日曜日。
名前の姿は街の古書店にあった。大通りから外れた、住宅街に埋もれながら建つこの店は、名前の馴染みの店である。だからといって、店主と仲がいいというわけではない。ここの店主は会話もままならないほどのご高齢で、会話がなかなか成立しない。シナモンを散らしたような雪原を頭にこさえ、その額に瓶底を思わせる眼鏡をかけている。まさに、ご老人。名前の顔も忘れてしまう始末だが、なぜか本の場所と値段だけは一度も間違えたことがなかった。本の精霊なのかもしれないと思ってしまうのは、本の読みすぎだろうか。
目当ての本も見つからなかったので、名前は暇潰しがてら息をしているかと怪しい店主を、本棚の隙間からうかがう。
「名前さん……?」
名前も誰かに様子をうかがわれていたらしい。素直に後ろを振り向く。そこにはお嬢様のコートカードのひとりが立っていた。
「あ、アントニオさん」
仏頂面でお馴染みのアントニオさんだ。ローマ時代の彫刻を思わせる隆々と流れる黒髪が、相変わらず美しい。
「すまない、まさかお会いするとは思わなくて……声をかけてしまった」
「いや、別にかまいませんよ。ちょうど用事も終わったので」
私もまさかアントニオさん会うとは思わなかった。店から出る頃には、彼が最近この店を知ったばかりで来店も片手で数えるほどしかしたことがないと知った。なるほど、では私の方が先輩なわけだ。だからといってなにをするわけでもないが。
「よかったら、茶でもしていかないか」
と思っていたら、まさかのお誘いをいただいた。本の話がしたいらしい。しかし、私……恋愛小説しか興味ないんだよな……。話をしていても、アントニオさんがつまらないのではないだろうか。そう思いながら返事に困って、視線を通りに向ける。そして、そこに可憐かつ愛らしい彼女の姿を認めた。すかさず呼び止める。
「お嬢様!」
「名前?と、アントニオ!」
感激である……。休日にまさかお嬢様に会えるとは。隣のアントニオが歩き始めたのにあわせて、名前も足を動かす。
「お嬢、ひとりで出歩いては危ない」
「ううん、アントニオ。ひとりじゃないよ」
「? お嬢様、いったい誰と……」
「俺と、だ」
名前の耳が、レガーロ1信用ならない男の声を拾いあげた。最悪だ。なぜこんなやつとお嬢様が一緒にいるんだ。駆け巡る苛立ちのまま、男──デビトを睨む。相手は痛くも痒くもない様子。しかもなんとウィンクを返してきた。本の角で、思いきり殴りたい。
「バンビーナが、自分の魅力的なところを知りたいっていうもんだからな。いま、俺とそれを探してるってわけだ」
なんだと。
名前は自分の頭を本の角で殴りたい気持ちでいっぱいになった。あんな宿題を出したばかりに、お嬢様はこの歩く猥褻物とデートをするはめに。わなわなと、肩がいななく。
「そっちもデートなんだろ?」
からかうような視線が、また名前を不機嫌にする。早くどこかへ行ってくれないだろうか。話す気になれず、アントニオさんに目配せをする。それだけで彼は苦笑してくれる。名前のデビト嫌いはファミリーでも有名なので、特になにも言わずとも汲み取ってくれるのだ。
「古書店で会ったんだが……いま、デートの誘いをしているところだ」
「!」
驚きで心臓が弾む。アントニオさんもデートを誘うことがあるのか。というか、よりにもよって私を誘うとは。ますます返事に困ってしまう。
「しかし、そろそろ休憩も終わる……残念だがまたの機会だな」
「……そうね。でも、次はもっと魅力的なお誘いをお願いします」
「それは腕が鳴るな」
動揺を隠しながらの返事だったが、アントニオさんは気づかなかったようだ。お嬢様も瞳を爛々とさせているし、うん。大丈夫そうだ。……喉の奥で笑っているデビトにはバレているのだろう。腹立つ。
140305 第五話/完
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