弟が、あの立海大のテニスレギュラー(奥の手的な存在)だと知ったのは先日のこと。そしてタケルが新しい自転車を手にしたのは、昨日のこと。キャラとの接触に警戒していた郁だったが、ついに校門スタンバイの枷が外されて自由の身となったのである。
さらに通っている高校は立海大系列でもなければ距離も遠く、タケルもレギュラーを家に連れてくることがない。そのため、幸村以来メンバーとのコンタクトはなかった。トリップしたからといって強制イベントがあったりするわけではないらしい。曲がり角などに警戒して過ごしていたが、それもどうやら不要らしい。安心したような、残念なような。
そんなドリーム展開から足踏み外して捻挫しそうな郁。それとは対照的に、タケルは波乱万丈な部活動をくりひろげているらしかった。話を聞くたびに、ふつふつとある思いが沸き上がる。私だけ変わらぬ生活を送り続けるのは、つまらない。私もなんか初めてみよう。というわけで、郁は早速人生初のアルバイトを始めた。
「こちらでお召し上がりですか?」
ファーストフード店の店員である。アルバイトといえばと軽い気持ちで受けたら受かってしまい、いつの間にやら今日は初のオーダー係に挑戦することに。客さばきも見よう見まねだがなんとかできているし、教育係の岩井さんも誉めてくれた。これはもしや、私の天職かもしれない。
ちなみにタケルが部活をしている時間に合わせてシフトを入れてあるので、キャラに会う確率は更に低くなった。接触も回避しつつ、自分を磨けてお金もたまる。完璧だ。
気合い十分に、郁はドアを開いてやってきた客に笑顔を向けた。そしてその表情は、すぐに凍りつくこととなる。
「先輩、俺ほんと今月は金欠なんですって!」
「この間財布新調するって言ってたろい」
なにあれ。どうみてもあれ立海大中学校制服じゃないですか。どうみてもあれ切原さん宅のワカメじゃないですか。その隣にいるのはどう見てもあれ丸太じゃないですか。ちょっと待って下さい。ドアからカウンターまではかなり距離のある店内だが、遠目で見てもすぐにわかる。あれ絶対プリンスだ。
「郁さん大丈夫?」
「……は、はい」
「そ、そう?」
郁を気にして声をかけてくれたのは他でもない、教育係の岩井さん。せっかく誉めてもらえたのにここでミスはしたくない。うん、大丈夫だ大丈夫。落ち着け。どうみてもあれテニス関係では有名な王子様たちだけど大丈夫。だって私はただの店員。森に生い茂る木の一本にすぎないのだから。平常心で接客だ。
だが、無情にも店内の扉は再び開かれてしまった。そこから入ってきたのは……
「赤也、俺のも頼む」
「タケル先輩まで俺に集るんすか」
「バーカ、冗談だって」
郁の弟、タケルだ。ああ、伐採された。私いま伐採された。タケルお前なにやってんだよ。バイト先、知ってるよねあんた。来るなよって言ってあるよね。なにこっち見てびびってるの。忘れてたって顔に書いてあるんですけど。
「ブン太……俺買うもん決まってるから、先に席ついててくれ」
「了解。ほら行くぜ、赤也」
「ううっ」
王子様たちは郁とタケルの様子に全く気づいていないようだ。タケルもほっとしたように息をはいて、席を探しに行った2人に背を向けてカウンターへやってきた。
「タケル…」
「大丈夫……ほら、ファンの子もいないし」
そりゃそうだけど
「姉ちゃんなら印象にすら残らないし、心配ないって!」
「黙って注文しろ」
隣のレジの岩井さんがとても驚いているようだ。というか、青ざめてる。すみませんいまそれどころではないんです。弟なんです。と、伝える間は当然ない。後できちんと説明できればいいけど…。
「今日はコート整備でさ、暇だから付き合えよって引きずり回されてんだよ」
聞いてもいないのに言い訳をしてくる辺り、申し訳なくは感じているようだ。鍋のようにグラグラと煮えたぎっていた怒りも徐々に収まっていく。ため息をはき、頷いてから卓上のメニューを指で弾く。
タケルは安堵した様子でなにを頼もうかと悩み始めた。郁はカウンター下からフキンやストローを準備しながら待つ。
「あ」
「なに」
「スマイルください」
「なに調子にのってんの?」
その後は、例の王子様がレジに来る前に休憩に入ることができた。バイトを上がる頃に岩井さんにも会って、なんとか誤解も解けたし。もちろんふざけ腐ったタケルには帰宅後にたっぷりお灸を据えるつもりだ。
いやしかし、本当にびっくりした…。今回はなんとか未然に防げたが、これがいつまで続けられるのか。強制イベントはなくとも、今日のように突然遭遇することがこれからもないとは言えないだろうし。
でも、しかし、うん。赤也とかブン太かわいかった。ブン太とかハッピーなセット頼んでて本当にただのテンション高い男子だった。こうやって遠目で見るようなチャンスは、時々あってもいいな。
09???? 森林伐採はよくない/完
140217 修正
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