05

アテネがブリタニア本土を離れて、数日が経とうとしている。サミット参加から数えれば、そろそろ1ヶ月というところだ。クロヴィスの悲報を聞きやってきた皇族から、帰らないかと声をかけられたが、確かめたいことがあると言ってそれを断った。ギネヴィアは不満そうにしたが、オデュッセウスがそれを宥めた。アテネは彼からの援護に胸を撫で下ろし、微笑みを返した。オデュッセウスもにこりと笑うと、アテネの体を抱き寄せた。

「あまり、無理をしてはいけないよ」

「は、はい……っ」

アテネのなかが優しい香りでいっぱいになった。今思い出しただけで、あの時に優しく抱かれた感覚や香りが甦ってしまう。自然と頬に熱が宿る。それすらもなんだか恥ずかしく感じて、アテネは頭を振った。

「おんやぁ、どうしたんです?」

「!」

突然掛けられた声が打ち水となり、アテネの意識を浮上させた。辺りを見回し、ようやくここが軍本部のエントランスであることを思い出す。文官らしい人々がちらりとアテネを見て、扉へと消えていく。そのピリピリとした空気に、アテネは思わず唾を飲み込む。しかしアテネに話しかけてきた協力者は、にんまりと笑った。

「だーいじょーぶですよ。伯爵の僕と、公爵家の貴女がいれば、だーれもなんにもしませんよぅ」

「そうは、言ってもですね……ロイドさん…」

普段触れない空気に気圧され、思わず思考が現実逃避してしまうのも、仕方がないだろう。──アテネは今、とあることに協力するためにエリア11の軍が管轄する資料庫へ来ていた。おそらく、一生足を運ぶことのなかったであろう場所の雰囲気は、アテネの身を固くするには十分であった。

「リストの照会はどうでしたか?」

アテネはなるべく周りを気にして声を潜め、尋ねる。壁際に配置されている軍人は、形こそアテネ達に敬礼しているが、監視の視線を向けているに違い。そう考えての配慮にも関わらず、ロイドはいつものような調子で大袈裟なリアクションを返した。

「君のお陰で、なんとか情報は手に入ったよ〜!」

「あ、あんまり声上げないでくださいよ…」

情報という言葉がよくなかったのか、心なしか周りからの視線が強くなった気がする。空気は読むためではなく実験要素だよね、と普段から能天気に発言するようなロイドも、流石に良からぬ注目を浴びていることに気がついた。

「あれれー」

「要らぬ疑いを持たれぬうちに、彼の元へ行きましょう」

異論は認めないと言わんばかりに、アテネは歩幅を大きくしてさっさと彼、枢木スザクのいる独房に向かって廊下を歩き始める。そんな歩幅にも、ロイドは難なく追いつき、悠々とアテネの横顔を覗きこむ。

「なんか、緊張してますぅ?」

余裕そうでいつも通りなロイド。そして、早くも息が切れ始めた自分の差に苛立ちやら虚しさやらを感じながら、アテネは横目にロイドを睨み上げた。

「そりゃ、…軍本部へ来るのは初めて、ですから…資料庫と言っても緊張はします」

「ふーん」

ふーん、って……。なんだかこの男を前にすると、自分が緊張していることがアホらしく思えてきた。無機質でどこか冷たい雰囲気の廊下を歩き進み、角を曲がる。見張りの兵に会う度、ロイドが「被験体に会いに来たんですよ〜」と言い、検問をすり抜けた。中には怪しんで深く追求する者もいたが、待っていましたと言わんばかりにロイドの口から出る理解しようのない化学式に、誰も堪えきれはしなかった。

そんな調子で歩き続けると、地下へと降りる階段がアテネ達2人を迎えた。おそらく、この先に枢木スザクのいる牢があるのだろう。ゆっくりと階段を下りていくロイドに続く形で、アテネも足先を下へと向ける。

深く、深く下っていく階段。もう下った段数すら覚えていない。まだ先が見えないのかと、息が上がり上下する肩を怒らせるアテネだったが、その瞳に牢の扉を捉えた。ロイドの歩みも止まる。どうやら、ようやく牢のある階に着いたらしい。上を見上げれば、随分と遠くに廊下の光が見える。

「ちょちょいのちょーい」

ロイドのふざけた掛け声とともに、牢の扉が開く。アテネはいい加減にしろと怒鳴りたい思ったが、慣れない運動で切れたままの息がそれを許さなかった。とりあえずなんとか息を整えようと深呼吸をして、扉をくぐった。冷たい空気に、肩が小さく震える。寒いのではない。ここの雰囲気に体が萎縮したのだ。ふと、見た先には特に様子に変わりもなく前を歩くロイドの背中が見えた。アテネはそれに驚かずにはいられなかった。遅れてはいけないと唾をのみ、その背中を追いかける。

そして、アテネの耳が廊下に鳴り響く2つの足音に慣れてきた頃、ようやく独房区画にたどり着いたのだった。鉄格子の隙間から部屋を覗き見ながら歩くが、どの牢屋にも人は見当たらない。かれこれ30分は歩いているが、なぜこうも人がいないのか。格子からのびる荒立った腕に髪や衣服が引っ張られるのではないかと危惧していたが。それとも、皇族殺しの国賊として隔離されているのだろうか。黙々と考え事をするアテネだが、ロイドの白衣がふんわりと揺れて止まったことに気づいて足を止めた。

「おめでと〜!」

牢屋には似つかわしくない祝いの言葉が、ロイドからあがる。色々と思うところのあるアテネだが、何も言うまいと、ロイドの視線を追う。そこには、拘束服で縛られ、傷の手当てもされていない男がいた。男の双眼がゆっくりとロイドを見上げる。

枢木スザクだ。

「君に頼まれていた二人の遺体はリストになかったよ」

「……そうですか」

告げられた情報に、男の表情から力が抜ける。明日には処刑判決が出るというのに、他人の安否を気にするだなんて。冷静さを保たなければと思っていたアテネだったが、顔から同情の色が滲む。

「でも君の方は不利だなあ…裁判になっても君の味方は、誰もいない」

「しかし、法廷は真実を明らかにする場所です」

混じり気のない純粋な台詞に、目を細める。これが、10代の少年にとって、普通の考え方なのだろうか。軍人として、名誉ブリタニア人として生きることを選んだのだ。きっと今まで汚いことを目にしてきただろう。そう考えると、なにか違和感を感じてしまう。

ロイドも眉を下げ、唸る。

「明かされないことの方が多いと思うけどね、真実なんて」

実際、ロイドのこの意見が正論なのだとアテネは思う。しかしこんな汚れた考えの私たちが日に照らされて、彼のような純粋な者が犯罪者として裁かれようとしていることに、アテネはまた違和感を覚える。

「それが世界だというのなら 自分は…未練はありません」

後悔も恐怖も見えない、芯の強い眼差しに、鳥肌たつ。小刻みに震える腕を両手で押さえ、唇を噛む。こんなに心揺さぶられたのは、………ルルーシュが国を離れたあの日以来だ。最愛の妹を守るため、国を捨てた義弟。結びつくはずのないことなのに、なぜかアテネはあの頃と同じ感情を抱いていた。

瞼を閉じて、開く。

「貴方は、私が守ります」

牢屋に響き渡ったアテネの声は、凛とスザクの鼓膜を揺らした。聞いたことも見たこともないアテネに、スザクは驚き瞳を瞬かせる。

「っ、……貴女は…」

「アテネ・ランベルティ公爵令嬢だよ、スザクくん」

「……こ、公爵令、!?」

「んふふ〜よかったね、スザクくん!これで君の首も一皮繋がったよ!」

満足そうな様子のロイドに、アテネは思わず苦い顔をする。まんまと乗せられたと思うと悔しいが、それでも構わなかった。彼の意見は信じられないほど甘いし、それに嫌悪すら感じる……けれど、だからこそ守らなければならない。今度こそ。

「貴方を死なせやしないわ、枢木スザク」


130718 第五話/完
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