沈みかけの夕日が、山際に縁取りを施していく。空も随分と暗くなった。私は、この時間帯が1番好き。どんどん夜に近づいていく様子に、胸が踊る。しかし残念なことに、今日はこの空色を見ても胸は踊らない。なぜなら今日、アテネは社交パーティーに来ているのだ。
「お会いできて光栄です、ランベルティ様」
声をかけてきたのは、小綺麗な出で立ちのおじ様だった。傍らにいる息子に目配せしている。私も横にいる母を見上げるが、にこにこ笑い返されてしまった。来るもの拒まず、ということらしい。思わず出そうになるため息を飲み込む。
「私もです、ハイネル卿」
つい先ほどの親子にもやったように、返事を返せば、おじさんは私の右手を取り
ちゅ
ちゅ
ちゅ
………何度も何度も繰り返されるこの行為に、正直私は大変な不快感を抱いていた。私の右手はいつからこんな機能を果たすようになったのだろう。ヨダレまみれのこの惨状が、ランベルティ家のネームバリューを改めてアテネに見せつける。
「アテネ、アテネ…」
肩を揺さぶられて前を見ると、ハイネル親子はいなくなっていた。どうやら少しの間だけ意識を飛ばしていたらしい。
「おかあさん、コルセット痛い…右手気持ち悪い…」
「ふふ、大丈夫よ……すぐ慣れるわ」
なにそれなにも大丈夫じゃないです。
「さあ、もっと沢山の方にご挨拶するわよ」
「……はい」
母の熱の入りように、視線が遠くなる。家の存続がかかっているとはいえ、これは尋常ではない。
「これはこれは、公爵夫人…お久しぶりです」
「あら、お久しぶりですわヴァインベルグ卿」
少し歩くだけで声をかけられる。うん、これは周りも尋常じゃない。…これが社交界。他の家柄と結びつく公式の機会ともなれば当然熱も入る。でもなんかもっとこう、優雅にウフフしているのかと思ってた。
「アテネ様のような方であれば、引く手あまたでしょうね」
…どうやら、この社交パーティーは親同伴のお見合いパーティーだったらしいです。
「まだまだ、未熟者でございます」
軽く膝を曲げ、こうべを垂れる。この動作、簡単そうに見えて難しい。コルセットが脇腹に刺さるのだ。
「どうか謙遜なさらないで下さい…まだ10も数えぬ息子ではありますが、様々なご教授をいただきたいものです」
肩を押されて前に出てきた少年…彼がその息子か。うーん中々の美少年。感心していると、空色の瞳と視線がぶつかる。
「……ジノ・ヴァインベルグです」
少年は尖らせた唇で名前を告げると、瞳をそらした。
「アテネ・ランベルティです」
子どもが自己紹介したのを見届けると、親同士で会話を始めてしまった。子どもである私たちは無言のまま対面する。
「……」
「……」
うわーこの子、眉間にシワ寄ってきた。機嫌悪いんだなー。美形はしかめ面でも様になるから羨ましい。
「そんなにじろじろ見るな」
「あ、ごめん」
睨まれてしまった。それはそうか、これだけ見ていれば誰だって不快に思うだろう。
「……なっ」
「え?」
「………お前」
「え?」
「………」
「…話してくれないと、わからないのだけれど」
「………変わってるって言われるだろ」
「言われません」
言われたことは一度もない。しかし自覚はあるので、視線をあわせることはできなかった。
「私達、にたものどうしみたいだな」
「…みたいだね」
イタズラっぽい笑顔に、胸の奥が狭くなる。かかかかわいい…!
抜け目なくそれを見ていたのは、お母さんだった。名門貴族のヴァインベルグ家であれば、交友するだけでも意味がある。そう言ったのはお父さん。というわけで後日、我が家へジノ君が来ることになった。皇族関係者以外に知人がいない、という異常事態から逃れることができるらしい。それは喜ばしいことだが、このまま婚約なんかになってしまったらどうしよう。それだけが不安だ。心を落ち着けて夕日を見ることは、またしばらく出来そうにない。
120822 第九話/完
×