二人の追走

彼は、真っ直ぐな人だ。

名前は気づけば目で追いかけてしまうその背中を見つめて、そっとため息をこぼす。あの背を追いかけ、隣にいられたらどんな心地になるだろうか。しかし、それはまかり通らない。なぜなら名前は、一介の裏方であり…彼は実力者。合流時期だけ見れば同期ではあるが、柱にも成りうる鬼殺隊の実力者なのだ。

けれど、きっと私は――

「……だから、そろそろよね?」
「え?」

隣で一緒に包帯を巻き直していた同僚が、飽きれ顔でこちらを見る。どうやら名前が上の空でいる間に、彼女は話しかけていたらしかった。

「秋頃にって言ってたじゃない、お見合い」
「あ、うん。そう……」

そう。私はこの烈情を胸に秘め、嫁入りをするのだ。彼への憧憬を、過去として忘れながら。そのあとも上の空のまま仕事をして過ごし、床について……目を瞑る。浮かぶのは、彼と初めて会った時のことだった。

私の家は代々、隠だ。小さい頃から鬼殺隊の皆さんを補助するための訓練を受けてきた。その初任務――鬼に出くわした。目の前で事切れた先輩の体に空いた風穴から、こちらに飛んでくる鬼の爪先を見て。有能な先輩が死んだのだ。当然、私も……と、死を覚悟した次の瞬間。その涼しく燃える藍色の瞳を捉えた。

彼はひと凪ぎで鬼を斬り捨て、こちらをちらりと見た。体がバラバラになってしまった先輩をひしと抱き締める私は、呆然とその強さに驚愕していて。そんな私に彼は、冨岡さんは手を伸ばし――

パシッ

「走れ。生きろ」

叩かれジンジンと熱く痛む頬と、胸の中でどんどんと冷たくなっていく先輩だった体は、名前へ強烈に現実を突きつけた。そして気づけば、先輩を抱えて森の戦場を駆けていた。

それからだ。名前が冨岡義勇という存在を人として意識するようになったのは。

その体を武器に駆け、怪我を負いながらも臆せず。その怪我を誰にも悟られないように、人知れず戦う人。不器用で口下手で、人からは恐れられてる人。その瞳に、命を尊ぶ想いが燃えている人。私はそんな彼に、きっと……恋をした。

もしかしたら、私がもう少し強ければ。隊員になれていたら、おこがましい程夢見たあの日が来たかもしれない。

しかし今日、その夢の息の根が止まる。


◇◇◇


母も袖を通した振り袖に描かれた家紋を、そっと撫でる。兄を早くに亡くし、長女として産まれた私には……この紋を繋げる役目がある。それがゆくゆくは彼を支える後継者になるかもしれないのだ。

「名前、お相手の方に失礼のないようにね。真摯に。そうすればきっと、気に入ってくださるわ」

母の言葉を背に、名前は息を止めた。
この夢が、息を吹き返さないように。

見合い相手の待つ襖を、開く。

「失礼します、苗字名前と申します」
「――……冨岡義勇だ」

「……え?」

そこには、いつも背しか見ていない彼が。信じられない気持ちのまま、固まる。なぜこの人が。いずれは柱になるだろうとも言われるこの人が、私なんかと。

実は、義勇の年を気遣ったお館様の計らいで、年頃と人柄から相手役を探すよう手が回り……仲人が名前を推した結果なのだが――それを伝える仲人の言葉は、名前の耳には入らず。気づけば、部屋には名前と義勇の二人だけになっていた。

「……」
「……」

声も発せない名前は、ただ目の前の湯飲みを見下ろす。上品なお茶請けに合いそうな香りの湯気と、茶柱が立っている。

「お前は隠らしいな。……俺のことは」
「は、はい、存じております。何度か、その……同行させていただき、ましたので」
「そうか」

どうやら、彼は私のことを覚えていないようだ。それはそうだろう。隠はただでさえ顔を見せないし、みな黒子に徹している。

彼も、無関心そうな無表情をしている……が、僅かに肩をずらした。恐らく、思い出すに思い出せずいるのだろう。彼を見ていたからこそ、そんな気がするだけだが。

「気にしないでください。私、いつも役に立てなくて……隊員の方に助けていただくばかりで。腑甲斐無い、ばかりで」

死んだ先輩の方が、よっぽど活躍していた。ではなぜ、私が生き残ったのか。それは運にすぎない。彼に出会えたという、幸運以外のなにものでもないのだ。


「ならば、強くなればいいだろう」


はたと、目を見開く。

「そ、そんな。皆様のようには、そうそう」
「誰と比べる必要などない。お前自身の強さを手にしろと言っているだけだ」

その時、名前は気付いた。

「私自身の、強さ……を……」

私は、この人に恋をしたのではない。
憧憬したのだ。人として、こうありたいと。

「……なれる、でしょうか」

目の前に座す彼の斜め後ろ控える、夢の中の私に。できるだろうか。背中を預け合い、時に誰かを叱咤し命を救うことが。

「甘えるな」

彼はどこまでも、真っ直ぐだ。

「……はい」

女としてではなく、ひとりの人間として見てくれている。それが名前は、心から嬉しかった。自然と、口角も上がる。

「実は昔、私は貴方に命を救われているのです。そしてまた救っていただきました……私の夢を。だから――」

三つ指を揃え、居ずまいを正す。

「今度は私が、貴方を救います。いつか、必ず」

「……」
「では、御前失礼します」

そのまま深々と頭を下げて、名前は立ち上がる。次は両親に低頭しなければと、襖を開けた。その脳裏には、すでに次は職を辞すること。育手を探す手立てまでも浮かんでいる。

そして気づけば名前は着物の裾をたくしあげ、走り出していた。

――――走れ、生きろ。

彼の言葉は、この胸に熱く燃え続けている。


そしてその熱は、名前の力強くも美しい微笑に目を奪われ……身動きが取れなくなっていた義勇の胸に、灯る。

振り向くのは、どちらか。


201027 二人の追走/完

(こうして部下を振り向かせたい義勇さんと、恋じゃないと見切りつけた主人公の追いかけっこが始まるわけです)
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