05

皇暦2009年 初夏

ランベルティ家は、幸福のなかにいた。重厚感のある装飾がなされ、国旗を基調にした室内をみまわして、アテネはこれから輿入れする家の大きさを思う。敷地はもちろん、使用人の数も部屋の雰囲気も、公爵家の我が家は劣る。すっかり舞い上がっているアテネを落ち着かせるように、白いベールが下ろされ、アテネの視界を覆った。透けて見える向こう側に、いつも綺麗に笑う母親の破顔した顔が見える。おめでとう、と告げる祝いの言葉には少し不釣り合いに思えた。緊張しているのかもしれない。そんな母親の思いをくんで、アテネも気を引き締めなければならないと思う。しかし、どうも口許がゆるんでしまう。

今日は、オデュッセウスとアテネの結婚式だった。やっとあの人の妻になれるんだわ。家のための政略結婚だということに初めは憤りを感じていたが、オデュッセウスとの逢瀬がアテネの心を融かした。明日からのことが頭に浮かぶ度、気持ちが高揚する。

「これはお子を抱く日も近いかもしれませんね」

母親の軽い問いかけに、父親は「そうだな」と言いながらも、その眉尾は上がっている。それに気づいた母親が呆れたように笑う。

「貴方には私がいますでしょう」

「わかってはいるのだが……」

「アテネなら、中央でだってうまくできますわ」

その2人の姿が誰かと被る。──そうだ、前の人生の両親だ。顔は陰ってよく思い出せないが、両親はいまのように私の結婚を祝ってくれた。

「父さん、母さん」

2人を呼べば、言い合いをやめて、アテネを見る。たしかに2人は私を家の道具にした。だが、そこに愛がないわけではない。

「私、幸せだよ」

アテネにはこれから先に待つ幸福の日々を思って、感謝の気持ちでそう告げる。両親が顔を見合わせて、アテネの肩を撫でる。

「アテネ、これからなにがあってもあなたは乗り越えられる。ランベルティ家の女なんですもの」

「……?」

緊張したような表情に、またしても違和感を感じる。感極まっているのだろうか。しかし、その疑問は使用人の声かけにさらわれる。

「アテネ様、準備が整いましたのでこちらへ」

「わかりました。では父上、母上。式のあとにまたお会いしましょう」

アテネは使用人に連れられながら、部屋を出た。どこまでも続いているように見える廊下は初夏の日差が降り注ぎ、太陽さえもアテネを祝福しているようだった。いくつかあるドアの前を通りすぎて、ある扉の前で使用人の足が止まる。

「こちらでお待ちください」

言われるがままに扉のなかへと進むと、正装をしたオデュッセウスがアテネに振り返った。お互いに相手の姿をゆっくり見てから、笑いあう。それだけでアテネの頬は上気する。

「お久しぶりです、殿下」

「そうだね……うん、きれいだ」

この人は私にどうなってほしいのだ。そんなことを言われたら、嬉しくて、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。やはりクロヴィスやルルーシュの兄なだけある。とりあえず、ドレスの飾りをいじりながら「ありがとうございます」と返す。

「コーネリアに見せられないことが残念だよ」

「はい……写真を撮っておけと言われました」

急きょアリエス宮の警護が決まったという話を聞いたときの、悔しそうな声を思い出して、思わず笑い声がもれる。しかし今日は代わりにユーフェミアちゃんとルルーシュたちが来てくれると言っていたし、アテネはそれだけで十分だった。ドレス姿になんと言ってくれるだろうか。そんなことを考えていると、廊下から騒がしく走る足音が聞こえてきた。使用人が呼びに来たのか、あるいはユーフェミアちゃんたちか。騒々しく開け放たれた扉。そこに立っていたのは、肩で息をする使用人だった。その表情は青ざめ、アテネをとらえた瞳には焦りが滲む。

「アリエス離宮が、テロリストの襲撃に、」

ドクン、と大きく心臓が跳ねる。アリエス離宮といえば、コーネリアがいるところだ。そして──

「安否は不明。式は取り止め、急ぎ中央へお戻りになるようにと……!」

アテネの肩を、オデュッセウスが支えるようにして抱く。アテネの体から力が抜けて、ついにオデュッセウスに身を預けた。アリエス離宮にいるコーネリアとルルーシュたちの顔が浮かんでは消える。ここも危険かもしれないので逃げるようにと告げる声が、どこか遠くに聞こえた。

◇◇◇

中央へ着くと、アテネとオデュッセウスは違う部屋へ通されたらしかった。らしかった、というのは全く覚えていないからだ。膨張して、はっきりしない思考に気持ち悪さを覚える。アテネは気を紛らわそうと、ひとり腰かけるソファーから、窓の外を眺める。いつの間にか日が落ちていたようで、窓には側に控える衛兵2人の姿が映る。
それに気づいて、両親はどこに行ったのかと聞くと、無事に自宅へ戻ったという答えが帰ってきた。しかし、なぜ私だけがここにいるのかという問いには、一切口を開かなかった。コーネリアたちは無事なのだろうか。結婚式はどうなったのか。

「アテネ様、お帰りの支度が整いました」

「……はい」

力なく立ち上がり、迎えに来たらしい兵士に頷く。すると、彼は淡々と今回の襲撃について話始めた。マリアンヌ様がお亡くなりになったこと、皇帝陛下の意向で今回の結婚式は行われないこと。そして、ナナリーについて。

「そ、そんな……」

昔からよく遊んだ、義兄妹になるはずだった2人。無邪気な笑顔ばかりが思い出される。周囲からの圧力に耐え続けた結果がこれだなんて、あんまりだ。項垂れたアテネの目の前に、真っ白なウェディングドレスが広がる。

「テロリストは捕縛されておりませんので、しばらくは慎重に行動なさってください」

「2人はどこにいるんですか」

「お伝えしかねます」

「なぜ! 義兄妹ですよ!」

吠えるように叫ぶアテネに、衛兵2人が近づく。驚いて見上げた先には厳しい眼差しがあった。アテネは、震撼する。

──この人たち、私を守るためにいたんじゃない。私を見張っているんだ。

「アテネ様はブリタニア帝国に忠誠を誓う、ランベルティ家のご令嬢でいらっしゃいます」

「……それは、ブリタニア帝国、……皇帝陛下の、ご命令だということ!?」

「おっしゃる通りでございます」

せめてもの抵抗も、アテネを打ちのめすのみだった。皇帝陛下の、命令。公爵家であるランベルティ家がこれに逆らえるはずがない。アテネは初めて、この国の冷酷さ、理不尽さを味わう。そして、自分の無力さに絶望した。

なにもできぬまま時はすぎ、ルルーシュは皇位継承権を、ナナリーは瞳の光を奪われた。テロリストの行方もいつの間にか捜索が打ち切られ、ルルーシュたちが本国を離れたことで完全に事件は終演を迎えてしまった。留学とは言うが、日本への人質に違いなかった。貴族たちもその流れに異を唱えることなく、変わらない日々を過ごし始める。

ここ、ランベルティ家も同様だった。いつもと変わらぬ朝を迎えて、アテネは食事をとる。なにもできなかった数日の間に、様々なことを考えた。例えば、式の前に悲しそうに笑った母と、その言葉。どこか違和感を感じていたが、あれはきっと…。

「おはよう、アテネ」

「!……おはようございます、父上、母上」

運ばれてきた朝御飯の先に、父がいた。席に座りながら厳しい表情でアテネを見つめている。母はにこりと笑って見せるが、やはりどこか元気がない。席につく様子を見ながら、アテネの中で確信が生まれていく。やはり両親は知っていたのだろう。この事件が起こることを。もしかしたら、マリアンヌ様が亡くなることさえも……。

なら、なにか動くべきだったのではないか。警備を強化するように進言することも、できたはずだ。そうするべきだった。しかし、アテネもただ無意味に年を取ってきたわけではない。わかっていて動かなかったには、きっと事情があるのだろう。それを理解はできるが、納得はできない。だからこそ、この気持ちを両親に伝えなければならない。数日考えた末に、アテネはそう決意した。

「父上、私はルルーシュたちのことをどうにかしてあげたかった」

「そうか……」

アテネの言葉に頷きながら、父親は机を指で叩く。人払いのサインに、使用人たちは静かに部屋を出ていった。アテネは、父親の視線を見つめ返す。

「父上たちに対して、なにも文句はないの。ただ、私になにか力があればって……」

「それは、先見の力?」

母親の言葉に、首を横にふる。両親の行動に納得できないいま、その力を受け継いでも上手く使うことはできない。ただ、いまのままなにも変わらず、家に守られて、本を読んでお茶を飲むだけではいたくはなかった。

「この国で大切な人が守れる力がほしい」

これが、アテネの願いだった。もう二度とこんな思いはしたくない。この日を境に、アテネは貴族として生きていくことを決意した。


140208 第五話/完
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