02

水泳部設立との一報を受けた、その日の放課後。名前は所属している美術部の部室から抜け出してプールへと向かっていた。手に付いた絵の具を乱暴に擦り、校舎から飛び出す。

部員が男だけだなんて、自分の目で見るまでは信じたくなかったのだ。もしかしたら今日の今日で女子部員が入っているかもしれない。そんな希望を胸に、名前は入学当時にも興奮ぎみに歩いた道をゆく。相変わらずひとっこひとりいなくて、ここだけ学校から切り離されてしまったかのように静かだった。

プールを囲うフェンスが見えてきた。名前は早る気持ちを押し殺して、壁に背中をつけて辺りを見渡す。よし、誰もいない。確認がとれるとすぐにフェンス下へ駆けた。
そして、ゆっくりと上体を起こして、プールサイドを舐めるように見回す。……プールにも、誰もいない。それはそうか。まだ肌寒い季節。温水でもないプールに入るようなアホはいない。肩から力を抜いて、息を吐く。瞬間、鼻を掠めた塩素の香りに目をつむる。ああ、これだけであの至高の風景が名前の瞼の裏に浮かぶ。

「なにをしている」

声に、名前は急いで目を開いた。顔にかかる影を追いかけると、フェンスからこちらを見る男と視線がぶつかる。彼の黒髪から水滴がこぼれ落ちて、白く固そうな肌を濡らした。ゆっくりと下を見ると、水着をはいている。これ、水泳部だ。間違いなく。

驚いている名前を眺める彼も、名前の顔を見るなり目を丸めて見せた。そしてそのままポツリと言葉を発する。

「お前、水泳部に入りたい女だな」

「はあ!?」

声量など気にせず、喉の奥からすっとんきょうな声を出す。突然なにを言い出すんだこいつ。しかもなぜそれを知っている。自分の知らないところで噂されているのか。取り乱して顔色を二転三転させる名前と、無表情の水着男子。間にフェンスがなければ、驚きで殴りかかっていたかもしれない。

「部活見学か」

「い、いえ……たまたま来ただけで」

「水泳部に入りたいんだろ。水が好きなのか」

「別に……ていうか、な、なんでそんな話になるんですか」

「屋上で聞いた」

屋上。たしかに今日はそこでお昼を食べはしたけど、それがなんだというのか。むしろ私は屋上で聞いた水泳部設立について調べ……。え、あれ。ちょっと待って、まさか。あの大騒ぎを……

「聞いてたの……?」

頷く彼を前に、名前は突然痛くなった頭を抱えた。水泳部について騒いでいたあの屋上に、水泳部の彼がいたなんて。なんかとんでもないことを話してなかった!?わかんない思い出せない!

「部員は募集している」

「だから、入部希望じゃないったら!」

「なら、なにをしにきたんだ」

「そ、それは」

「……」

「……」

訪れる静寂。
だって女子部員がいないんなら、入る意味も見る意味もないんだもん。でもそんなこと言ったら、芋づる式に私の性癖をばらさないといけない。こんな、いま会ったばかりの水着男に。
それだけは嫌だと頑なに口を閉じる名前と、感情を浮かべずに眺めるだけの男子。すっかり膠着状態になった2人の元に、ひとつの足音が近づく。

「遥先輩!」

可憐な声が名前の鼓膜を揺らし、顔を上げさせた。きらめくザクロ色のポニーテールと、胸元で揺れる下級生を意味する赤いリボン。……女子部員だ!名前の体のなかで雷鳴がとどろく。

「あれ、どなたですか?」

「入部希望者だ」

「え、えええ!? 本当ですか、遥先輩!」

「ああ」

お花が咲いたように笑うポニーテールちゃんは、感激した様子で小さく跳ねる。その際にふわりと揺れたスカートからは、白くてほっそりした足が覗いた。綺麗だ。

「わー! いままで女子部員ひとりだったので、嬉しいです!」

「よかったな」

名前は、彼女の微笑みにクラッと意識が持っていかれる。この子と水泳部できるなら、入部してもいいかもしれない……!

「早速、部室に来てみませんか?」

こうして、名前はあっさりと首を縦に振り、入部を果たしてしまうのだった。


140526 第二話/完

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