10

「ほほほ。なかなかの腕やろ」

豪華な御膳を前に胸をときめかせていた名前を現実に戻したのは、里長の微笑ましさを滲ませたその一言だった。あの男……鋼鐵塚との話は終わったのだろうか。

「鉛は里でも評判の料理上手やからな。色々と教えてもらうとええ」
「ありがとうございます」
「あいつの旦那もな、昔は手に負えんこともたまにあったんやけど……一目惚れして、コロリと。そらぁ落ち着いたもんや」

旦那というのは、もしかしないでも以前会った黒髪の男のことだろう。しっかりと常識のある大人に思えたので、少し意外だ。

「せやから、蛍の奴にも良縁をと思うたんやけどな――……ところで、蛍には会ぉうたか?」
「え?」
「さっきな、アンタのこと話しとるのに、人の話も聞かず薪がない言うて探しまわっとったから。風呂の方まで行ったとちゃうんかなと」
「会うもなにも、あの人――」

言葉を連ねようとして、はたと目を見張る。なんとなく、きな臭い。話題の振り方からして不自然だ。じろりとその面の向こうの目を睨む。

「まさか、里長さんが風呂場に薪があると言ったんですか?」
「え!?な、なんの話や?ひゅーひゅー」

途端に、名前の心は冷えわたる。信用できるかもと思った自分を叩きたい。この状況を作った彼にとっての最良は、やはり鋼鐵塚の身を固めることなのだ。

「パワハラ、セクハラ……労基がなくて、命拾いしましたね」
「ろうき?」
「いえ。では、料理が冷めてしまいますので」

こういう強行タイプの上司には、なにを話しても無駄である。ビジネスライクな関係で、ウィンウィンな結果がもたらせる距離感をとるのが大事だ。

名前は社会人経験で学んだ世渡り術で、にこりと愛想笑いをして鉄地河原をそのまま家の外へと誘導した。「まだ話できとらんから、また今度くるで」という言葉に手を振り、戸を閉める。

いいことが聞けた。まだ私の身の上の話をしていないということは、彼が結婚云々を意識することはない。これまで通りの態度で、食事も摂るだろう。癇癪も治しやすいはずだ。

と、くれば。
次にやるべきことは――



「鋼鐵塚殿の好物、ですか?」

名前の襟を手直ししながら、鉛は首をかしげて見せた。名前が大決心をした翌朝、運よく鉛が着物の着付けを教えにやって来てくれていた。「洋服しか着たことがないなんて、ハイカラなお家柄なのね」と感心されてしまい、良心が痛んだわけだが……おかげでこの時代の子供でも知っている着付けのイロハを、とことん聞くことができた。

その成果を見てもらっている折り、世間話の1つと思えるように軽い口調で聞いてみたのだ。「ところで、鋼鐵塚さんの好きな食べ物。ご存じですか?」と。癇癪を治すための近道、情報収集のために。

「鉛さんのお料理、とても美味しかったので。鉄地河原さんからも、色々と教われと言われてもいて……その、……」
「もちろん、なんでもお教えいたしますよ。甲斐甲斐しく、初々しい若奥様の頼みですもの」
「へ?」

「ふふふ。旦那様の胃袋を満たそうと、私も母にこっそりと教わりながらはりきったものです」

……新妻としてのやる気と、勘違いされてしまった。途端に、名前の頬は烈火のごとく赤く熱く染まる。

「そ、そういうわけでは」
「わかっています。ただ、はりきりすぎはいけませんよ。屋敷から貴方を出そうとしない時点で、鋼鐵塚殿の心は充分に掴めているのですから」
「……っ」

誤解だと。
あいつの嫁相手として召喚されただけで、むしろ迷惑をかけられ犬猿の仲だと。言いたかったが……そうするわけにもいかない。名前はグッと、ググググッと言葉を何度も飲み込んで、乾いた笑いを返した。

「それで、好物でしたね。参考になるかわかりませんが、たしか――みたらし団子が、一等お好きだと」
「みたらし、団子…………随分と古風な」
「昔からお好きのようですよ。機嫌を損ねた時はみたらし団子につきると、旦那様も申しておりましたから」
「甘辛いのが好きなんですね」

しかし、残念ながら和菓子の作り方はわからない。それにお菓子がごはんというのも、御免こうむる。私のレパートリーの中で、甘辛い料理と言えば――

「豚の生姜焼き、かな」
「まぁ、豚?はぁ〜……名前さんは、本当にハイカラなんですね」
「え?!ぶ、豚がハイカラ……?」
「お恥ずかしい限りです。こちらでは、牛をいただき始めたくらいで。都会では食卓にあがると聞いたこともありましたが……噂ではなかったのですね」
「そ、そうなんですか……(大正って言っても、けっこう食生活に差があるんだ)……じゃあ、作るのは難しそうですね」
「……」

「食材は、なにがいるのですか?」

「え?」
「この里は隠里ですから。時代遅れは否めませんし。ハイカラに、目がないもので」

流行りを試したい、気持ち。
今と昔で、その心境に違いはないようだ。

恥じらい目を伏せる鉛さんの様子に、なんだか親近感を覚えてしまう。自然と笑顔まで浮かんできた。

「あの、じゃあ……一緒に作りませんか?」


豚肉、たまねぎ、おろし生姜、醤油、砂糖、みりん、酒、だしの粉末――……は、この時代にはないから。昆布で出汁をとればいいだろうか。取り方がわからないので、そこは鉛さんに任せるとして。

「それにしても、よく豚肉がありましたね」
「試し切りに飼っている者がおりまして。ちょうど刀が打ち終わったと、そこの奥様が話していたので」

血みどろの肉に卒倒しかけた私と違い、鉛さんは慣れた手つきで血抜きをして、見事な豚の小間切れを用意してくれた。……たくましい。

こちらも、一人暮らしのざっくばらんでたくましい料理しかできないのでありがたい限りだ。サクサクとたまねぎを細く切り、名前は目分量で食材と調味料を鍋で炒めていく。

「これが、豚の生姜焼き」
「……お口に合うといいのですが」

こうして、見た目は向こうで作った生姜焼きとほぼ同じものができあがった。マヨネーズがないのが残念だ。

緊張した面持ちで、鉛の口の中へ消える料理を目で追う。シャクシャク、とたまねぎを噛む音が聞こえる。「これは」口許に手を添える鉛。口に合わなかったのだろうか。

「なんと、なんと美味なる料理でしょう!」
「ほ、本当ですか?」
「ええ!肉の生臭さを、生姜がうまく消しておりますね。それに甘辛いタレがたまねぎと絡んで……白米、それに酒も進むお味かと」

想像以上の賛辞をいただいてしまった。

「名前さん、素晴らしい才覚をお持ちなのですね。さすが里長がお認めになったお方」
「いえいえ、そんな……!釜戸の使い方も、出汁の取り方も知らなかったですから。鉛さんの手助けあってこそです、本当に」
「自信をお持ちになって。ご自分を卑下されしては、こちらの立つ瀬もなくなると言うもの」
「そ――、そんなつもりは」
「無論、わかっておりますよ。名前さんは謙虚なお方なのですね。しかし、この味が絶品という事実は変わりません」

「鉛さん……」
「……着付けは、まだまだですがね」

片目を瞑り笑う鉛さんに、名前も釣られてクスリとする。「きっと鋼鐵塚殿も気に入るはずですよ」との太鼓判までくださり、鉛さんは帰っていった。さっそく旦那さんに作ってあげたいのだと、帰り道を急ぐその背中が可愛らしい。

「さて、私も食べようかな」
「……」
「ひっ!?」

振り向いた先の壁から、半分覗くひょっとこのお面。その後ろに広がっているのが昔ながらの日本家屋ということもあって、なかなか凄みのあるホラー風景が目に飛び込んできた。

「び、びっくりするじゃないですか!」
「……みたらし」
「は?!」
「みたらしの、ような香りがする」
「あ、あぁ……料理をしたんです」

普段なら料理ができても、部屋に御膳で出しても見向きもしない男が。まさか料理の香りで厨房にまで顔を出すとは。……みたらし団子が好きというのは本当らしいが、どれだけなんだ。

「あの……少し早いですが、昼ごはんにしますか?一応、鉛さんからお墨付きはいただいたので、味はまともだと思います」
「むぐっ」

「って、なにつまみ食いしてるんですか!?」

信じられないことに、鋼鐵塚は鍋からヒョイと生姜焼きを摘まんで口に放り投げたのだ。せっかく鉛さんにお皿をお裾分けしていただいたと言うのに。

「もぐ、……ふん。みたらしの二番煎じだな」
「言うに事欠いて、それ」

本当に、本当にムカつく男である。

しかも文句を言いながらもそのあとも数度つまみ食いをして、再び鍛冶場のある襖の向こうへと消えていった。……明日こそ、きちんと皿に盛って食べさせてやる。

そう思っていた名前だったが、
翌日思いもよらない来訪者たちがやってきた。


「貴方がハイカラなお料理人の名前さん?本当に、ここらとは違う雰囲気なのねぇ」

戸を叩く音に、鉛さんだとばかりに勢いよく軒先に出ると――ひょっとこのお面をした数人の女性たちが立っていたのだ。その手には野菜やら着物やらが抱えられている。後ろには、気まずそうに会釈をする鉛さん。

「……えっと?」
「鉛さんからね、例の豚肉をお譲りした時にお聞きしたの。都会のお料理、教えてくださらないかしら!」
「……あの、……」
「急にごめんなさいね、こんなに押し掛けて。私は、食材はないけれどお譲りできる着物があるのよ。それとお礼に……なんて、だめかしら?」
「は、はぁ」

「……すみません、名前さん。生姜焼きが美味しかったと、うちの人が先々で話したようでして」
「な、なるほど」

ハイカラ料理を教えてほしいと、
里の奥様方が訪ねてくるようになったのだ。
……正しくは、ズボラ飯なのだが。

「これがトンカツ……!」
「本物は初めて見るわっ」
「パン粉じゃなく、天ぷら粉なので……ちょっと、本物とは違うんです。すみません」
「そんな、とんでもない!お肉を揚げるだなんて、考えたこともなかったもの」
「噂通り、鋼鐵塚殿にはもったいないほどの奥様だわ……うちの息子にも、名前さんのような方が来てくれたらねぇ」

「あ、あはは……はは……」

里の奥様方は、真新しい料理を大層気に入ったようだ。これは今度こそアイツの鼻をあかせるのではと、再び厨房にわざわざ顔を出してきた当の本人にまた食べさせるが――

「ふんっ、みたらしの方が旨い」
「……ぐうっ」

この一点張りである。

奥様方の私への新妻評価との落差は凄まじく。そしてその差はズボラ飯を披露する度に、開いていくばかりだった。

……着物の着付けも、風呂の世話も少しずつ慣れてきているのに。これでは、帰る手立てが立たない。まるで永住するための準備になってしまっているではないか。

湯気をたてるズボラあんかけチャーハンを見る名前の口から、湯気のようにため息がもれる。

「もういっそ、みたらし団子を作りますか」
「!?」
「……そんなに反応しなくても。別にわかってますよ。理想を壊さないよう、作りませんから(きっとまた、いつも食べてるみたらし団子より美味しくないって言うに決まってるし)」

「……!」

鋼鐵塚は左右に顔を振り、なにやらクネクネと動き、言葉にならないなにかを発して……そのまま鍛冶場に戻っていった。

……わけがわからない。
怒りのあまりの奇行なのだろうか?

であれば、触らぬ神にたたりなし。名前はすぐにその事を忘れようと決めて、気分を変えるために食事を後回し。風呂の準備をしようと、井戸水を汲みに外へ出た。

そして……。

「俺はこのまま死ぬんだ……腹が減って、動けないまま癇癪持ちの狂人にどつきまわされて死ぬんだ……あぁ……ううぅっ……おなか、すいたよぉぉ〜〜〜」

井戸にもたれ掛かりながらすすり泣く、
金髪の男の子を見つけたのだ。


201126
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