08

「お前か、派手に面倒に掛かったってのは」

戸に手をかけて、ずいっと鼻先ほどにまで顔を寄せてくる大男に、名前は短く息をのみこんだ。この悪人顔――コイツがきっと、私をここに連れてきた張本人なのだろう……と。


それは、味噌料理を腹に入れ終わった時のことだった。ひょっとこに言われた「良し悪しを他人に委ねるな」――あの言葉がどうしても頭から離れず、ぐるぐると回り続けていた。立って食器を片付けなければならないのに、床に根を張ったように腰が動かない。

いつまでそうしていたかわからなくなった頃、勝手口の戸を叩く音がした。「名前さん、炭治郎です!」――それは、名前を救い上げる声だった。

「は、はい」

もたれ掛かるように戸まで行き、開けた。そして突然、視界一面に悪人顔の男がヌッと入り込んできて言ったのだ「お前か、派手に面倒に掛かったってのは」……と。

「ひっ……」
「宇髄さん!脅かしたらダメですよ。名前さん困ってるじゃないですか」
「ああ?誰が脅した、誰がッ!」
「そういうのです!」

驚きのあまり硬直する名前の瞳は、大男の後ろから顔を出す炭治郎を捉えた。しかし、まだ警戒を解くわけにはいかない。この大男に暴れられたら、とても太刀打ちできそうにないのだから。ゆっくりと後ろへ足を運ぶ。すると男は「ただの馬鹿でもないらしいな」と、また不愉快な一言を投げて寄越した。

「炭治郎くん……この、人は」
「はい、昨日話した術に詳しい方で!それで、えっと………………あ!奥さんが3人いる、宇髄さんです!」

「んだその紹介はァッ!」
「いだァーッ!?だ、だって!柱だって言っても、わからないだろうから!」
「てめェ、わざわざ帰りついでに寄ってやってんだぞ!?派手にぶっ殺すぞ!?」

……コントでも、見ているのだろうか。

緊張している自分が場違いに思えるほどお気楽な空気に、名前は意図せず力を抜いてしまう。激しく頭を叩かれた炭治郎くんも可哀想だ。

「あの、中へどうぞ。外は寒いですから」

「!……なら、邪魔するぜ」
「待っ――……宇髄さん、術は!」
「この場所にはなんもねェよ」

ふたりは何かを言い合いながらも、戸を閉めて中へやってきた。……中へと案内はしたが、名前もココの家主ではない。さらに、当の家主は今も聞きなれたあの音を立てながら、鍛冶場で刀を作っている。そして名前は、勝手に座敷へ入り込むような非常識を持ち合わせてはいない。

――と言うわけで、厨房を突き進んだ先にある小上がりの板張りへ座り込む。大男と距離を開けるのを忘れずに。

「……それで、なにか分かったんですか」
「すみません。聞いてはみたんですが、」
「黙ってろ。これから分かるんだよ」

そう言うと、大男――宇髄は、人差し指を名前の額に突いて目を閉じた。急な接触に驚いて名前は僅かに身じろぎしてしまったが、不思議と額の指も名前の体もズレることなくくっついていた。

しん、と静まり返る。

「――こりゃあ、呪術だな。十中八九」
「!血鬼術とかじゃ」
「ねェな。呪術特有のアザナが眉間にある」

「ジュ、ジュツ?」

非現実すぎる言葉に、耳を疑う。

ジュジュツ――呪術。まさか、私の身にそんなお伽噺のようなことが起こってたまるか。後ろ指を差されないよう、普通に過ごしてきた私に。今どき、そんなオカルトを信じるわけがない。……やっぱり、炭治郎くんも敵で。拐ってきた理由を隠しているんじゃ――

「お前に心当たりがねェってんなら――戸の向こうのヤツに、聞くしかねェな」

ハッと、顔をあげる。すると先程名前がもたれ掛かった勝手口の戸が、勢いよく開いた。

「こりゃ、蛍!おなごを匿うとるとは、どういうことや!?」
「長さん!」

――おさ、さん?

「ほっ!?炭治郎殿?もしやまた蛍が癇癪を起こしたんか」
「いえ!鋼鐵塚さんのことじゃなくて。今日は宇髄さんと、調べたいことがあって」
「おやおや、これはこれは宇髄殿……失礼を。この音……蛍のヤツ、出迎えもせんとまた刀を研ぎよってからに」
「構わん。それよりも、今おなごと言ったな?」
「へぇ。里の者から、蛍が嫁を貰ったと聞きましてな。育ての親のワシにも了見を取らず――身内として、ひとこと言ってやらねばと」

「それは、コイツのことか」

宇髄が体をズラし、名前へ視線を誘導した。そこには、名前の背の半分程度しかない小柄なひょっとこが立っていた。

彼が「おささん」なのだろう。

しかし、たしかあの男――鋼鐵塚が言っていなかっただろうか。「そのうち長が見に来る。演技でないのなら、そいつに文句でもぶつけろ」と。つまり、彼が――

「そのおなごが、例の!?しかも面なし、里の外の者とは。……里の相手は嫌だ言うてたんは、本心やったか」
「それが、そうも簡単な話でもなくてな」
「ほ?」

「――、ぃ……、……――っ」
「名前さん?」

「……っ、帰してください!元の場所に!」

耐えきれない思いが、名前の口から雪崩のように飛び出した。誰が敵だとか、なぜここにいるのか……今まで悩んできた全てがどうでもいいとさえ思えた。ただ――帰りたい。今まで抑えていた思いが決壊し、名前はすがるように地に伏せた。

「な、なんや蛍のヤツ拐かしてきたんか?」
「いい加減に、してください」

全てが白々しい演技に見えた。

「私は、私はただ家に帰りたいんです。仕事中に…いつの間にか連れてこられて、監禁されて」

「“いつの間にか”……ねェ。この話の通り、コイツには確かに呪術がかかってる。しかもアザナを見るに――口寄せの類いだ」
「…口、寄せ……まさか」
「長さん、心当たりがあるんですね!?」

炭治郎がにじり寄ると、里長――鉄地河原は、顎の下に手を添えて唸る。その次の発言を、名前たちは固唾を飲んで見守る。

「4、5日前かの……街で占星術師に会ぅてな。蛍のヤツもいい年やから。好き合う相手と身を固めたら、あの癇癪もよくなるだろうからと。ひとつ、良縁をお願いしたんや」

それはまさに、名前がこちらに来た時と同じ時期であった。占星術?口寄せ?その全てが、名前には理解できない。

「ま、待ってください、そんな」
「名前さん……」
「なんですか、それ……今、何年だと思ってるんですか。2000年代ですよ?そんなオカルト話を現実だと、信じられるわけ――」
「え、えぇっ?2000年って、」
「わかったわかった……んじゃ、まずはその現実とやらを見てもらおうか」

スッと宇髄の懐から、折り畳まれた紙が差し出される。古びた色のそれは、ビッシリと文字で埋め尽くされている……新聞だった。読みなれない文体をゆるゆると目に止めながら、行きついた上部。そこには――

「たい……しょ、う……」

「その占星術師の腕か、たまたまか分からねぇが…口寄せの術は、時さえ超越すると聞いたことがある。その願いが強く、困難なほどに」
「じゃあ、名前さんは」

「少なくとも、鋼鐵塚とかいう男が好くほどの女がこの世にいない証拠だな」

たいしょう――大正、時代。

年号を4つも遡ったその時代に、私はいるのか。しかも、あの刀鍛冶の相手役として喚ばれた?信じられない、きっと私を騙そうとしているんだと頭を振る。しかし……行くてを阻む謎の霧や、時代劇を思わせる彼らの服装。電波のたたない携帯電話。その全てが、あり得ないこの状況の答えに結び付いてしまう。

「嘘……嘘、でしょ……そんな……」
「……すまん」

土間の冷たい床に、長が座して額を擦り付けるのを……他人事のように、呆然と見下ろす。謝られたって、どうにもならないというのに。

「まァ、まずはその占星術師を見つけることだな。術を解かせればいいだけの話だ」
「……流れの旅人の風体やったが、見つけてみせるで。ワシのせいで、お嬢さんにえらい目に遇わせてしもたんやから」
「俺も手伝います!聞き込みとか、任務の時に一緒にできるだろうし!」

「――見つから、なかったら」

最悪の状況が、名前の脳裏をよぎる。占星術師が見つからなくて、術の解き方もわからなかったら。私はこの霧に囲まれた家に、この冷たい土間で寝続けるのか。あの男の剣幕に怯えながら。

知らずに震えだした肩を、両手で抱き締める。名前を現代に留めてくれる物は、すでにこの洋服と……もはや使うことのできない携帯電話だけだ。

ふと、頭の上に暖かななにかが乗った。

「そん時ァは――俺の嫁にこい。こっちに来て良かったと思えるほどに、派手に幸せにしてやるからよ」
「……!」

悪人顔が、くしゃりと――名前の鼻先で微笑んだ。その瞳は清らかで、真摯な思いを伝えてくる。驚きからか、目尻からポロリと涙がこぼれた。それを宇髄は頭に乗せていない方の手で掬い、優しく撫でる。

「お前、今日まで不安だったろ…右も左も分からず、よく耐えたな。その根性に加えて、学もある……骨のあるイイ女だ」
「……え、…と」

自慢ではないが、名前は平凡な容姿と学歴の女だ。付き合ったと呼べるような相手も、経験も……とても胸を張れるものではない。ゆえに、突然の彼の発言にも反応ができずにいた。

「それによ、これは里長の責任でもあるんだ。生活面については派手に世話させてやれよ」
「もちろんや。きっかり、責任をとらせとくれ」

ワシに任しとき、と鉄地河原はその小さくて一見頼りない胸を叩く。炭治郎は、宇髄と名前のやり取りに顔を真っ赤にしたまま「魚また釣ってきます!」と叫ぶ。

「……〜〜っ」

耐えきれず顔を覆って俯く名前の頭を、何度も暖かくて大きな掌が撫で付けるのだった。


201101 完
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