「アテネのお気に入り、難しいです…」
むうっとユーフェミアが抱えているのは、神話の本。たしかに、ユーフェミアには少しというか、だいぶ難しいかもしれない。神話なら大丈夫かと思ったけれど、まだ10才にもなっていない彼女にはまず挿し絵のない本というもの自体ふれたことがないのかもしれない。
「じゃあ、私が読んであげようか?」
ということで、小さな読み聞かせ会が幕を開けた。
お話はお姫様と勇者のお話。悪い魔女に拐われたお姫様を、勇者が剣を片手に果敢に戦い、助け出すというなんともありきたりなストーリーだった。しかし、聞いていたユーフェミアはそうは思わなかったようで、勇者がお姫様を助け出したと知ると安堵のため息をついた。
「面白かった?」
少し低い位置にある頭を撫でて訊ねる。ユーフェミアはにこにこ笑って頷いた。
「アテネ、私にも勇者様きてくれるかしら?」
この子の容姿と地位であれば、それはすぐ叶えられるだろう。正真正銘、お姫様なわけだから。しかし拐われるっていうのは…。
「もういるのかもしれないよ、側に」
当たり障りのないようにそう言うと、ユーフェミアはパッと顔をあげて「やっぱり!」と
身を乗り出した。
「でも、運動が苦手で妹ばーっかりかまう勇者様なんて、へんてこよね?」
誰のことを言っているのかはわからないが、確かに勇者様にしてはへんてこだ。
「その勇者様なりに、守ってくれるよ」
「うーん…」
想像しているようだが、やっぱり少し難しそうな顔をしている。
「…アテネの勇者様は守ってくれるの?」
勇者様は…いや、いない。そもそも外の人話したのはユーフェミアが初めてなのだ。しかし、そんなことを今言ってしまうのも気が引けてしまうし…。なんて面倒な性格をしているのだろうか、おそらく私の年であったら何も考えずに「勇者様なんていないよ」と言ってしまうだろう。そんなことを考えていたからだろうか、
「…騎士をしているから、えっと、普段は他の方を守っているんだけど…。」
気がついたらそう言っていた。思わず言いよどむ。しかし、ユーフェミアはそれで満足とばかりにうっとりした顔を私に向けた。
コンコン
「…はい…?」
扉の叩かれた音が、更に何かを聞こうとしたユーフェミアをさえぎった。
「ユーフェミア様、コーネリア様がそろそろお帰りになられると…」
「あ…もうそんなに時間が…」
時計を見ると、ユーフェミアが来てから長針がもう2周半回っていた。公務というものにどれくらいの時間がかかるのかはわからないが、もしかしたら、待っていてくれたのかもしれない。
「ユーフェミア、帰らないとね。」
「…もっともっと、アテネとお話がしたかったです…。」
そう言って、彼女はぎゅっと神話の本を抱きしめた。
「あのね、私、このご本、宿題にします。」
「え?」
「それで、アテネに教えてもらいたいです」
…これは、家に来てくださいという誘いなのだろうか。おそらく、そうなのだろう。本を離さないよう力いっぱい抱きかかえながら、ユーフェミアが私を見上げた。
「うん、わかった。今度は私がいくね。」
「ぜ、絶対の絶対ですよ!」
「うん、絶対の絶対に」
使用人に連れていかれながら、ちらちらと振り返るユーフェミアを見ながら思う。妹って、こんな感じなのかな。弟はどうなんだろう。もっと、外が知りたい。彼女の揺れる髪が角を曲がるのを見届けて、私は静かに扉を閉めた。
その日の夜、アテネは自室で今日ユーフェミアに見せるため出した本の一つを、パラリと開いた。どれも読み返して読み返して、時には枕にした大切な物ばかりだ。懐かしさから、静かに目を閉じる。そこへノック音が響いた。
「入るぞ、アテネ」
「お父さん…?」
時刻は夜の8時、まだ寝ろとうるさく言われるような時間ではない。なにかあったのだろうか。アテネは扉が開くのをじっと見つめた。
「座って話さないか。というか…なんだこの本の山は」
「げ、」
そうだった。周りで土砂崩れをおこしたように散らばっている本を見回す。惨劇だった。
「ユーフェミア、様が…いらした時にね……嬉しくて、お気に入り……」
弁明の中、父が目を伏せていることに気づく。
「…お父さん?」
「外に、行きたいか」
少し掠れたその声に、アテネは伸ばしかけたその手を震わせた。外に…本では知りえない、記憶でしか知らない外に。じわっと目頭が熱くなる。震えないよう、眉に力をいれて頷いた。
「……そうか」
お父さんは昔言った。ランベルティ家の自覚を持てと。あの時はわからなかったが、今はわかる。私の肩に重く凭れる公爵令嬢というしがらみ。この国の冷酷さ。外はそういう世界だということを。
「お前も、13になった。世界を知るには、ちょうどいい年だ」
お父さんの手が私の頭をゆっくりと撫でる。目を見つめ返す。
「ただ、これだけは約束しなさい。私がランベルティ家の当主として命じることに…従うと。」
胸元で握りしめていた手を下ろす。家に縛られる契約をしろということだと、アテネは理解した。そして父は私のことを心配してくれているからこそ、今私に選択させるのだということも。
「……うん」
「…いい子だ」
そのまましばらく、お父さんは私を見つめた。私もお父さんの瞳を見つめ返す。私の目とは違い、深緑色のそれはきっと今まで色んなことを見てきたのだろう。喜びも、悲しみも。そして、これから私も
「アテネ…早速、当主としての命令をする」
そのしがら……え?
「……もう?」
「ああ」
え、そんなに乱用できるかんじなの?え?思いもよらない展開にアテネはわたわたと焦るばかりだ。な、なんだなにを言われるのだなにを……!
「抱っこさせなさい」
「………え」
お父さんがお父さんじゃない。だって、普段からまるで渋柿食べてますって顔してるような人が…抱っこ、抱っこって…。これは間違いなく異常事態ですよね。
「あの、お父さん?ってわあぁあっ!!!」
突然浮遊感に襲われる。まままさかまさか、驚きと焦りでもう目が回りそうだ。
「う……重くなったな」
「勝手に抱っこしといて失礼すぎませんか」
「…もうそんなことまで言うようになったか」
「…大人だもん」
お父さんのことを見下ろすのは楽しいが、やはり恥ずかしい。思わず視線が上へ下へと泳いでいく。それを見ていたのだろう、下からフッという笑いが聞こえた。そして、
「アテネ、誕生日おめでとう。」
こめかみにぬくもりが届くのと同時に、耳はその祝福詞を拾い上げた。
12???? 第六話/完
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