私には憧れている、というか、好きな人がいる。高校入学したての、1年の夏。むせかえるような熱気が、ゆらゆらとグラウンドのうえを踊っていた。正門よりも、グラウンドを横切った先にある校門のほうが家への近道である私と友人は、熱気から逃れるようにして校舎の影を渡りながら歩いていた。ちょうど体育館の横に着くと、あれが蜃気楼かーと気だるく言う友人に、私はカゲロウだよと返す。すると、体育館の方から、なにかが弾む音が聞こえてきた。
「バレーボールだ」
「そうだね」
弾み続けたボールは、名前の足元に転がってきた。屈んでそれを拾い、体育館のなかを覗く。なかでは男子バレー部が声を出し合いながら練習に励んでいた。どうやら、誰もボールがこぼれたことに気がついていないようだ。仕方なく、名前はローファーを脱いで体育館内に顔を出した。
「この辺でいっか」
打ちっぱなしかなにかで壁沿いに転がっている球のなかに置いて、さっさと退散する。ローファーを履き直し、手招きする友人の元に急いだ。
「ボール、サンキューな!」
背中にかけられた言葉に驚いて、振り返る。体育館の窓から、誰かが私に手を振っていた。私なんかじゃ背伸びをしても届かない位置にある窓なので、始めはギョッとしたが、バレー部ということは背が高いのだろう。戸惑いながら軽く会釈をすると、相手はニッと太陽のような笑顔を見せた。……そのとき、私の胸はキュンッと狭くなった。
「西谷、レシーブ練習するぞ」
「オースッ」
名前の心を颯爽と奪った彼、西谷くんはあっさりと窓から姿を消してしまう。それでも、名前はその場から動けずにいた。明るくて、爽やかで、背が高い西谷くん。それが私の好きな人。
◇◇◇
「に、しのやくん!おはよ!」
「おお!」
あの日以来、名前の頭は“背が高い西谷くん”のことでいっぱいだった。これが恋だとわかってからは、彼を見かけたら積極的に挨拶をするようになった。可愛くもなんともない私ができることといえば、特徴のないこの顔を印象付けることしかないと考えたのだ。上の階にいる西谷くんに向かって挨拶する。初めてしたときにはかなり驚かれたけど、段々と西谷くんからも挨拶をしてくれるようになった。そのうちに私の名前を聞かれて、声をかけられるようになって……。私の恋は走り出して止まらない。毎日が楽しくて、たまらなかった。
しかし、なぜかいつも彼は私よりも高い階にいることが多かった。初めて会ったときから、名前は彼と正面で話をしたことがないのである。……でもこれはこれでロミオとジュリエットみたいで素敵だなぁ、なんて思っていた。同い年の彼とは、きっとそのうち体育の授業なんかで初めてすれ違うんだわ。それで、初めて会ったみたいだね、なんて返すのだ。恋のスパイスに酔いしれながら、名前は西谷を探した。
───しかしながら。この妄想は、何度目かのベランダ越しの逢瀬で、シャボン玉のように弾けてしまうのである。
その日、名前はどうしてもストレートティが飲みたかった。しかし食堂も購買もなぜか売り切れ。仕方ないかと外に出て自販機をはしごすること、3台目。ようやくお目当ての品を見つけた。硬貨を入れてランプがついたことを確認した、そのとき。
「おーい、名前!」
西谷くんの声がした。上からだと、勢いよく校舎を見上げれば、2階のベランダで彼が私に手を振っていた。
「に、西谷くん!」
嬉しくて、間違えておしるこを押してしまったことにも気づかずに、名前は手を振り返した。西谷くんは体操服姿だ。きっと4限目が体育だったのだろう。体育で活躍する西谷くんを思い浮かべていたそのとき、名前の目にある文字が飛び込んできたのだった。西谷くんが着ている体操服の、胸元にある文字。
2年3組
「に、2年生!?」
「おお?!」
だから。だから、なかなか会えなかったのか。ていうか私、西谷くんなんて呼んでいた。これじゃあ、ただのなれなれしくて生意気な下級生だ。順調に思えた恋路が横道にそれていたというショックから、挨拶もそこそこにおしるこを片手に自分の教室に帰った。その日、そのあとの記憶はあやふやで、気がつけば自室の布団で小さく身をすぼめていた。もうしばらく、西谷くんと会えないよ……!
そして次の日。
やっぱり西谷"先輩"が見たくなって、私はまたお昼休みにあの自販機に向かっていた。決意して来たにも関わらずに会えなかったら、どうしようか。そんなこと危惧しながらも行ってみると、昨日と同じベランダから何かを探している西谷先輩を発見した。
「なにか探してるんですか?」
上に向かって震えないようにと張り上げた声は、彼の耳に届いたらしい。西谷先輩は豪快に自分の頭を掻いたかと思うと、ニカッと笑ってみせた。
「見つけた」
「!」
この人はどれだけ私の息を止めれば気がすむんだろう。バクバクと、耳が心拍音を拾う。ずるい、きっと私だけだこんなの。
名前が睨む先には、照れる様子もなくこちらを見ている西谷。ゆでダコみたいな自分が悔しくて、気がついたら口を大きく開いていた。
「西谷先輩が、好きで! 悔しいんですけど! どうしたらいいですか!」
「…………ハアアアアアア!??」
怒りを込めながらも放った告白に応えたのは、突然上がった怒号だった。聞き覚えのない声だ。名前は誰かに聞かれたと身を固くしながら、西谷を見上げる。焦った様子の西谷は、ベランダ内側に視線を落としていた。
「龍、うるせぇ!」
「だ、お……ハァ!?」
どうやら、ベランダにもうひとり西谷先輩の友達がいたらしい。一世一代の告白を、聞かれてしまった。男子って恥ずかしがりだし、きっと友達にからかわれるのが気になるし、きっと……きっと私振られちゃう。ただでさえよくわからない怒りに任せて告白しちゃったし。嫌だ、明日から学校これない。熱くなる目元に、力を入れて深く溜め息を吐く。
そして全てが冗談だと伝えようと口を開こうとすると、西谷先輩が私以上に真っ赤に染まった顔で、私に叫んだ。
「俺もだ!」
140604 前半/完
140621 修正
ちょっと続きます
ちなみに名前さんとの初対面時、西谷は窓にぴょーんと飛び付いてます。
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