「アテネ、ドレスがシワになるでしょう」
規則的に振動を受けながら、アテネは窓枠に肘をついて顔をしかめる。
「このドレス、座りにくい…」
いつもの数倍もきついコルセットと、かさばる布。息ができていること自体が奇跡だ。窓の外へ送っていた視線を、揺れる室内へ移す。僅かに聞こえる馬のいななきを耳に、ふぅ…と息を吐き捨てた。
「降りたら、ちゃんとする…それでいいでしょう?」
「……それも、そうねぇ」
母親も気持ちがわかるのか、語気が柔らかくなる。そのやりとりを見かねて、父親が口を開いた。
「アテネ、もう少しで着くんだ…我慢しなさい」
「……お父さんにはわからないだろうけど…これ、キツいんだから」
「お父様、だ」
威厳たっぷりに、アテネを睨む父親。お父様、ねぇ…。100歳くらいの経験値を積んでいる私が、今さらお父様呼びに変えるだなんて…果たしてできるのだろうか。父は、返事が返ってこないことに、眉間のシワを深くした。
「約束しただろう」
「約束…」
ランベルティ家の当主として命じることに従う。誕生日に交わしたあの約束のことだ。
確かに、色々と腹は決めていた。
が、しかし
「突然、婚約者に会いに行くぞ!なんて言われたら…」
怒りたくもなる
「……馬が水分不足で倒れればいいのに」
小さくだが力を込めて願う。しかしその願いもむなしく、馬車は目的地まで残り半刻という地点を通過していくのだった。
「…相手の人って、誰?」
流石にヘソを曲げることに飽きて、ようやく相手へと興味を向ける。すると、それを聞いた母親の目が大きく見開かれた。その勢いのまま、隣に座る父親へ鋭い視線を投げる。
「貴方、それも教えていないの?」
「…今言おうとしていたんだよ。タイミングが重要だろう」
そのタイミングは一生こないに違いない。母親と目を通わせて同時に溜め息。父親も決まりが悪そうにして、口元の髭を撫でた。
「教えてください、お父様」
止めとばかりに語尾を強く放つ。父親への効果は抜群。しかし、それにばかり意識を向けすぎていたようだ。窓から見える景色が見知ったものであるということに、アテネが気づくことはない。馬車が止まる。着いたことをきっかけに、再びアテネは外の様子を伺う。あれ、ここって…
「まさか…」
嫌な予感。こういった場合の勘は嫌に当たるんだ…。怯えつつ眺めていた馬車の扉が、外側から開かれた。格式の高そうな服に身を包んだ使用人が、扉から手を離してゆっくりと腰を曲げて頭を下げる。
「ようこそ、ランベルティ卿…皇帝陛下、並びにオデュッセウス様がお待ちです」
使用人の後ろに広がる、美しい庭園。あまりにも見覚えのあるそれに、アテネは初めて絶望を覚えた。オデュッセウス…ブリタニア帝国を治める皇帝の息子が、第一皇子が称する名。勘違いであってくれ、アテネは最早、ただそう祈ることしかできなかった。
120624 第一話/完
140203 修正
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