「お嬢様ー!」
8才の頃、私は頭をひどく打ち付けた。庭で1番高い木から落ちたのだ。なぜ登ったのかという理由は特にたいしたことではなかったと思う。恐らくただの好奇心。とにかく私はその時、しばらく生死をさ迷ったらしい。そして5日後目を覚ました私は
「…大往生した」
まず、そう呟いた。
カラン
「…お、お嬢様…!」
お盆が床に落ちる音に、目をやる。使用人は私と目が合うと口をパクパクと動かして、目からポタリと涙を流した。
◇◇◇
「ふむ…」
お医者さんの診療を受け、衣服を戻す。お母さんは「アテネは…」と不安そうに言葉をこぼした。
「ええ、打撲などの外傷以外は大丈夫そうです。吐き気はあるかい?」
「いえ、ないです」
首を横にふりながらそう答える。お医者さんはにこりと笑い返してくれた。それを見てお父さんもやっと肩の力が抜けたようだ。色々な人に心配をかけてしまったという申し訳なさと、愛されていることに照れて布団をかぶる。
「ではまた何か変化がありましたらお呼びください」
「ありがとうございました、お送りします」
「外に人をよこすので、それまでこちらへ…」
お医者さんと両親の足音が遠ざかっていく。
「……」
眠っている間、私ではない誰かの人生を見ていたような気がした。今であればそれが自分の前世だとわかるが、当時の私にはよくわからなかった。とてもよくできた夢。しかし多くの人に看取られながらの最後であったことだけは、強く心に残っていた。あれはなんだったのか…しばらく布団の中で考えていると、突然視界が真っ白に変わった
「アテネ!」
「!!」
布団がない。驚いて飛び起きると、そこには青筋をたてご立腹のお父さん。
「アテネ、あれほど…あれほど、庭で危ないことはするなと言ったではないか」
「だって、ずっと部屋にいるなんてつまらないんだもん。お父さんが悪いの、ばか!」
「ばっ…!?」
「まあ!なんてことを、アテネあなたどこでそんな…!」
それっきりお父さんは目を白黒させて固まってしまって、代わりにお母さんが私を責め立てる。でも、私間違ってないもん。産まれてからこのかた一度も自由に外へ出たこともなければ、友達なんて文字通り本しかなかった。
ふとした時に思い出す、何かの記憶にいる私は気軽に出かけ、友達もいた。友達がいる楽しみや喜びを記憶から感じるようになって、私は本に添えた手を離したのだ。
「私だって…私だって友達が欲しい…本なんかじゃわからないこと、たくさんあるんだもん!」
私はお父さんを見上げながら、時折ひぐっと息を短く吸い、わんわんと泣き出した。
わーんわーん
屋敷中に響き渡ったであろうその泣き声は、庭にいる使用人たちまでも驚かせた。お母さんは、いくら知識ある聡い子であってもまだまだ子どもなのだと、その胸にわいた庇護欲で私を抱きしめた。
「アテネ…わかってちょうだい」
「わか、んない、嫌だよ…!」
身体中が痛い。打撲しているのに、お母さんがぎゅうぎゅう抱きしめるからだ。痛いよ、お母さん。
「…アテネ」
お父さんは少し屈むと、いつも以上に深い眉間のシワと…いつも以上に優しい顔で、手で、私の頭を撫でた。
「お前はランベルティ家の長女だ。大人になりなさい」
いやだ。否定をしようと口を開けるが、ただ空気が抜けていくだけだった。大人になりなさい。そういったお父さんの目は、とっても暗くて深かった。
ランベルティ家はその昔、ブリタニア帝国ができる前から建国者…つまり王家を微力ながら支え続け、深い信頼関係にあった。そのために、政治的暗躍の場にひっきりなしに踊り出され、もみくちゃにされてきた。資金面でも歴代勲章でも他の貴族には劣るが、時代を先読みすることで…なんとか今までその血を繋いできた。公爵という身に余る地位に飲み込まれぬよう、続いていく。それがランベルティ家であり、8才の私には重すぎる歴史だった。
120820 第三話/完
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