廊下を歩くだけで、視線が集まるのだ。なにが楽しくて見られているのかわからないが、なにが原因かはわかっていた。悪戯仕掛人とやらのせいである。なんでも、前フィルチさんといたときに会った四人組のことをそう呼ぶらしい。……悪戯仕掛人といえば、背の高い双子じゃなかったっけ。記憶違いだったのかもしれない。
とにかく、その悪戯仕掛人がなぜか私に絡んでくるせいで、注目をあびてしまっているらしかった。といっても、主にうるさいのはもじゃメガネだけひとりだけだが……。
絡まれてる理由はわからない。いろんな世界にいたせいでついてしまった、超人的な身体能力に興味があるんだろうと、初めは思っていた。だから、次に会ったときにこれは魔法の薬を飲んでるだけなんだと言って、その関心をそごうとしたんだけど。それで、今度はもじゃメガネ以外の3人の琴線に触れてしまったらしかった。「作り方教えろ!」と追いかけ回されるようになってしまったのだ。わけがわからない。お前らも頑張ればできるんじゃないのか。
というわけで、今日も今日とて私はとんでもない量の視線を集めていた。フィルチさん?早々に「不愉快だ!」って叫んでどっかに行きました。護衛役のはずが、対象者に任務を拒否されてしまった。雑用もお役ごめんになったらしいから、それはよかったけど。校長もなにも言ってこないし、容認されてるに違いない。たぶん。
さて、今日はどこに隠れて時間をつぶすか。水筒などが入っている鞄を右肩に持ち替えて、行き交う生徒たちの間を歩きながら人気のない場所を目指す。離れの塔までやってきた郁は、人の気配を感じて顔をあげた。ここにまで人がいるとは。
「こんにちは」
プラチナブロンドの髪を持つ美青年が、いままさに郁が登ろうとしていた塔に背中を預けて立っていた。後ろに広がる湖畔とあいまって、目の前の情景が額縁のなかの景色に思えた。……いやしかし、美青年ってどの世界にもいるもんだね。あんまりにもよくいるから、感覚が麻痺してきたよ。
「郁さんですよね」
「いかにも」
盛大に返答を間違えた。感覚が麻痺してたんじゃなくて、脳が死んでるらしい。時代錯誤もはだはだしい郁の物言いに、美青年はわずかに眉を動かした。しかし、人の良さそうな笑みは崩さない。
「噂通り、おもしろい人ですね」
「はあ……」
微笑を深める美青年。ズキュンッと恋の矢に撃ち抜かれることは、もちろんない。なぜなら、深緑色のネクタイを締める彼が、ここの生徒だと気づいたからだ。さらに言えば、ここには郁の知り合いはあまりいない。誰かを挙げるのであれば、あの悪戯仕掛人くらいか。もしや、スリザリンにもそのメンバーがいたのだろうかと、郁はそのことばかりが気になって仕方がなかった。様子をうかがう郁に、美青年は肩を揺らす。
「悪戯をしようとは思っていませんよ。私の知り合いに、あなたに会いたいという方がいましてね」
ますます意味がわからない。そりゃ学内ではフィルチの騎士として、かなり話題を集めてる私なわけだけど……。その話題はけっして会いたいと思うようなものではないはずだ。
どうしたものかと戸惑う郁の前に、するりと彼の左手が差し出された。え、なに握手?よくわからないままにとりあえず郁も左手を出すと、なぜか手のひらにチュッとキスを落とされた。
「どうでしょう、今度お食事でもしながら……」
彼は、意味深に笑みを深める。触れられている左手から伝わるひんやりとした冷たさを感じながら、郁はすぐに思った。
「え、めんどくさい」
ついでに捕まれていた手を引き上げて、羽織っているローブでゴシゴシする。ほんの一瞬だったのに、なぜか左手はすっかり冷えきっているようだった。なにか仕掛けるつもりだったのでは、と疑ってしまうのは悪戯仕掛人どもの影響か。とにかく、さっさとこの美青年から離れよう。
「あ、えーっとすみません。ちょっといま用事思い出したんで、失礼しても……いいですかね」
「……」
反応がない。うん、じゃあほっとこう。ここで声をかければ、また面倒ごとに巻き込まれるかもしれない。……思うに、いままでの私はなんだかんだと怪しげな人物と接触しすぎていたのだ。これまではそれでもなんとかやってこられたが、今回ばかりは魔法なんていう恐ろしい術もあるし、ごめん被りたい。そして郁は、すたこらさっさとその場から退散したのだった。
その日の夜、郁はベットに腰かけて鞄のなかを漁っているときに、見たことのない1冊の本を見つけた。黒皮の表紙には「Tom Marvolo Riddle」という謎の名が書かれている。なかを開いてみると、ただ真っ白なページが最後まで続いていた。誰かのメモ帳かなにかだろうか。気になって紙を指で撫でてみると、思いの外、書き心地のよさそうな紙質。高そうだし、きっと昼間に会ったあの美青年の私物だろう。
「ふーん、名前トムって言うだ。案外平凡な名前だなぁ……村人Aみたい」
ぽつりと呟くと、黒いなにかが紙の上を走った。いまのはなんだと目を瞬かせる。紙には、いままでなかった一文が書き込まれていた。
「"君ほどじゃない"って、なにこれ」
まるで郁の独り言への返答みたいだ。指先で字をなぞる。すると、染み込むように字が消えていった。
「へー、会話できるんだ。魔法ってなんでもありだな、ほんと」
"君はマグルかい?"
「? なに、マグロの誤字?」
私がマグロ大国日本出身だってわかったうえでの対応か。意外とお茶目な性格設定してるな。これはたしかにトムくんも夢中になるね。普段から持ち歩いちゃうくらいだし。
「ん? てことは、もしかしてトムくんひとりでこれで遊んでんの? うっわー、ヤバイ。ただしイケメンに限る、っていう最強属性でも隠しきれないヤバさがある」
そうか、友達いないのかー。昼間のあれは、勇気を出して私と友達になろうとしてたのかな。申し訳ないなそれは。でも友達にはやっぱなれないし、仕方がないね。
遅れて、再び文字が浮かび上がる。
"君は、実に低能だね"
「…………」
ピキリ、と眉間に力が入る。
"マグルと関わっているだけでも堪えられないというのに、君のような猿だと余計に我慢ならないよ"
「無機物の癖に生意気だね。あれかな、トムくんはドMなのかな。無機物にすら罵倒されたい子なのかな。引きちぎりたいくらい腹立つな」
両手で手帳を開きながら、なんとか苛立ちを我慢する。落ち着け、相手は無機物。ここで激昂してちゃ、哺乳類の恥だ。
"やってみなよ。マグルの君には無理だろうけど"
「……」
郁は1度、手帳を閉じた。そして左手の人差し指と親指で、手帳の端を掴む。グッと軽く力を入れれば、手帳が小さく悲鳴をあげた。見てみれば、表紙と初めの数十ページに裂け目が入っている。うん、パンの耳みたいにちぎれそうだわ。
「じゃ、遠慮なく」
本気で行こうと意気込んで…………。
「姉ちゃん、姉ちゃん」
「ん、んん?」
揺さぶられる感覚に、郁は薄目を開いた。目の前には、呆れ顔のタケル。やっと起きた、とため息を吐かれた。
「そろそろ起きないと閉まっちゃうよ、食堂」
食堂……。
まだ寝ぼけてるらしい郁は、ゆっくりと身を起こして窓の外を見た。突き抜けるように快晴な空と、チュンチュンとさえずる小鳥が、爽やかな朝の訪れを報せる。
「ほら、俺先いって開けといてもらえるよう言っとくから。支度して」
「はーい」
目をこすりながらタケルの背中を見送り、あくびをする。どうやら、昨日はおかしな手帳と話して、そのまま寝てしまったらしい。寝るまでの記憶かがないのは気になるが、それよりもいまは起きて身支度をしなければ。それで朝ゴハンを食べたらとりあえずフィルチさんに会って……。
「そうだ、トムくんに手帳も返さないと」
ベットから立ち上がって、黒皮の表紙を探す。しかし、どこにも見当たらない。念のためベットや机のしたも覗き込んだが、そこにはわずかなホコリがあるだけだった。
「おっかしいなぁ」
不思議がりながらも、まあそのうちに出てくるかと、郁はクローゼットからワイシャツを取り出した。さて、今日も1日のんびり生きるか。
141201 第四話/完
ちょこっと闇陣営
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