03

旅と言うものは、帰るためにするものである。帰らない旅は、ただのお引っ越しなのだ。ある絵本で、そんな話を読んだ気がする。幼いながらに、なるほどと納得していたものだ。

──クロヴィスくんは旅に出てしまった。

しかも帰らないつもりらしい。…天国へのお引っ越しとは、随分と駆け足である。録に荷物も詰められなかったであろう彼は、白い板に囲まれた箱のなかで固く目を閉じていた。彼の瞳は私を二度と映さず、唇は二度と悪戯に笑わない。

「ここに、いる」

冷たいガラスの向こうで眠る義弟の顔が、ぼんやりと霞んでいく。そっと、肩に温かさを感じたアテネは、ゆっくりと頭を預ける。

「オデュッセウス様…」

「……なんだい?」

あの時、無理矢理にでも…ロイドさんを問いただせばよかったのだろうか。そうすればテロリストを一網打尽にして、クロヴィスくんは死ななかったのかもしれない。

──喉が、焼けるように熱い。

「苦しい…」

込み上げる怒り、悲しみ、後悔…愛しさ。アテネの横に立ち、眠ったままのクロヴィスへ花を手向けた義姉─ギネヴィアは、眉を寄せ、冷たく言い放った。

「姉不幸者」

クロヴィスの葬式は国民の混乱を避けるために最高機密として、血縁者のみ参列する形で、密やかに執り行われた。

それから数日。公式の発表がないまま、世間は変わらず回り続ける。しかしその水面下では、派閥争いが起こっていた。次の統治者に取り入ろうと画策する動きは日に日に激しくなり、政調で文官として働くアテネの元にも、その手が伸びてくるほどであった。
補佐官を務める部下は、公務に支障をきたすのではないかとこれを危惧した。だが、親しい者の死に塞ぐアテネの口は貝のように閉じられ、誰の言葉にも答えることはなかった。

そして黙りこむその様子を気にかけた補佐官は、これ以上喧騒に巻き込まれないようにと、書斎で公務するよう勧めたのだった。ここまで気を回してもらいながら仕事ができないのは、部下に申し訳ない。そんな思いから、アテネも段々と公務をこなしていけるようになった。

ふと、インクに差したペンから力を抜く。ペン先を気にしながら羽部分を指の腹に寝かせ、一息をついた。このサインが終われば仕事も一段落だ。もうひと踏ん張りだということはわかっているが、アテネの視線は羽の尾先から離れなかった。鷹を用いた大振りな羽は尾の先にはいつも使う、見慣れた電話機。輪郭をゆっくりと羽でなぞり、あの日聞いたクロヴィスの声を思い出す。

次にアテネが顔をあげたときには 、影が右から左へと、傾きを変えていた。……また、やってしまった。ペン先も、すっかり乾いてしまっている。当然、仕事も進んでおらず、アテネは頭を抱えた。

「…このままでいたら、本当に腑抜けになっちゃう」

色々な人に迷惑をかけてしまう。どうにか気持ちを切り替えて頑張らなければならないのに。

「気分転換に、テレビでも点けようかな…」

独り言で自分を奮い立たせ、リモコンのボタンを押す。電源が点いた音を耳にしながら肘掛けにリモコンを置く。そしてアテネは映し出された画面を見ずに、一服の紅茶を煎れるために席を立った。

<──クロヴィス殿下は公御された>

「っ!?」

テレビから聞こえてきた単語に、思わず顔を上げる。アテネの部屋にあるこのテレビは民間の電波を受信する。つまり、映像は全国民に向けて放映されているのだ。

<──イレブンとの戦いの中で…平和と正義のために殉死されたのだ>

まさか、画面に映るこの男が新しい統治者だとでも言うのだろうか。クロヴィスの死を過去へと葬り、統治のために利用するつもりなのでは。怒りを覚えながら、画面を睨み付けた。しかし、そこに映っていたのは思いもよらず、懐かしい人物だった。

「ジェレミア、さん」

多くのフラッシュを浴びながら力強く演説を行っていたのは、アテネの昔から良く知る知人であった。数年前から会って見ていなかったが、面影はしっかりとある。怒りを忘れ、懐かしい旧友の顔をもっと見ようと画面へ近寄ったアテネだったが、突然画面が暗転してしまった。何事かと瞬きをするアテネ。その背中に声をかけた人影が、アテネの肩を優しく叩く。

「アテネ、お前が見るようなものではない」

「……ギネヴィア」

振り向いた先には、暗転したテレビへと厳しい視線を送るギネヴィアの姿があった。いつの間に入ってきたのだろう。ギネヴィアが画面から視線を外し、アテネの驚いた顔を見る。そして思わずというように、ギネヴィアが笑った。

「何回かノックはしたぞ」

「……すみません」

笑われる程に可笑しな顔をしていたのかと、頬を赤らめる。ギネヴィアはその様子にまた口元をゆるめ、指先でその赤くなった頬を撫でた。

「茶でもしないか」

「私と、ですか…?」

「他に誰がいるっていうのかしら」

涼しげな目元を優しく細めて、アテネを見つめるギネヴィア。その真意がわからず、戸惑いを感じたアテネだったが、自分を気遣っての誘いなのだと、すぐに気がつく。その気遣いに言葉が出ず、窓の外へと目線をやれば、青く突き抜けるような晴天がそこに広がっていた。こんなにもいい天気だっただなんて……何故気がつかなかったのだろう。塞ぎこみ、閉じ籠ったままでは見つけることができなかったであろう風景。アテネはゆっくりと大きく息を吸って、心の換気をした。

「久しぶりにギネヴィアの煎れる紅茶が飲みたいな」

「……本気で言っているのか」

「はい。意外と癖になる味で、私好きですよ」

「……あまりからかうな」

げんなりとした様子でかえす返すギネヴィアに、アテネは思わず笑い声をあげる。二人は冗談を言いながら扉を閉め、廊下に足音を響かせた。

◇◇◇

ギネヴィアとの茶会を終えたアテネは、包んだ茶菓子を胸に、書斎に続く廊下を歩いていた。3歩後ろで歩く使用人へ、偶に会話を投げながら何気なく視界に花々を捉える。いつかの想い出が蘇る。昔、花の咲く庭園で無理矢理モデルにされたことがあった。あの時はユーフェミアに突然抱きつかれて、なし崩しにクロヴィスくんも巻き添えになって、花畑に埋もれた。日差しの眩しさと、優しい花の香りは今でも思い出せる。

ああ、恋の相談にものってあげたこともあった。クロヴィスくんは好きな人の名前を教えてくれなかったけど、すごく身近な人だって言っていた。初恋は実ったのだろうか。あんなに素敵な人なのだ、きっと実ったに違いない。いや、もしかしたら今もその人のことを……。

今?息を短く吸う。今、彼はいない。わかっているはずなのに、何故私は…。彼との想い出は、明るくて暖かいものばかりで、中々色褪せてくれない。そしてその想い出が積み重なっていくことは、もうない。いつの間にか止まっていた足に、視線を落とす。だめだ。堂々巡りの自問に眉を寄せたアテネ。

「アテネ様!!」

その思考を止めたのは、懐かしい人物の声だった。いや、正しく言えば、つい先ほど電波を通じて耳にしたことのある、声だった。

「お下がりなさい、こちらは公爵婦人様ですよ」

使用人の鋭い忠告に、その人物は息をのんだが、すぐに頭を垂れ忠臣のやるような礼をしてみせた。

「ご無礼をお許しください、私はジェレミア・ゴッドバルトと申します…アテネ様にご挨拶を致したく、声を掛けさせていただきました」

アテネへ視線を向け、是非を伺う使用人。アテネを守るようにして立つその使用人の肩を、安心させるように押す。使用人は不服そうだったがアテネの前からどき、壁の方へと移動した。

「お久しぶりですね、ジェレミアさん…顔を上げてください」

機敏な動きで体勢を変え、アテネを見つめる琥珀色が懐かしく、目尻が下がる。やはり。あの頃に比べて、身長も高くなり表情もすっかり大人らしいものになっている。それはそうか、彼も三十へ手が届く歳なのだから…。

「すっかり立派になられたのですね、活躍の噂はよく聞いていますよ」

かく言う私も、彼からは昔と変わって見えているのだろう。私を見て、彼は何を思うんだろう。

「はい、アテネ様とのお約束を守るため日々切磋しております」

緩やかに上げられた口角にアテネも頬をゆるめた。数年前、「ジェレミアさんは出世しない」というようなことを言ったことで後日、約束というか宣言というか…一方的に彼からされたのだった。あの一言が、アテネにランベルティ家として生きていく覚悟をさせてくれた。…何年前も前の話だけれども、あの時の驚きをアテネは今も忘れていない。もちろん、喜びも。

「真っ直ぐなところ、変わりないですね」

今のアテネにとってそれがつらくも思えてしまう程で。アテネの瞳は再び窓の外で穏やかに揺れる花を見つめた。

「──二度と、アテネ様をあのような思いにはさせません」

まるで騎士が忠誠を誓うように、ジェレミアは右手を胸にアテネを見つめる。思い出すのは、心優しいあの子の瞳から…足から光が失われた日。純白を纏い、皆からの祝福を待つ…光に満ちていたあの日。

「このジェレミアが、必ず…殿下の無念を晴らしてみせます」

仇討ちをする。射るような視線は、彼の決意を滲ませていた。その瞳は、あの会見の時に見せたものと同じ眼差しをしている。

「……ジェレミア、さん…」

アテネが絞り出した声は、掠れる。
弱々しく、ただ彼の強い瞳にすがりつく。

あの頃から、私は
何も変われてなどいない。


121116 第三話/完
130506 修正
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