今日、アテネは珍しく遠出をしている。いつもよりも大人っぽい黒のワンピースが、アテネの鼻を少しだけ高くする。
「アテネ、あまり離れてはダメよ」
「はーい」
大丈夫、今日はいつもよりもお姉さんだもん。お行儀よくできるよ。そう意気込んで、お母さんの手を握り返した。
手を引かれながら、初めてのお屋敷を歩く。アテネと同じ頃の子供は…どうやらいないようだ。大人ばかりが集まって、真っ黒いかたまりになっている。
「ねぇ、おかーさん。どうしてみんな真っ黒なの?」
少しだけ前を歩いていた母は、娘の問いかけに「真っ黒…そうね」と眉を下げる。
「…今日は、お葬式なのよ」
「おそうしき…?」
「お父様の、従兄弟の次男の養子……まあ、そうね…お父様の知人が亡くなったのよ」
「お父さんの…いとこの……えっと、えっと」
「アテネ、見て」
母が指差す方を見る。その先には広い階段に置かれた棺があり、周りに白い花が沢山手向けられていた。
「死んでしまった人が、天国まで行けるようにって…祈りながら、ああやってお花を置くのよ」
「てんごく…」
「アテネもお花をあげましょうね、お姉さんだもの。できるでしょう?」
これがお姉さんのお仕事か…!声をあげず、静かにコクコクと頭を縦にふった。穏やかな表情を浮かべた母は、再びアテネの手を引いて歩き始めた。
「公爵夫人様、本日はありがとうございます」
「ええ……お花を、娘の分もいただけますか」
「こちらです」
白く、儚げな花がアテネの手に渡される。
「ありがとうございます。……さあこっちよ、アテネ」
母の呼びかけに小さく頷くが、足がその場から動くことはなかった。
「花を一輪、お願いします」
アテネの瞳は、花を受け取る黒髪の女性に奪われていた。立ち姿や雰囲気の凛々しい、彼女の美しさがそうさせたのかもしれない。
「ねえ、おかーさん…」
あの人について訊ねようと思い、後ろを振り返る。しかし、そこには人垣があるだけ。驚いて視線を投げると、黒髪がアテネの視界に映りこんだ。
「あら…?」
「わ、」
どうやら、花を受け取っていた女性の背中に飛び込んでしまったらしい。咄嗟に、一歩後ろへ下がる。びっくりした…!突然煩くなった鼓動に慌てて、花を持つ手で胸元をおさえる。
「…お嬢さん…1人?」
「おかあさ、お母様と…」
喉が熱い。なんだか、うまく言葉が出てこない。黒髪の女性は、アテネの様子に気がつくと、肩を抱いて柱の側へと誘導した。
「人に酔ったのかもしれないわ…ここにいましょう」
「は、はい」
「きっとお母様もすぐ来てくださるから、安心して…ね?」
優しい声を聞いて、鼓動が静かになっていくのを感じる。今なら上手く話せそうだ。女性を見上げるが、その目が合うことはなかった。
「おねぇさん…?」
「……」
彼女の視線は棺に縫い付けられているようだった。
「おねぇさん…どうしたの?」
棺に目を凝らしてみるが、やはりよくわからなかった。アテネの問いかけを聞いても、彼女の視線は動かない。
「……死んだら、どうなるのかしら」
聞き取れないほど小さく呟かれた言葉は、人垣でかき消される。
「まっくらだよ」
「え?」
はずだった。傍らにいる少女に不安そうな表情はなく、黒髪の女性を見上げる。
「あのね、寝ちゃうだけなの。こわくないよ」
それが何に対する言葉なのか理解した時、アメジストの瞳は大きく見開かれた。
「でもちょっとだけさみしいよ」
「……どうして…?」
「ひとりぼっちなの」
しんじゃうのって悲しいね。手元にある花は、死と対照的な色をしている。
「アテネ…!」
「あ、おかあさん」
青ざめた顔をしたお母さんは、力一杯にアテネの体を抱きしめる。
「良かった…」
「お、おかあさ、…」
安心や痛みから泣きそうになる。そっと体を離された時には、母も子も、うっすらと涙を浮かべていた。
「貴女が見ていてくださったのね…本当に、ありがとう」
「いえ、私はなにも」
ピシリと踵をくっつけて立つ女性の姿は、やはり美しい。母に促されるままに女性へお礼を言い、後ろ髪を引かれる気持ちでその場を離れた。黒髪の女性…マリアンヌは、少女の姿が見えなくなるまで見送ると、手向ける花を鼻先に寄せた。
「ひとりぼっち…」
棺に眠る同僚。彼を思い、マリアンヌは白い花びらを唇で食んだ。
120818 第二話/完
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