05

飯を作れ。畑の野菜を採れ。
あの男はそう言った。


一方的な主張に、名前は反発をぶつけたかったが……しかし、あのひょっとこ顔を思い出すとどうにも腹の底がモヤモヤとして気が進まない。

餓死の恐れはなくなったのだ、今はそう思って引き下がろう。前向きに考えることにした名前は、物は試しと畑の野菜でなにかを作ることにした。そしてできあがったのは――

サラダである

痩せ細ったきゅうりに割けたトマト、謎の菜っ葉を洗ってから包丁で切り分け、茶碗に盛り付ける。ドレッシングには、先程割った梅の壺の底にあった梅の汁を少々。これで完成。

正直、料理ではない。……だが仕方ないのだ。鍛冶場の種火から火をいれてもすぐに消えてしまうし、かといって野菜以外に食べられそうなものも見当たらない。なぜなら、冷蔵庫もないのだから。

「この状況で料理できる人なんて、調理師免許でも持ったプロくらいだ……よね」

しがない会社員には、土台無理な話なのだ。あの男になにか言われても、絶対にそう言い返してやる。そう覚悟を決めて、鍛冶場の襖を開ける。

「――あの、」

「……」

少し太めの糸を片手にしていた男は、少し顔のお面をこちらに傾けた。その瞬間、まるでひょっとこの真っ黒な目に吸い込まれるように、名前の覚悟は飛散していった。

「サラダ、なんだけど……ありあわせで、こ、このくらいしか……でき、なくて……」
「……」

どんどん声も小さくなり、視線も手元に落ちていく。どうしよう。肉がないならお前でいいと、斬り捨てられたりしないだろうか。名前は能天気とも本気とも思えることを考えていた。

―――カンッ、カンッ、カンッ

「え」

突然聞こえてきた甲高い音に、弾かれたように視線をあげる。すると男は、何事もなかったのように釘を何かに打ち付けていた。……声が小さくて聞こえなかったのだろうか。

「あ、あの!サラダが――」

カンッ、カンッ、カンッ

今度は、名前の言葉に被せるように音が響き渡る。……このタイミング。完全に聞こえた上でのこととしか、思えない。


―――痛かった。

野菜を掘り起こすとき、爪の間に土が入ってじくじくと。井戸水は刺すように冷たくて、指はすっかりかじかんで芯まで冷えた。採れた野菜は細く小さく貧相で、虫もたくさん食っていて。騒ぎたくなるのを我慢してそれを落とし……。そして恐怖を圧して、男にサラダを出したのだ。

にも拘らず、にべもなくこの仕打ち。
心が、刀で斬り捨てられたように痛んだ。

そして悟った。
気を揉むだけ、無駄なのだと。


それからの行動は早かった。
襖を閉め、自分の分をしっかりと腹に収めたあと、汲んだままになっていた井戸水で後片付けを済ませ……冷たい板張りの地べたで丸くなる。

より一層、自宅の温かい寝床が恋しくなったが……こうして気持ちを疲弊させるのがあの男の作戦かもしれない。であれば屈するわけにはいかないと、歯を食いしばり眠った。

翌日、名前の目を覚ましたのは、やはり鍛冶場の音だった。カン、カン、シュッシュッ……。もしや、あのまま寝ずに作業をしているのだろうか。

「すごいな……」

と、呟いてから首を振る。今のは別に、賛辞とかではない。ただ、その……常軌を逸してると思っただけだ。

取り乱したことさえも振り払うように、名前は床から起き上がる。そして腹の音を聞いて「そうだ、ごはん……」と、再び畑へ赴くこだった。

「もっとお腹にたまるもの、ないかな」

じゃがいもやキャベツ、玉ねぎなんでもいい。水分よりも重たさのある食べ物を求めて歩き回る。しかしそこにあったのは、葉がよれたしなしなの菜っ葉だけ。

あの男のことだ、畑の世話なんて焼いていないのだろう。だから野菜も貧弱になったに違いない。もしこのままでいれば、自分もこの野菜たちのように痩せ細っていきそうだ……。

ぶるりっ


寒気とは違う。いわゆる悪寒を感じて、名前は肩を震わせた。

すると――

「ごめんください」

どこからか声がした。空耳か?
それとも本当に誰か来たのだろうか。


「あれ、誰もいないのかな」

人の良さそうな、若い男性の声だ。
間違いない、人がいる。
あいにく深い霧のせいで顔はわからないが。

もしかして、奴の言っていた長だろうか。
私を誘拐したかもしれない人。

「……」

思わず、生唾をのみこむ。あまりにも急な訪問に、気持ちの整理がついていないのだ。この状態でも「帰してください」と声をかけるべきか。ここは霧に紛れて、知らないふりを通すべきか。

そう考えあぐねていると、
視界に突然ぬっと赤いなにかが現れた。

「あ、いた」
「――ひっ」

その人は、赤い光を灯したような目を持つ、少年だった。少年は、名前と目が合うと慌てたように「あぁっ、怪しいものじゃないんです!」と身をひいた。

「困ったような匂い……いえ、気配がしたので気になってしまって。どうかしましたか?野菜だったら俺、運んじゃいますよ」

「や、野菜……?」
「はい、足元のそれ。きっと夕餉のですよね?俺、鍛えてるので任せてください。ほら、ほらっ!」

少年は、ひょいと野菜の入った桶を小脇に。ついでにと井戸水の並々と入った大きめの桶も片腕で担ぎ上げて見せる。「あそこが勝手口ですよね!行きましょう!」と返答も待たずに、キッチンへ続く扉の向こうへ消えてしまった。

「この辺に置いておきますね」
「あ……す、すみません」
「いえ!俺、長男なんです。だからこういう手伝いはよくやってて。気にやまないでください!」
「はぁ……」

あまりもの人のよさに、名前は恐怖を忘れて、ただただそう返すしかなかった。少年は「くんっ」と鼻を鳴らしたかと思うと、満足そうに深く頷いて見せた。

「ところで――……鋼鐵塚さん、いませんか?それともまだ怒ってる、とか」

はがねつか?

名前は思わず首をかしげた。呼称から、人の名前とわかるが……一体だれのことだろう。

その反応だけで、少年は全てを察したようだ。

「ここで刀を打っている刀鍛冶の方なんですけど……おかしいな。匂いもするし、家は間違ってないはずなんだけど」

「刀鍛冶……あ!」

あの男への客人だ!

「あの人と、知り合いなんですか」
「ええ!刀をお願いしていて」

名前は、少年の受け答えに目を見開く。信じられないほどまともな人だ。奴の知り合いとは思えないほどに。

もしかして、こう見えて極悪人なんだろうか。刀をお願いしてると言っていたし。実は誘拐犯の一味で、私を油断させるつもり……とか。

「俺、やっぱり怪しいですよね。……文も寄越さず来ちゃったし。で、でも本当に、この間の折ってしまったことを、改めて謝りにきただけで」

少年は困り顔で俯いたかと思うと「そうだ!」と背負っていたものを下ろしてゴソゴソとなにかをし始めた。

「これ!手土産です。河で釣ったものですけど、なかなかの大物でしょう!」
「わっ」

少年は、自分の身の丈の半分はある魚を、ずいっと差し出してきた。片手で持ち上げてはいるが、腹がパンと張っていて、随分と重そうな魚だ。名前は思わず魚の眼をまじまじと見つめ返してしまった。

ごくり

そんな音が聞こえなほど、じっと眺める。
油がのって、美味しそうだ。

「よかったです!喜んでもらえたみたいで」
「へ……あ、す、す、すみませんっ!私、そんな物欲しそうな顔してましたか。う、恥ずかしい」
「違います違います!俺、鼻が利くのでっ」
「は、鼻?」

「あ!……ア、ソウダ!魚、どこに置いたらいいですか?ほ、ほら!暑くて傷みやすい時期なので」

「(暑くて?寒いくらいだけど)……えっと、じゃあその釜のあたりに」
「わかりました!」

慌てた様子でくるりと背を向けた少年は、釜の前まで移動して……動きを止めた。

「この竃、どうかしたんですか?」
「え?」
「燃えたあとがあるのに煤けていないので」
「それは―――……その、使い方がわからなくて。ガス台以外のは使ったこともないから。というか、見たこともなくて」
「えっ!そうなんですか……よかったら、俺が教えましょうか?家が炭焼き屋なんです」
「すみ、やき?」

「それに!俺、竈門炭治郎って言うんです。ね?名前と相まって、ますます得意そうでしょう!」

少年は、太陽のような笑顔で胸を張って見せた。冷えきっていた名前の体や心まで、温かくするほどに。

「……――っ」

「あれ?お姉さん……って、わわ!?大丈夫ですか!?どこか痛いんですか?」

気づけば、名前の頬は濡れていた。

驚かせたらいけないと、泣いてはいけないと。そう思ってもなかなか涙は止まってくれない。「禰豆子、違う!大丈夫だから!」そんな慌てた声まで聞こえてきてしまった。

「ぐすっ、大丈夫……ごめん、なさい。こっちに来て、そんな優しいこと……初めて、言われたから。うれしくて」

「え?」
「あの人……怖くて、冷たくて……痛くて。苦しかった、から。だから……っ」
「……!」

その瞬間、空気が変わった。

キン、と冷えわたるような。毛が逆立つような、そんな重たい空気になった気がした。この寒さで、雪でも降り始めたのだろうか。

「鋼鐵塚さん、この襖の向こうですよね」
「?……は、はい」

「失礼します!」

襖に向かっていく少年。気のせいか、少年の瞳孔が開いているように見える。春を思わせるような温かい表情も、すっかり神妙なものになっていた……気が。


パシィィン!

まるでワックスでも差したのかと思うほど、なんの引っ掛かりもなく襖が開いた。そして少年は開け放った襖の前で仁王立ちになりながら、作業に没頭するひょっとこに……言い放つ。

「どういうつもりですか、鋼鐵塚さん」
「なんだ……ーーってお前、竈門……炭治郎……!!」
「彼女、泣いてましたよ」

すっ、と名前のいる方の襖が開け放たれる。名前は驚いたまま、立ち尽くすしかなかった。

「?だからどうした」
「だから、どうした……!?」
「あ、あの……竈門さん……」

さすがに雲行きが怪しくなってきた。
一旦落ち着こうと、声をかけるが……。

「刀鍛冶としての誇りが強いことは知ってました。それが行きすぎていることも。でも、よもやここまでとは……!」



「奥さんを、なんだと思ってるんですか!」


少年の叫びは、家や草木……そして、名前を震わせた。オクサン……オクサンとは、なんだろうか。そこにはただ、鍛冶場の火が爆ぜる音だけが響くだけだった……。


200212
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