大きな本を抱え、庭を目指す一つの背中。少女の腕に収まりきらない程の大きさをしている様子からして、それを運ぶのには一苦労が要りそうである。しかし、少女の瞳には何の陰りも映っていなかった。窓から光が差し込む度に輝く背表紙。少女は愛おしげにそれを指で撫でた。
その日は、アテネの13才の誕生日だった。小さい頃と比べると…様々な変化が起こりつつあった。身体的にも、精神的にも。時々過る記憶は前世のものなのだと理解したのは1年前だった。それ以来、朝が来れば目覚めるように、夜が来れば眠るような自然さで、記憶の欠片は増えていった。
この感覚は人と違うものなのだと悟ったのは半年前で、記憶について話すことを止めた。
使用人たちは「お嬢様はもうお伽噺をされなくなってしまった…」と、少女の成長を感じ取り悲しんでいた。使用人たちと話すことが減った代わりに、アテネは勉強に力を入れるようになった。勉強の大切さは、甦った記憶に染みついていた。貴族だからと家柄を盾にすることは好ましくない、という父の考えに影響されたところもあった。
そして、更に驚く変化が訪れる。
物語の歯車が回り始めた。
「はじめまして、ユーフェミアですわ!」
廊下に響いた可愛らしい声。使用人のスカートから現れたのは、桃色をした可愛らしい少女だった。ユーフェミア……?それって、皇族の…ユーフェミア王女だろうか。困惑した様子で、アテネは思わずユーフェミア王女の隣に立つ使用人と、母親を見た。
「ユーフェミア・リ・ブリタニア様よ」
───やはり、皇女殿下だった。そんなお方が何をしに来たのだろうか。手にしている本を抱え込み、凝視する。
「アテネ、ユーフェミア様にご挨拶は?」
「…あ、」
お母さんの困ったような声に、ハッと目をそらす。少しくすぐったさを感じながら、彼女の名前を呼ぶ。
「ユーフェミア…ちゃん……アテネです、初めまして」
するとユーフェミアは、元から大きくてぱっちりしたその瞳を更に大きくさせた。あまりの大きさにぎょっとする。瞳がぽろりと落ちてしまうんではないだろうか。
「…あの!あのね!」
「う、うん」
彼女の勢いに肩が跳ねるが、一文字を口にするだけで体が一緒に動いている様子。一生懸命話そうとしているのだと感じさせられた。彼女の髪色が頬に色を落としていく。いいなぁ桃色、お姫様みたいで可愛い。いや、正真正銘のお姫様か。
「あの、私と、お友達になってください!」
「…おともだ……!?」
今度は私の頬が燃えるように熱くなった。
◇◇◇
ユーフェミアちゃんと話すうちに、彼女には姉がいるということがわかった。今日来たのはその姉の公務に着いてきたのだという。中々外に出られないから、お姉様にお願いしたの!と胸をはる彼女に笑みがこぼれる。
「アテネは?」
「え?」
「今度はアテネのお話が聞きたいの!」
私の話…何か面白い話あったかな。皇女なユーフェミアちゃんに何を話しても、大したことなくて退屈しちゃわないかな。チラッとユーフェミアちゃんを見る。
「ユーフェミアちゃんは、なにが聞きたい?」
「うーん…」
キョロキョロと周りを見回すと、私にまぶしい笑顔を向けた。
「アテネのお気に入りを知りたいです!」
「お気に入り?」
今度は私がうーんと唸る。たくさんある。外へ出られない環境で過ごしてきたのだ。記憶で自転車を知ってから自転車をおねだりして、乗り回した思い出の自転車や、今まで読んでいた本も私の大切なお気に入り。それならユーフェミアちゃんも楽しんでくれるかもしれない。そう思うと、自然と笑顔になった。
「じゃあ、私の部屋に行こうか。たくさんあるから。ね?」
「はい!」
迷子になっちゃうといけないから、と手を繋いだ。ユーフェミアちゃんは「私、お友達のお部屋に行くの初めてです!」と鼻息を荒くしている。
「私も、部屋に呼ぶの初めてだよ」と返すと、二人で一緒に笑った。
不思議と胸がポカポカして、その懐かしい感情を確かめるように手を握り直した。自室前に着き、繋いでいた手を放す。そして扉のノブを回し、手前に引いた。
「ここだよ、私の部屋」
ユーフェミアちゃんは興奮した様子で、扉からぴょこっと顔を出した。そしてそのまま固まってしまった。…そんなにショックを受けるような部屋だったかな…?それともなにか荷物が出しっぱなしだったのかもしれない。
「素敵です!!」
…杞憂だったようだ。
「アテネ、あれはなんですか?あのお人形さんは?あの難しそうなご本は?」
矢継ぎ早に連射される質問は全部キラキラ輝きながらと私の耳に届いた。
「ユーフェミアちゃん、一度座って話…」
「アテネ!あれはなんですか?見たことないです!」
「…えっと」
とりあえず、何をするにしてもこの質問に一つ一つ答えてからかな。と苦笑しながら、アテネは口を開いた。
「それはね、」
120908 第四話/完
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