02

重たく、腕へと食い込む紙の束を片手にアテネは甲高い靴音を鳴らしていた。
少し前を歩く男も、アテネと同じような早さで長く冷たい廊下に穏やかな靴音を響かせる。規則正しく並ぶ細長い窓から、暖かな日差しが差し込む。その前を通りすぎる度に、男の鮮やかな金の髪がより一層美しく輝きアテネの瞳に反射した。眩しさに目を細め、それから目をそらし、窓の外へと視線を動かす。

──ただ、アテネの意識は窓から見える景色ではないところへと向いていた。…これだけ晴れれば、学園祭も賑やかだろうな。行くことのできなかった、義妹の学園祭。行けないことへ文句があるわけではない。アテネも、もういい大人である。公私の天秤は、釣り合わない。わかってはいるがしかし、目の前の人物へと視線が戻ってしまうのは…仕方がないことだろう。なにせ、彼がアテネをここへ連れ合わせた張本人なのだから。

「次の書類を頼むよ」

「はい…」

穏やかな笑みを浮かべ、読み終えた書類を此方へと渡して寄越すのは義弟の、シュナイゼルだ。アテネは慎重にそれを受け取り、新たな書類を手渡す。シュナイゼルは「ありがとう」と柔らかく笑い、再び前へと向き直した。

「……」

次の会合までに間に合うだろうかと、アテネが腕の時計を確認していると、シュナイゼルが唐突に口を開いた。

「サミットともなると、いつも以上に読む書類が多くてね…君がいてくれて助かるよ」

サミット…そう、3日程前からシュナイゼルと共にサミットへと来ていた。
勿論、ブリタニア帝国の代表としての公務でありその付き添い役として義姉のアテネへと白羽の矢が立ったのだった。驚くことに、シュナイゼル自らがアテネを抜擢した。光栄至極とはまさにこのこと。…なのだが、学園祭へ行けなくなってしまった。連絡をした時に聞いたユーフェミアの残念そうな声が…アテネは未だに忘れられずにいた。このサミットから帰ったら、私がユーフェミアちゃんに会いに行こう。今は公務を全うしなければと、アテネは書類を抱え直した。

「殿下のお役に立てて嬉しいです。……それはそうと、そろそろお休みになりますか?」

移動時間をも惜しんで書類を読んでいる状況だが、そのお陰で時計は予定よりも早い時刻を指している。お茶を飲み羽を広げるくらいであれば、十分に余裕があるだろう。
しかし、シュナイゼルは首を縦には振らない。

「ありがとう、大丈夫だよ…君は大丈夫かい?疲れを感じたら直ぐに言ってくれ」

アテネの仕事は秘書のように付き添うだけのもの。疲れるといってもたかが知れている。

「…突然のお願いだったからね、君への負担は出来る限り少なくしたいんだ」

眉尻を下げ、アテネの様子を伺うシュナイゼル。彼の顔に疲労は見えない。しかし、鮨詰めの予定をこなしていることは確かだ。

──よし、ここは私がお誘いして…。

「では、」

「おお、これはこれは!シュナイゼルさまではありませんか」

「…!?」

体が弾き飛ばされたかと思うほどの大声に、アテネの頭がぐらりと揺れた。慌てて振り向けば、はち切れんばかりの胸に大層な勲章を付ける男が(…確か、EUの官僚だった気がする)にこやかに歩いてくるところであった。

「…大丈夫かい」

───まさか、と思った。
降ってきた声に驚き見上げれば、シュナイゼル殿下が私を見つめていた。挨拶に来た官僚ではなく、ちょっとよろけただけの私をだ。まさに開いた口が塞がらないアテネを前に、シュナイゼルは一度涼しげに笑ってみせ「大丈夫なようだね」と声を残し、その身を起こした。

「これはこれは、ローレンさんお変わりなく」

「いやはやー!殿下はまた一段と利発さに磨きが…そういえば、以前」

手を揉みながら話し込む男の様子から、これは暫く時間がかかりそうである。きっと、自分が持つ魅力的な話で興味を惹きたいのだろう。もしくはこの後の会議で発言するなにかの下ごしらえでもするつもりなのか…なんともまぁ、元気な官僚さんである。

「それは興味深い、是非あちらで話しましょう…ああ、君は席を外していなさい」

「は、はい…」

官僚に気遣いながら、最後にはアテネに離席するよう言うことも忘れない。…離席を求めたのには、休んでこいという意味もあるのだろう。そんな器用さに感心するような、寒気を感じるような…気持ちを抱いて、アテネはその場を離れた。 どこかで紅茶でも飲めたらいい。あと、本も読みたい。そんなに浮わついた気分で、アテネはテラスまでやってきた。

すれ違ったウェイトレスに紅茶を頼み、席につく。座ると同時に、肩からふっと力が抜けた。…案外、忙しさで疲労していたらしい。日常でも殿下に付きっきりなカノンさんって、本当にすごい方だわ…。仕事も出来て、三歩後ろから支える良妻賢母のような彼に…実はひそかに憧れていたりもする。

「そういえば、携帯すら見てな…ひい!?」

ポケットに入れたままだった端末を出し、電源を入れて恐怖した。着信が、2桁…!?し、しかもその9割…殆どがとある伯爵さんの名前で埋まっている。…これ私の携帯、だよね?手元で揺れる年期の入ったストラップ。うん、私の携帯だ。じゃあなんで……。

「失礼致します」

「あ、はい」

ふんわりとした香りがアテネの鼻をくすぐった。頼んだ紅茶が届けられ、茶葉の香り広がる。……うん、とりあえず紅茶を飲んで癒されよう。落ち着いてから折り返せば…。

ブゥー…ブゥー…

──そうはさせない。と、言わんばかりのタイミングで、響く振動音。チカチカと光るランプが着信を知らせていた。相手はもちろん

「──ロイドさん…」

『だ〜い正解ぃ〜!』


独特なトーンに、アテネの視線は思わず遠くへ投げられた。なんだかんだで付き合いの長い、ロイドさん。昔から変わらないこの……若さ、というかテンションというか…。電源ボタンを押さなかった自分も自分だなと、アテネは苦笑した。

「どうかしました?」

『うーん、色々あってねぇ〜今ちょっとごたごたしてるんだぁ』

「ごたごた、ですか」

あの着信量で「ちょっとごたごた」…は、ないんじゃ…?更に言えば、確かロイドさんってシュナイゼル殿下直属の…何かに所属していたような。ということは、殿下への取りつぎだろうか?

「シュナイゼル殿下は今ご挨拶中なのですが……取り急ぎですか?」

『流石アテネくん!どうにかして取りつげないかなぁ』

「………すみません、難しいです」

そろそろ会議場が開かれる時間になる。ご挨拶を終えてからとしても、入室までのことも考えると…やはり、時間的に難しい気がする。

『う〜ん。あ!じゃあ、アテネくんのお父さんは?』

「お父様、ですか…」

そこまで聞いてくるロイドに対して、何があったのだろうかと眉を寄せる。

「先日エリア11に派遣されてばかりで…こちらも、連絡がつくかどうか…」

『………はあああ』

電話越しでもわかる、その落ち込み様。後ろの方からロイドを叱責する声が聞こえる。部下かな…なんか、口調を注意されている。そろそろ、聞いてもいいだろうか。

「──なにがあったんです?」

『それがさ、え?…あーもう、はいはい…なんでもないよぉ!』

「はあ?!」

見えすいた嘘に、アテネの眉尻が持ち上がる。なんだそれ!と叫ばなかった自分を褒めてやりたい。

『じゃ〜ねぇ〜!』

「…………」

言葉のでないアテネをよそに、通話は一方的に切られた。久々に言葉を交わしたかと思えば、誰かに取りつげと迫り、どうかしたのかと聞けば取り繕う様子も見せず、切られた。

「……もう!」

携帯が簡素な音をたてて机に落とされる。周りの視線がアテネに集まり……年甲斐もない行動だったなと、肩をすぼめる。それでも消えない…釈然としない喉辺りに残ったもやもや。こんなもの一気に飲み下してしまおうと、紅茶を流し込んだ。

その日の夜、クロヴィスくんの悲報が告げられた。


121109 第二話/完
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