01

「んあ、」

思わず鳴った自分の鼻の音に、体がびくりと跳ねる。浮上し始める意識とともに、ゆっくりと瞼を開く。サワサワと風に揺れる葉音が鼓膜を揺らし、郁の耳を楽しませる。頭上で悠然と枝を伸ばす樹木たち。その青々とした葉の間から漏れた日差しが、心地よい。まるで絵本から切り取られたみたいな時間だ。今一度、この安らぎに身を委ねよう。木から離れたリンゴが落ちるような自然の流れで、郁の意識は沈んでいく。

───ガキィンッ

冷たく響いた金属音に、郁は目を見開く。再びその瞳はのどかな風景を映し出したが、瞳孔は開ききっていた。腰にずしりと感じる冷たい刃の感覚。脚を締め付けるいくつものベルトたち。それらを認識した途端に、郁の体の中から指先に向けて、ぞわりとした感覚が波紋のように広がり伝わった。同時に、この状況に至るまでの記憶が全く覚えていないことに気がつく。

───いや、違う。森にいることはわかるんだ。ただ、ひとりでここにいることが問題なのだ。

今日は、何度目かの外壁調査にやってきたはずなのである。薄い本を量産しそうな、あの兵長に馬車馬のように追いたてられながら、いつものように馬の横を並走していた。数人の死人を出しながらも、調査は順調に進んで……最終日の日が暮れたはずだ。それで、長年(タケルのおかげで)磨かれた探知の才を活用するようにと、今日も今日とて陣地の離れた場所で横になったのである。

にもかかわらず、起きてみると私しかいなかったわけだ。まさかまだ夢でも見ていたのかと自分を疑うが、身に纏う衣服と腰にぶら下がっている対巨人武器の冷たさが、現実であると郁に告げる。と、いうことは。……置いてかれた?

「それか、これも見極めの策とか?」

たまに、突然巨人の群れに放り投げられたり、行けと命じられたり……まるで抜き打ちテストのようなものが実施されるのだ。まだまだ兵長さんに疑われているようだし、敵か味方かの判断をしているらしい。最近はなくなったから油断してたけど、やっぱりそうか。

「身長と肝っ玉って比例するんだなぁ」

本人が聞いたら脛を蹴りかかりに来そうな台詞だが、周りは大人しいものだ。試しに人の気配を探ってみると、2キロほどさきに、とんでもない数の人の気配があることがわかった。下手すれば千人くらいいる気がするけど……集落かな。ここで座り込んでいても仕方がないので、とりあえずその集落を目指して歩き始めた。

さくさくと、足元に落ちた葉を踏み分けながら進む。獣道すら見当たらない、道なき道を歩いていくうちに、この森には人が入ったような形跡がないことに気がついていた。切り株も見当たらないし、もしかしたらこの辺りは人が踏み入れたがらない場所なのかもしれない。そんなところに日が落ちるまでいるのは得策ではないので、地面を蹴るようにして進むことにする。周りの風景が巻物を流すように送られていくうちに、林の隙間から光が差し始める。森の終わりは近い。

「……っ、と」

葉を揺らして飛び出した体。足の裏が柔らかい芝を感じて、急いで身を低くする。摩擦を増したことでスピードが落ち、膝をつくような体勢で止まった。少し調子に乗り過ぎたようで、足の節々から針に刺されたような痛みが走る。うーん、相変わらず制御が難しい。というか、段々力が増している気さえする。また重りを増やさないといけないのか……。立ち上がると、腰に巻きつけてある鉄の塊が擦れ合い、重厚感のある音で鳴く。

「んでここはどこかな、と」

腰に手を当てて、芝の先を眺める。そこには、アンティーク調……とは言いがたいほどに古ぼけた石造りの館? 城? がそびえ立っていた。歩きながら近づいてみると、数千の気配はこのなかからすることがわかった。手のひらで、石で積み上げられた外壁を触る。拳を握って叩いてみると、小気味いい音が返ってくる。巨人を阻むには心もとない厚さだ。以前、調査兵団の外部拠点に連れて行かれたことがあったけど……それにしては活気に満ちているし、造りは甘い。観察をしながら歩き続けること数メートル。郁は小屋のようなものと、人影を見つけた。


「すみませーん」

手を振ってみれば、人影は動きを止めた。こちらを注視しているらしい。攻撃体勢にならないのを確かめて、郁は駆け足ぎみに相手に近付く。顔を確認できるほどになると、相手が随分と大きな男だとわかった。なんというか、クリスマスツリーみたいだ。聖夜に飾るには地味な出で立ちだけど。そんな失礼なことを考えていると、大男は郁に首を傾げた。

「おまえさん、随分とおかしな服着ちょるな」

「え? ああ、調査兵団なんで」

「チョウサ……俺はアホだから、ようわからんが、チョウサなんとかがなんか用か?」

「えーっと、ここって壁の外ですよね。なんでこんなに人がいるのかなぁって」

「? お前さん、生徒じゃねぇのか? じゃあなんでここにいるんだ? なにしてる?」

しまった。質問を間違えてしまったらしい。大男はモジャモジャの髪と髭に覆われた顔を曇らせ始める。生徒とか、気になる言葉はあるけどいまはとにかく敵じゃないことを伝えなければ。

「いやいや、巨人の討伐活動の途中だったんです! だから敵じゃなくて、むしろ人類全般の味方でして」

「きょ、巨人の討伐!?」

「そうそう! 巨人の……っ、わあ!?」

郁の足元で、なにかが鈍い音をたてて砕けた。黄色くて、白い種がある。カボチャ……? 視線を男に移せば、既にその大きい両腕に抱えきれないほどに大きいカボチャを抱いていた。驚きのあまり、郁は立ち尽くす。

「ちょちょちょ、えええ!?」

もしかしなくても、また言葉のチョイスを間違えたのか。頭の上に影が落ちて、慌ててその場から跳ね上がる。小屋の上に降り立つと、郁がいた場所に、先程の倍はありそうなカボチャが打ち付けられていた。うわー、女子にも容赦ないなー。

「オッ、オッ、いなくなっちまった!」

私を見失ったことで、相手は右往左往し始める。うーん、どうしたものかな。また声かけるとカボチャ投げてきそうだし……。

「と、とりあえずダンブルドア先生に教えねぇと! また巨人の、俺の命狙ってくるかもしんねぇから、武器持ってかねぇと!」

興奮した様子で呟きながら小屋に入ったかと思うと、手に使い古されたお玉と、ボコボコになった鍋の蓋を握っていた。頭には蓋とセットになっていたであろう鍋を被っている。異様すぎるその出で立ちで、彼の背中は城のなかへ消えてしまった。


小屋の主がいなくなったということで、郁はありがたくなかで過ごさせてもらうことにした。なかは物置のように物で溢れかえり、ガタガタと動いている瓶があったり、お菓子の食べ残しがあったりと、あまり落ち着ける感じではなかった。しかし、ベッドだけは大きくてふかふかだ。さすがあの巨体を支えているだけある。

「さて、どうしたものか」

ベルトを緩めて、ブレードもベッドに立て掛けて体を楽にする。そして転がるようにベッドへと身を預けた。

本当はいますぐにでもここを離れて壁に戻りたいのだが、先程の大男の台詞が郁をこの場に留まらせていた。確かに彼は「巨人の俺を」と言っていた。しかし人類を捕食するためだけに動く巨人と彼は、どう考えてもイコールで結びつかない。大男と言ったって、巨人と比べればとんでもなく小さかったし、なにより言動は人間そのものだった。巨人にはいくつか他に種類があるのかもしれない。それを確認するまではここを離れるわけにはいというのが、潜伏の理由である。

「日が落ちるまではここにいるしかない、かな。念のため」

そう呟くと、暇つぶしに天井の木目を数え始めた。ひとつずつ線を辿りながら指を折り、ついに、1枚目の板を数え終えるというところで、目の前に広がったのは石の天井だった。やはり夢でもみていたらしい。不思議と眠気はないが、なかなかに面白かったし、もう一眠りしてみようか。落ちそうにない瞼を無理矢理に瞑った。

「これこれ、眠るでない」

鼻先で、パチパチと星が弾けた。するとどうだろうか、瞼が勝手に開くではないか。体もゆっくりと起き上がり、首が右へ回される。まるで糸に吊らされて、操られている気分だ。そしてマリオネットとなってしまった郁の瞳は、さらにあり得ないものを発見する。

「君が、ハグリットの言っていた女の子じゃな?」


白いお髭と、丸縁の小さな眼鏡を鼻に引っかけるその姿はまさに、真冬の来訪者だった。驚きのあまり、ただでさえ強制的に開かされていた瞼がこれでもかというほどに見開かれる。

「私、随分前に……サンタクロースは卒業しました……」

なんとか言葉を紡いだ郁に、サンタクロースは絵本のままに「ホッホッホッ」と笑った。


140901 第一話/完

ついに初めました
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