04

第一皇子の婚約者になってから、4日目の朝。アテネは窓枠にやってきた小鳥の囀りに、瞼を開けた。窓の外には気持ちのよい青空が広がっていた。

「うーん…」

しかし、アテネが寝具から起き上がることはない。こうして寝たまま1日を過ごすようになったのも、今日で4日目であった。1日目は婚約相手である第一皇子に遭遇した衝撃で、床に伏した。2日目は婚約の心得や立ち振る舞いの指導を受けた疲労から。

「お母さん、ジノくんに…本渡しに行ってくる」

そして3日目の朝、あまりの退屈さに耐えたねて、アテネが外出しようとすれば…。ぴしゃりと拒否されてしまった。

「ダメよ、婚約から数日は外へは出られの。異性なんてもっての他だわ!」

謎のしきたりにより、失敗した。数日の間に逃げ出したり、乙女喪失させないためだろうか。心配せずとも、我が身は全て彼に捧げるというのに。次に外出できるようになるのは、皇帝の前で正式に婚約を交わしてからだと告げられた。気が滅入る。まさか久しぶりの外出であの皇帝陛下に直接会うはめになるなんて。キツすぎる。陛下には、式典に出席した際に遠目で拝見したことがあるだけだが、……その…。大変豪快なお方だから、近距離で対面すると思うと本当に胃が痛い。

「うー…」

そこまで考えて、再びアテネは体をゴロゴロと寝具に転がせた。暇だ…。監禁されたばかりの頃は本を読む等して暇潰しに勤しんだが、そろそろ限界だ。芋虫のように転がり、シーツの繭に絡まると、外す。この繰り返しにもいい加減疲れてきた。どうしたもんかなぁと思っていると、部屋の扉が2度ノックされた。

「はい……」

誰だろう、使用人だろうか。ゆっくりと開かれる扉。その向こうに見えた顔に、アテネは跳ね起きた。

「コーネリア様…!」

勢い良くベッドから飛び降りたせいか、絡み付いたシーツが足をひっぱり、アテネの体が傾く。スローモーションのように反転していく世界。次に来るだろう衝撃に備え、アテネは両目を閉じた。

「うっ!」

「落ち着け……まったく、お前は相変わらずだな」

しかしアテネが感じたのは、コーネリアの声と腹にある違和感だった。

「えっ、う…」

違和感の正体は、コーネリアの腕だった。どうやらアテネが転ぶ寸前で、彼女が腕で抱き止めてくれたようだ。

「す、すみません…ありがとうございます…」

理解が追い付き、ようやく出た礼の言葉。コーネリアはため息をついてから、にこりと微笑んだ。変わらない王子様気質に、胸がキュンッと狭くなる。頬もほんのりと熱を持った。

「…今まで眠っていたのか?」

乱れたままのシーツに視線が注がれている。この台詞だけで、アテネの意識が戻った。…これは言い訳もできそうにない。

「ははいそれはそうと!今日はどうかされたのですか?」

「……」

話題の転換が無理矢理ですよね、わかっておりますとも。しかし先程までシーツに向けられていたコーネリアの視線が、アテネに注がれたあたり……成功ではあるだろう。

「アテネが婚約したと聞いたのでな」

もう話が広まっているのか。気まずさも忘れて、アテネの口から思わず乾いた笑いがこぼれる。

「あはは…えっと、とりあえず座りましょうか」

「そうだな、邪魔する」

コーネリアを庭を望むテラスへと連れていく。席に座らせて、アテネは茶菓子を並べる。お茶は使用人がさっき煎れてくれた紅茶でいいだろう。食器を鳴らしながら支度を終えて、アテネも席につくと、コーネリアが口を開いた。

「しかし、まさか兄上と婚約とは」

手を伸ばしかけていたポットが、コーネリアによって取り上げられる。なるほど、話をしようということか。

「私も…未だになにがなんだか…」

素直に手を引っ込め、座り直す。満足気にコーネリアが背を凭れ、腕を組んだ。

「ユフィも心配していたぞ」

「ユーフェミア…様が?」

「固くならなくていい、もう姉妹も当然だろう」

「は、はい」

なんだかとっても照れる。いや、でもそうか姉妹か。ということはルルーシュくんたちとも……あんな美麗姉弟に囲まれるのか。………いや。いやいやいや、今はそれよりもユーフェミアちゃんのことだった。心配していた、というのはどういう意味なのだろうか。最近は会っていないうえに、文通も間違いなどがないかしっかりチェックしている。

「私、ユーフェミアちゃんに何かしたでしょうか…」

「……そういえば、勇者様がどうとか言っていたな」

勇者様? 突然のファンタジー用語に、アテネの目は丸くなる。しかしなぜだろう、懐かしいような……あとジェレミアさんのことが頭に浮かぶのだが……。

「あ!」

そうか、ユーフェミアちゃんまだジェレミアさんのこと勘違いしてたんだった。しかも先日、ロミオとジュリエットを読み終えたという報告の手紙が来ていたような…。

「心当たりがあるようだな、また今度会いに来てやってくれ」

「はい……」

毒薬はだめよ!と山のように手紙が来る前に、ぜひそうしたい。アテネに要件を伝え終えたコーネリアは、肩から荷物を下ろしたように息を吐いた。それだけで、ユーフェミアちゃんのご乱心ぶりが伺い知れる。

「お疲れ様です…」

「ん、いや…それはお前の方だろう」

「え…?」

「お前はまだ15だ…婚約に対して思うことがあるはずだ」

私の前でまで、無理はするな。真剣な眼差しに、アテネの瞬きが止まる。もしかしたら、今日来てくれたのはこれを聞くため…?心配、してくれたんだ。胸の奥が熱くなる。

「確かに、婚約だって聞いた時は驚きました」

気づけば、アテネの口からは本当の気持ちが溢れていた。

「でも、文句はないです」

こんな人生もありかなぁなんて、ベッドでのニート生活中、本当にそう思っていた。だってお妃様になるって…前世から考えれば、かなりのシンデレラストーリーなわけだし。それに、

「コーネリア…さんの妹になれるんだって思ったら…嬉しくて!」

「アテネ…」

ん? でもコーネリアさんのお兄さんと婚約したんだから…私、姉なのか。ちょっと憧れるが、違和感が勝る。うんうんと唸り始めるアテネ。コーネリアの目には、それが暢気そうにも映った。コーネリアはホッ、と眉間から力を抜く。

(どうやら心配はないようだな…)

良かったと安堵すると同時に、この話を聞いた時のことを思い出す。気にしてあげてほしいと告げられたときは、なぜあの方がそんなことを私に言うのかと不思議だったが。

「いまなら、あの方が気にかける理由がわかる気がするな」

ぽつりと呟かれた一言だったが、アテネの耳はそれを拾い上げた。だが聞かれて困るようなことではないので、コーネリアは質問するようにうながした。

「…あの方とは?」

「マリアンヌ様だ」

アテネの思考の海へ、再び石が投じられる。マリアンヌ様ってたしか、ルルーシュくんたちのお母様だよね。他にも様々な家名と名前がアテネの頭に浮かぶが、皇女であるコーネリアさんが様をつけるのだし……お妃様で間違いないだろう。

「実は、お前の婚約について教えてくださったのはあの方なんだ」

「えっ…?」

まさかマリアンヌ様のお耳にまで話が…正直、あまり面識もないため、驚きが隠せない。確か2回ぐらいしか会ったことないと思うんだけど…。そんな方が私を気にかけてくれているとは。

「ああ、とても喜ばれていたよ」

「ひええ…」

「どうかしたか?」

「ま、まさか私なんかを…マリアンヌ様が気にかけてくださってるとは思わなくて…!」

しかも婚約を喜んでいるとまで…お父さんが聞いたら、歓喜して卒倒しちゃいそうな話だ。

「あまり自分を卑下するな…マリアンヌ様は才女であると評判も耳にするし、ルルーシュ達からもよく話を聞いていると仰っていた」

「うわああ」

おさまっていた熱がまた顔に集まる。光栄だけど、でも…ルルーシュくんたち母親に何を話しているんだろう。彼らの前では散々みっともないことをしましたと、自負できる。

「すまないが、私はそろそろ行く。次の公務があるのでな」

椅子の引かれる音に、アテネは意識をパッと戻す。気がつけばテラスから見える空は、すでに赤く染まろうとしていた。

「はい、今日は本当に…本当にありがとうございました」

そう言って立ち上がった肩が軽い。いや、頭も足も軽くなった。自分では気がつかなかったが、今回の婚約に…何かを感じていたのかもしれない。気をつかって会いに来てくれた優しい姉の背中を、感謝をこめて見つめた。

「では、式を楽しみにしている」

「?…は、はい」

……式?
見送りの扉前で、背中を向けていたコーネリアが振り返り様、問題発言を置いていった。扉が閉まる。式って…まさか、結婚式?えええええそんなだってまだ気が早いよコーネリアさん!私まだ15だし……いや、もしかして皇族の結婚式って婚約から計画していくものなのか? その辺の知識がない。調べなくては。

「ふー、先は険しいなぁ」

ふと目に入ったのは、壁に掛けられた鏡に映る自分と、胸元の指輪。指先で触るだけで、あのときのことを思い出す。

「……よし」

良いお嫁さんになろう。色んな人がそれを期待してくれている。花嫁修行、頑張らなくちゃ。そんな決意を胸に、拳を握る。そして口元に笑みが浮かぶのを確認して、扉を開く。

「お母さん、いやお母様!お料理の勉強したい!!!」

「キャー!アテネ様、お料理は私共の、奥様ー!」

騒がしくなった屋敷を見上げるコーネリアは、「前途多難だな」とどこか嬉しそうに笑った。


120902 第四話/完
140204 修正
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -