04

日に照らされた道を前に、泣く女。
道など見えない、森しかないのだと言う。

里一番の変わり者である鋼鐵塚は、こいつは正気なのかと耳を疑った。きっとこれを聞いたら、里のものは皆つるりと腰を地面に打ち付けたことだろう。

しかし、このまま部屋で泣き喚かれても困る。鍛冶の邪魔であるし、誰かがこの声を聞いてすっ飛んできたなら更に面倒だ。前に寄越された飯炊き女にも騒がれて、その罰として、ひと月も刀を打てなかったのだ。

……であればやむ無し。
鋼鐵塚は女の手首を掴み、歩き出す。

「ぐすっ…………、……なに、……」
「望み通り、帰してやる」

女がまごまごとなにかを言っているが、関係ない。畳を踏んでいた足の裏は、草履をひっかけることなくそのままひんやりと冷たい石畳を踏みしめ歩く。ズンズンと、その道を突き進む。そうすればすぐに里の民家と、山を下る一本道が見えてきた。

鋼鐵塚は「どうだ」と言いはねるつもりで女に振り返った。するとそこには……ただ、初夏の風に揺れる花が見えただけだった。たしかに掴んでいたはずの手首も、ない。

「おーい、鋼鐵塚さん」

顔見知りの男が駆け寄り「一人でなに突っ立ってんです?」と、なんとなしに声をかけられる。いつもであれば、関係ないだの、鍛冶のためだのと返すところだが。

「おい鉄穴森」
「ん?」
「一人で、と言ったな」
「え?待ち人でもいるんですか」

そいつは珍しいと辺りを見回す鉄穴森。どうやら本当にここには誰もいないらしい。……たしかに先程まで女がいたのだ、一人ではなかったのだ。それとも、俺は寝ぼけてでもいたのだろうか。

「って、わっ!なんだ、随分すっぺぇ匂いですね。ていうか頭からなんか滴ってますけど……」
「……」
「この匂いは……梅か?まさか俺が非常食にと置いてやったあの壺……割ったんじゃ」

その言葉で、鋼鐵塚は目を見開いた。「それ、先月うちのかみさんがこさえた梅の壺じゃないですよね?ね?」―――そうだ、梅だ。俺はさっきあの女に浴びせられたじゃないか。ならばあれは、夢などではないはずだ。

「っおい!鋼鐵塚さん!?……ったく、相変わらず話を聞かねぇんだから」




ガラッ

開け放ったままのはずの戸を開き、大股で敷居を跨ぐ。歌舞伎者の如く、ぐいと見栄を切るようにして家の中を見回すと。へたりと腰を畳に沈めた女が、呆然と天を仰いでいた。

「お前なんだ今の」
「……っ……知らない、から」
「妖術かなにかか」

「だから……知らないってば。あなたが勝手に手を掴んで、急に離したんでしょ……嫌だって、怖いって言ったのに。ひどい」

泣きはらした赤い目が鋼鐵塚を恨めしそうに見て、またひとつ涙をこぼした。わけがわからん。いなくなったのはこいつだ。なのにこいつは、俺が消えたのだと言う。やっかいだ。しかもグズグズと泣きやがる。

「もう一度だ」
「……!い、いや……!」
「今度はお前が前を歩け」

妖しであろうと忍びであろうと関係ない。……よもや、泣き落としてこのままこの家に居座るつもりではあるまいなと、鋼鐵塚は憎らしく思った。

となればやはり、これは長の手の者なのだろう。俺にやたらと小煩く小言を言う奴のことだ。今度こそ所帯を持たせる腹積もりだろう。嫁など、家族など煩わしい。なんとしてもこいつをどこかへやらなければ。


しかし……結果は同じだった。

「うわぁ!?鋼鐵塚のおじちゃん!?びっくりしたぁ〜!なになに?一人でお相撲でもやってるの」

目の前を泣きながら歩いていた女は、まばたきの間に忽然と消えていたのだ。


再び家に戻れば、また彼女は身を折り畳むようにして畳に座り込んでいる。

「身代金でも、なんでも……出すらから……もう、もうっ……帰らせてよ……おねが、い……」

濃霧の中で何度も取り残されたことを、精神的な揺さぶりだと勘違いした名前はついに年甲斐もなく泣き崩れるのだった。

「いちいち騒ぐな、鬱陶しい。……とにかく、お前が出られないことはわかった」
「……そ、っちが……出さない、のに!」
「俺には関係ない……が、ここは俺の大事な仕事場だ。俺とて、死んでも出ていくわけにはいかない」

鋼鐵塚は、ガシガシと頭をかく。せっかく先程、見事な刀が研ぎ上がったんだ。これからまた手入れやら柄やら拵を着けなければならない。だが赤子のように泣きぐするこの女が、横で静かにしてるとも思えない。

「よし決めた」
「決めた……って、まさか……こ、ころ――」

女はサッと青白く表情を変えた。

「そ、そんなことしたって、……だって、あんまりだよ……そんな、私……ま、まだ――まだやりたいことだって、……!」

「飯を作れ」
「あ、る……の…………え?」
「俺は刀を作る」

これで解決だと、鋼鐵塚は膝を叩き立ち上がる。女は鰯のように口を開けて、こちらを見上げていた。

「お前のそれが演技かそうじゃないかは、どうでもいい。邪魔にならかいなら、それでいい」
「演技、って……」
「そのうち長が見に来る。演技でないのなら、そいつに文句でもぶつけろ」
「おさ……よく、わからないけど。……主犯はあなたじゃないってこと……なの、ね」

女は表情を暗くして黙りこんだかと思うと、キュッと唇を噛んで黙って頷いて見せた。そして目尻の涙をぬぐったかと思うと「食材はどこにあるの」と、立ち上がる。

「厨にある」
「梅干ししか、なかった……」
「……なら外の畑にある」
「はたけ……畑?えっと、まさか……野菜を採れって言うの?この寒い中で、そんな」
「知らん。お前の好きにしろ」

そう言い残すと、鋼鐵塚は鍛治の続きをするため、襖をパシリと閉じたのだった。


200209
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