「私、もう、どうすればいいのか……わからない」
「ロゼッタ……」
震える肩に手を添えて、撫でる。顔を上げるように促すが、ロゼッタはすすり泣くばかりだ。名前はそれを見つめて、打開案を見つけなければと思考を巡らせる。拭ってもまたすぐに満ちて溢れていく涙が、ロゼッタの悲しみを癒すことはない。考えた末に、名前は口を開く。
「彼には、本当にあなたの支えが必要なの?」
「な、なぜそんなこと!彼と別れろっていうの!?」
「あーあー違うよ、違うから落ち着いてロゼッタ」
ただでさえ号泣しだした彼女は、すっかり店内の注目を集めている。これ以上騒がれては、さすがに店から出なくてはならなくなる。それだけはごめんこうむりたい。まだ注文したドルチェも来ていないのだから。
「私が言いたいのは、彼が求めているのはあなたの支えじゃなくて、あなたが待っていてくれることじゃないかってこと」
───彼が、事業に失敗してしまった。私がアドバイスをしても喧嘩になってしまう。そう言って名前に相談してきたロゼッタ。名前は長年の経験から、ロゼッタの愛情が彼の自尊心を傷つけているのではないかと考えた。彼がいま必要としているのは、敏腕社長秘書ではなく、恋人のロゼッタが持つ包容力なのだ。
「待つ、なんて……彼が困っている様を見ているだけなんて、私には」
「あなたはロゼッタ。彼の恋人であって、仕事上でのパートナーではない。そうでしょう?」
ようやく顔を上げたロゼッタは、真っ赤にした瞳を丸くしていた。驚いたようなその表情を、名前も見つめ返す。
「いまは不安かもしれないけど、彼もそれは同じ。今日はなにも言わず、彼を迎えてみて?きっと、絶対にうまくいくよ」
不安そうな顔をしながらも、ロゼッタは「やってみる」と言った。自宅へ帰っていく彼女の背中を、夕日に照らされて赤く焼けた壁へ消えていくまで見送った。これで、彼女はもう大丈夫だろう。次に見せてくれるのは、幸せそうな笑顔だといい。そんな臭いことを考えていると、後ろの方から手を叩く音が聞こえてきた。
「素晴らしいわ、名前」
「マンマ!?」
そこにいたのは、アルカナ・ファミリアのマンマだった。いつからそこにいたのか、というかもしかしてさっきの見られたんじゃ……!
「さすが、恋愛指南の名前ね」
「ええっ?なんですかそれ」
「あら巷ではかなり有名みたいよ?随分、頼りにされているみたい」
そんなことになっていたのか。たしかに、最近やたらと知らない女性からの相談が増えた。先程のロゼッタも、お昼のためにたまたま入ったリストランテで声をかけられ、相談にのることになったのだった。
「そんな名前に、ひとつ重要な任務を与えたいの」
ここではなんだから、私の部屋へ行きましょう。マンマの翻る黒髪に見とれながら、名前は付いていくことにした。
◇◇◇
どうぞ、と勧められるがままに席につく名前。マンマの部屋に入るのは久しぶりだが、相変わらず不思議な空気が漂っている。こういう底知れない女性こそ、本のなかに出てきそうなものだが、名前はまだマンマ以上にミステリアスな女性を書物で読んだことはなかった。現実は小説より奇なり。マンマを前にする度に、名前はその言葉を思い出す。
「今日あなたを呼んだのは、特別に頼みたいことがあってなの」
「はぁ」
前もって言っておくが、名前は大アルカナの保持者でもなければ特別に頭がいいわけでもない。長年、マンマたちファミリーに使える使用人のようなもので、主に書斎の管理を任されてきた。と、すると。今回呼ばれたのは、なにか調べたいことがあってのことに違いない。書斎のどこにどんな資料があるのかくらいは把握してるけど、内容まではわからないんだよなぁ。どうしたものかと思いながら、マンマの次の言葉を待つ。
「私の娘、フェリチータの恋愛指南役になってくれないかしら」
「………………は?」
お嬢様の、恋愛指南?あまりのことに、言葉がうまく飲み込めない。いや、大変なお願いをされていることくらいは理解しているのだが。
「これから先、あの子は『恋人たち』のアルカナを強くしていかなければならないの」
マンマは混乱したままの名前を置いて、どんどん話を進めていく。名前も、ただ頷くことしかできない。
「そのためには、色々と越えなければいけない壁があるの」
「……そのひとつが、恋事情だってことですか?」
まさかと思いながら、半信半疑の名前。マンマはきれいな笑顔で、それに答える。マンマは本気で言ってる。
「……」
「……」
言葉をなくして黙す名前を、マンマがにこにこと見つめている。──たしかに、恋愛相談にはそれなりの数のってきた。上手くいったと報告してきてくれる女の子も、9割ほどいる。だけどこんな恋愛小説からしか恋愛を学んでいない私に、お嬢様の恋愛指南役ができる……はずが、ない。
「マンマ、私なんかよりいい人がいるはずだよ……とても私じゃ」
「いいえ、あなたしかいない。さっきのやり取りを見て確信したの」
やっと絞り出した名前の言葉を、マンマはバッサリと切り捨てる。さらに「私の勘は当たるんだから」と自信たっぷりに言われてはなにも言い返せない。どうしよう、吐きそう。考えさせてくれと退室できる雰囲気でもない。
「私の、私のできる限りで……よければ」
肩をガックリと落とし、名前は落城した。マンマの喜びの声が上がる。
「じゃあ、明日から早速お願いね」
逃亡する時間さえ与えないつもりらしい。名前の口から乾いた笑いが出る。さすがマンマです。
131205 第二話/完
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