数ページ。……そこで、違和感を感じた。
おかしい、もう数10年もページを送っているというのに、まだ彼女がカイロにいた頃の記述が見当たらない。それどころか、突然空白のページが現れたり、インクボトルを落としたように真っ黒なページがあるのだ。
「おい、どうした」
承太郎の声を無視して、露伴は一思いにページを勢いよくめくりあげた。すると、あるところで「ぱたり」と動きが止まる。開き癖がついた本のようだと、露伴は思った。好奇心のままに、彼女を覗きこむ。
「……これは」
ごくりと唾を飲み込む。なんだこれは、と混乱しながらも指は記憶のページをめくり続けた。
そこには、礼子と弟たちとの数百年前の記憶が綴られていた。しかし、タケルさんの名前は見当たらない。変わりに書かれていたのは……。
《ディオ》
「読んでくれ」
ビクリ、肩がわずかに揺れる。深い思考の海にいた露伴は、承太郎にゆっくりと視線を送る。返されたのは、真っ直ぐな鋭い視線。
自分はとんでもないことに巻き込まれているのではないかという恐怖と、言い知れない興奮に、知らないうちに鳥肌が立っていた。そして、露伴は内容を抜粋しながら礼子の記憶を紡ぐ。
《また違う場所にきた。ここではタケルはいないみたいだ。ディオが私の弟らしい。姉として守っていかないと》
《オッサンが死んだ。弟がもうひとりできた。ジョナサンは元気っこだから、ディオはあんまり好きじゃないみたい》
《ジョナサンとエリナが結婚した。随分と大きくなったものだ。私はやっぱりまだ昔と変わらない。ディオに、……タケルに会いたい》
《ディオがまたなにかをしでかしたらしい。仕方がないので、付き合ってあげることにする。おやすみ》
《起きたら百年経ってた。らしい。しかもディオは引きこもり化していた。吸血鬼だからとか謎の言い訳はやめてほしい》
《街中でタケルに会った。じゃあ、ディオは私の弟じゃないのか。タケルを助けてあげたいけど、そしたらディオはどうなるんだろう》
《タケルにはやっぱり協力できない。ディオの姉でいようって、あの日決めたんだから。ジョナサンだってわかってくれるはずだ》
《ディオが死んだ。天国には、行けたのだろうか》
《ディオがしでかしたことの尻拭いをすることにした。タケルにはずいぶん嫌われてしまったけれど、元気でいてくれるならそれでいい》
そこで、文章は途切れている。
承太郎が溜め息を吐く。
「なるほど、すれ違いってやつか」
「……承太郎さん?」
「よくわかった。手間をかけたな」
そう言ってベンチから立ち上がったかと思うと、承太郎は礼子を横抱きにして上着を翻した。すでに用はないと言うような彼の態度に、露伴が「いや、待ってくださいよ!」と思わず呼び止めた。なにがなんだかわからないが、とんでもない話を垣間見たことだけは理解できた。興奮でそれ以上の言葉が出ない露伴に、承太郎は再び視線を投げる。
「来る気があるなら来い。……ただの姉弟ケンカだがな」
「とてもそうとは思えないんでね。行かせていただきますよ」
うずく創作意欲に浮き足立ちながら、露伴は承太郎の背を追った。
160614
ジムイン様リクエストの「飛んでた」ifで、JOJO続編でした。せっかく続編を書くならと、4部にしてみました。
3部終わりまでに色々ありまして、礼子さんとタケルは長期ケンカ中です。いつかこの話まで書き上げて、さらに先を書きたいという思いから情報を小出しにしてみたんですが……。………………。気長にお待ちください……。
素敵なリクエストをありがとうございました!
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